第16話-サッカー以外は、”テトリス”だった。
「さっきオレが書いてたポップの映画、今度見に行こうと思うんだけど、よかったら一緒にどう?」
”彼”から、そう言われた瞬間、すごく嬉しい気持ちになった。
二年生に進級して同じクラスになって以来、彼とはそれなりに長い時間を過ごした。教室で、図書室で、通学路で。
でも、学校の外に一緒に出かけていったことはなかった。初めてのちゃんとしたデートだ。
「あ、いいよ。行こう。私も実は見に行きたかったんだよね」
すごく嬉しいけれど、あっさり答える。「やった〜☆」なんてハイテンションな反応は、私に、私たちの関係にそぐわない。
その回答を聞いた彼は、話を次に進めた。
「よっしゃ!んじゃ今週の日曜はどう?」
おっと、と思う。何の因果か、その日は足尾さんと遊びに行く約束をしている。
男の子にデートに誘われることなんてほとんどないのに、なぜ突然ぶつかるのかな。
「あ、今週はちょっと予定があって……来週なら大丈夫だよ」
しかたなく、次の日程を打診して、話はまとまることになった。
こんなことなら、足尾さんの方を断っておけばよかったかな、なんて思いながら、家に入った。
今週末、私は、足尾裕太と二年半ぶりに会うのだ。
***
「よっ!お待たせ!」
駅の雑踏、足早に歩く群衆の肩の隙間をすり抜けて、足尾さんが現れた。
「お久しぶりです」
返事をしながら、全身を見る。思えば、足尾さんの私服を見るのは初めてだった。サッカーのユニフォームや制服を着ている姿しか見たことがない。
それでも不思議と、制服の印象に似ている。細身のデニムパンツは彼のスタイルの良さを物語っているし、淡い色のワイシャツをラフに着ているのは、制服を着崩していたあの頃と同じだ。
彼の見た目は、あの頃とほとんど変わっていない。だが、受ける印象は変わっていた。
──どこか、活力がない。
あの頃の足尾さんは、いつもおとなびてはいるけど奥底に強いエネルギーを抱えていた。そういう部分が彼の妙に少年らしい雰囲気につながっていたように思う。
そのエネルギーが、ない。
おとなになる間に徐々に消えていったのか、何かエネルギーを吹き飛ばすようなできごとがあったのか、私には推し量れないけれど。
「ヤコちゃん、だいぶおとなになったんじゃない?二年前は女の子って感じだったけど、今はすっかり魅力的なおとなの女性だね」
「ありがとうございます。足尾さんの方は、おかわりなさそうですね。その軽い感じも」
「本音を喋っているだけだよ。正直なタイプだからね」
足尾さんはわざとセリフめかしてそう言う。胸に手を当てて、得意げな顔をする。
足尾さんのテンションは、あの頃のままだ。活力は失われた印象だが、冗談ともホントウともつかない軽い褒め言葉をぶつけてくる感じや、次々に冗談を放り込んでくる感じが、あの頃を思い出させた。
「じゃ、行こっか!積もる話は後にして、とりあえず目玉アトラクションの3Dゲームをやりにいこう!このあとめっちゃ混んでくると思うから」
そして、やたらマイペースなところも、変わっていない。自分の話したいことを、話したいように話す。
「はーい!お任せします」
だが、このマイペースなところを憎めないのが、足尾さんの特殊能力だと思う。そもそも、何か話したいことがあると言ってテーマパークに呼び出すことが許されるのは、この世で彼だけなのではないか。
「高校生活はどうなの?」
アトラクションに並びながら、足尾さんが他愛ない話を切り出す。
「楽しいですよ。中学よりもよっぽど自由に暮らせて、快適です」
「良かったじゃん。同調圧力がないって感じなの?」
「そうですね。みんな、良くも悪くも他者に関心が薄いですね。一挙一動に”社会”が含まれていた中学時代とは違うな、といつも思ってます」
足尾さんは私の発言を受けて、フフッと笑った。
「なんですか?」
「いや、ヤコちゃんらしいなと思って、懐かしくなっちゃった。”一挙一動に社会”か。その鋭い喋り方は、変わってないね」
「そんなに変ですか?」
「だって、そんな喋り方の女子高生は他にはいないよ」
足尾さんはそう言いながら笑顔をつくり、一拍おいて続ける。
「まあ、ヤコちゃんのそういうところが好きなんだけどね」
言い終わった後、ことさらに笑顔を強調した。こちらをまっすぐ見る表情と目線は、照れを全く感じさせない。
こいつめ、と思う。ちょっとドキッとさせられたことに、悔しい気持ちになる。
「足尾さん、女たらしって言われません?」
「言われるね」
「正直か」
「言われることは事実だから。実際に女たらしかどうかはまた別の問題だよね」
「実際にはどうなんですか?」
「オレは今を精一杯生きているだけだよ。女たらしって言われるのは心外だな」
ずいぶん久しぶりに会った足尾さんは、雰囲気や活力の変化こそ感じるものの、喋り方のイメージは同じだった。おどけた顔の時間と、マジメな顔の時間のバランス。
「カレーってすごいですよね。ホントウの意味で国民食って感じがします」
昼食時、カレーを口に運ぶ足尾さんを見ながら、私は言った。
「ん?なんで?」
「普通の日常食なのに、イベント感もあるじゃないですか。こういうテーマパークでも食べるし、パーティでも作る」
「たしかに、両立してる感じだね」
「そんな食べ物、他にないんじゃないですか?」
「あはは。確かにそうだね。これこそ国民食だ。カレーは偉大だよね」
無邪気に笑う足尾さんを見ながら、私は何となく肩透かしを食らったように感じていた。
──”彼”なら、きっともっと噛みついてくるだろうに。
彼なら、もし彼なら、どう反応するか。
「うーん、国民食っていう表現はどうかな。インド由来の食べ物を日本の国民食と言い張っていいのかどうか……。それに、日本での歴史も浅いよ?」なんて、言いそうだ。
「発祥地や歴史の長さなんて関係ないよ!大事なのは、いかに我々の心に馴染んでいるか、ってことじゃない?」
「それはそうなんだけど、国民食という表現がもっとハマりそうなものがありそうだよね」
「例えば?」
「うーん……そば、とか。そばの発祥は奈良時代以前であると言われているし、そばの実も日本でたくさん収穫できるし、国民食なんじゃない?」
「はい残念!!勉強不足だね!古来日本でそばというと、麺ではないそばがきのことを指しているんだよ!そばだってカレーと一緒で歴史がないよ!」
「勉強不足なのはヤコの方だ。たしかに昔はそばといえばそばがきだったけど、1600年頃には今の形に近いそばが作られはじめていたと言われている。明治時代に日本に伝わってきたカレーよりも、よっぽど歴史があるじゃないか」
「うっ……!ズルいな……!なんでそんな詳しいの??」
「ちょうどこないだ、食べ物の文化史についての本を読んだからね。それに、生活に近いところの歴史はかなり好きで、よく調べているよ」
「知識の差がすごい領域だと戦えないよ……」
「参った?」
そう得意げに聞いてくる彼に腹が立って、私はきっとこう切り返すだろう。
「じゃあさ、そんな小難しい理屈抜きにして、いきなり"どちらが国民食にふさわしいか"って聞かれたら、キミはカレーとそばと、どっちを答える?」
「げっ……!」
彼は、途端にばつの悪そうな顔に変わる。
「ねえ、どっち?」
形勢逆転とばかりに、今度は私が得意げな顔に変わる。ニヤニヤしながら、問い詰める。
「……まあ、カレーだな……」
「やーい!持論を振り回してるクセに、その持論をホントは信じられてないタイプだ〜!」
「うるさいな!いいんだよ!今は怪しい仮説に一石を投じていただけなんだから!そうやって学問は前に進むんだから!」
勝手な妄想の中で、彼の言葉はありありと浮かんできた。
ああ、なんて理屈っぽくてめんどくさい男なんだろう。
──でも、たまらなく愛おしい気持ちになる。
彼とのやり取りが好きだ。世間的にはあんまり正解じゃない問答で、私を楽しませてくれる彼が好きだ。
足尾さんは、女子の扱いが上手で、にこやかに話を聞いてくれて、時々褒め言葉をくれたり、話しやすくする質問を投げかけてくれる。
きっと、さぞモテるだろう。
それでも、私はちょっと居心地の悪さを感じてしまう。もっと軽口を叩ける、素の自分でいられる方がいいな、と思う。”彼”の前では、私は無限とも思える軽口が飛び出してくるのに。
”彼”との、来週日曜日のデートがめちゃくちゃ楽しみだ。
やっぱり、過ぎ去った季節だったな、と思う。中学時代の少女の憧れは、いつの間にかなくなっていた。
足尾さんのことは今でも尊敬しているけれど、恋はしていない。
一方、”彼”への恋心は、明確になった。足尾さんといるときでも、彼のことを考えてしまう。私は、彼のことが好きだ。
そして、そのことをはっきり分かっただけでも、今日来た甲斐があった。
私は今日、少女の感傷と、決別することができたのだ。
夕方、遊び疲れた私たちは、テーマパークを後にした。足尾さんは終始やさしく、終始ニコニコした顔で私の話を聞いてくれた。お陰で、とても楽しい一日になったと思う。
──そして、不可解なこともあった。
「足尾さん、私に相談したいことがあるって言ってませんでした?」
テーマパークを出て、帰りの道を歩き始めた頃、私はいよいよ切り出した。あれはただの口実だったのか、それとも、ホントウなのか。
「うん。実はそうだよ。あんまり楽しくて暗い話をしたくなくなっちゃったから言い出してなかったけどね。もう一軒、カフェにでも付き合ってもらっていい?」
「分かりました」
いつになく、足尾さんはマジメな顔になった。建前ではなく、ホントウに話したいことがあったのか。
***
「実はね、オレはもうサッカーができないんだ」
コーヒーが運ばれてきた直後、足尾さんは突然切り出した。サラリと、だけど重大さが伝わる声のトーンだった。私も、思わず身体をこわばらせる
「どうしてですか?」
「膝を悪くしてしまってね。高校一年生のインターハイで、相手と激しく接触して入院したんだ。それ以来、ずっと膝は調子が悪かった。ごまかしごまかし一年以上、サッカーを続けてはきたけれど」
「もう、ダメなんですか」
「ごまかしには限界が来るんだよ。もう完全にダメだ。プレイヤーとしての命は完全に絶たれてしまったらしい」
「それはそれは……心中お察しします」
確か、足尾さんはサッカー推薦で県下一サッカーが強い高校に行ったはずだ。成績優秀だった彼は普通に受験して進学校に行くこともできたけど、サッカー推薦を選んだ。
けれど、サッカーの神は彼を選ばなかった。私にその悲しみは想像できない。きっと、言葉で簡単に言い表せるようなものではないのだと思う。
「だからさ、生きる意味を見失ったんだよね。サッカーで生きていこうと思ってたから」
「でも足尾さんなら、他にどうやっても生きていけますよね。勉強もできるし、女の子にもモテる」
「そりゃまあ、生きていけるとは思うよ。でもダメなんだよ。他のことは全部”休憩”だったから。面白くないんだ」
「休憩?」
「オレがさ、進学校へ入るのを勧める教師たちの意見を無視して今の学校に進んだ理由、分かる?」
「そりゃまあ、サッカーを優先したかったからじゃないんですか」
「そうだよ。でも、それだけじゃ半分。【サッカー以外のこと】はね、燃えなかったんだ」
「……燃えなかった、というと?」
「他のことはすべて、サッカーの休憩時間でしかなかったんだよね。休憩時間に暇つぶしでやってただけ。勉強も、女の子と遊ぶのも、友だちと遊ぶのも、全部」
「楽しくなかったんですか」
「いや、楽しかったよ。でも、それは単に気分転換だからなんだ。『テトリス』をバイトの空き時間に5分やるのは楽しいけど、丸一日やるのはしんどいでしょ?そういう感じ」
「足尾さんにとっては、周りの友だちも彼女も、勉強も、仕事も遊びも、全部”休憩”だと?」
「そう。生きる理由としてサッカーがあって、それ以外のすべてが”休憩”として存在する。そんな感じだ。ホントウは強い興味なんてなくて、でも暇つぶしになるし、クリアしておいた方が暮らしやすいから、それなりに頑張ってやってた」
「……周りの皆のことも、そんなに好きではなかった?」
「サイコパスだとか冷徹だとか言ってくれても構わない。そのとおりだ。オレは誰と一緒にいるときも、休憩だなとしか思わなかった。オレは誰のことも、大切じゃないんだと思う。サッカー以外の何もかもに、少しも熱くなれない」
「あの屈託のない笑顔の裏で、そんなことを思ってたんですね」
「そうだよ。いつも”休憩だな”と思っていて、それゆえに最適な行動を取ることができた。社会の中でどんな振る舞いをしたら一番順調に暮らせるか、考えながら行動してた。ずっとテトリスやってるみたいなもんだったよ」
意外だ。社交性の塊のような足尾さんが、いつも皆に慕われていた足尾さんが、誰のことも好きじゃなかったなんて。
でも、振り返って考えてみると、なぜか少し納得がいく部分もある。
──足尾さんは、完璧すぎた。
あまりにも女心をおさえすぎていたし、他者との関係構築が如才なさすぎた。
嫌味のない軽妙で面白い会話、誰にも嫌われない振る舞い。彼は完璧な自己演出によって、中学生としては考えうる限り最高の求心力を確保していた。
これらは全て、他者に興味がないゆえに行えたことだったのだ。感情を含まず、ただ正確な判断によってコミュニケーションを取っていた。テトリスを攻略するように。
「どう?軽蔑する?」
「……いえ、驚きはしましたけど」
「さすがヤコちゃんだ。普通、こんな話をしたらドン引き必至だよ」
「直感で言ったら受け入れがたいですけど、足尾さんみたいなタイプがいることは知ってますから。それに、誰だって少しくらい、社会のルールを俯瞰しながら合わせていくことくらいあります」
「ヤコちゃんも、そういうことがある?」
「あります。内心くだらないな、と思いながらその場に沿う行動を取ること、よくあります。アレは確かにテトリスみたいなものですよね。足尾さんは、全てのコミュニケーションがあんな感じなんですか」
「そう。コミュニケーションに限らず、勉強とか、旅行とか、あらゆるものが全部そんな感じだ」
なんて孤独なんだろう。彼は、大して喜べないのに、周りが喜んでいるのに合わせていたんだ。大して悲しくもないのに、周りが悲しんでいるのに合わせていたんだ。
「そんなオレが、唯一楽しいと心から思えるのがサッカーだった。ドリブルでゴボウ抜きするとき、ゴールを決めるとき、ヒリヒリする1点の取り合いをするとき、アドレナリンがドバドバ出て、心臓が高鳴った。皆が感じている激しい感情の起伏を、オレはピッチでだけ感じられたんだ」
彼は、これが普通だと言わんばかりの様子で言葉を紡ぎ続ける。話題に似つかず、終始にこやかな様子を崩さない。いつもどおりの柔和で優しい振る舞いが、今はどこか不気味に感じられた。
「じゃあサッカーができなくなった足尾さんは、一生テトリスしかできなくなったってことですか」
足尾さんの出した例に乗りながら、切り返す。彼は一層優しい笑顔になった。周りから見れば、微笑ましいカップルの会話に見えるだろう。
「そうだよ。話が早いね。理解力がある。さすがヤコちゃんだ。相談相手をキミにしてよかった。僕は、生きる目的を完全に喪失してしまったんだよ。サッカーを禁じられてからの数ヶ月、テトリスばかりやり続けてきた」
そこで、足尾さんはコーヒーカップに口をつけた。私もつられて、飲み物を口に運ぶ。少しだけ、ぬるくなり始めていた。
「だからさ、ヤコちゃんに今日相談したかったことっていうのは単純なんだ」
そこで、足尾さんは私の目を見た。もう、顔は笑ってない。真剣この上ない表情。強い発言がこれから来る、そう思った。
「オレは、これからどうすればいい?一生、つまらないテトリスをやり続ければいいのか。それとも、死ねばいいのか」
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