ファイアウォール

ライムと別れてから、1時間半ほど。



僕の前には、スライムの村があったクリスタルの森とは似ても似つかない景色が広がっていた。

クリスタルの光は霧で遮られ、少し薄暗い。黄昏というよりも、冬の訪れを感じさせる、そんな雰囲気だろうか。

更に木々は儚く枯れ果て、枝は不規則に伸びている。

広大な洞窟である地下世界には、壁の所々に穴があいているのだが、ここはその穴から水が流れている。

冷気に満たされた空間は、Tシャツの僕にとって、正直つらいものがある。我慢できる範囲ではあるが。

「ジャック、ここ、少し寒くないか?」

さぶさぶ〜と腕をさすりながら、隣で歩くフサフサの獣に声をかけた。

「うーん、僕はそこまででもない」

震える声の僕に対して、ジャックはいつも通りの何気ないトーンで返す。犬のモンスターの彼は、覆われた毛が寒さから身を守ってくれるのだろう。人間は自らの進化の過程で体毛のほとんどを捨てたくせに、その一人であるアスフはそれを羨んでいた。

「ジャック~お前あったかいな~」

たまらず極上の毛布に抱きつく。

「アス、歩きにくいって…看板があるよ」

ジャックは僕のもふもふタイムを中断させられる口実を見つけてほっとしている。

今だけは我慢してやることにして、看板を覗き込んだ。

<氷瀑の森 クリスタルの光を遮る霧は、温水の水蒸気がここの冷気に冷やされることで発生している。

この冷気は地下世界よりも更に地下のものである。

時期によって霧が晴れることがあるが、これは水の温度が下がり、水蒸気が発生しないためである。

冬になり温度が更に下がると、流水は氷になり、ここで幻想的な風景が見られる。氷瀑の森と呼ばれるのはそのためと言われる>

「へーっ!ここまで来たことなかったから、こんな所があるなんて知らなかったよ!」

ジャックは目を輝かせるが、僕はというと、

「全然分からん……」

なにしろ僕は山奥で薪割りばかりしていて、勉強は全くしていなかったのだ。読めない文字ばかりで困惑する。

「とにかく!寒いから歩こうか」

僕は鼻をすすりながら言った。

枯れ木の道を進んでいく。無造作に転がっている石ころを蹴飛ばし、滝が打ち付ける音ばかりを聴きながら。

しばらくして、やっと少し開けた空間をみつけた。道が二つに分かれている。正面か左か。とりあえず直進することにする。

「あ、あれ?」

道の入口から前に進めない。壁がある感覚ではなく、その場から一ミリも進むことができない。

視線を動かすと、道の先に、木々に囲まれた空間にぽつんと岩があるのが見えた。その奥にはこれまで見た中で恐らく最も大きいであろう大樹がそびえ立っている。

また、この壁の近くに看板があったが、文字がかすれて読めない。ここの気候でボロボロになってしまったようだ。

なんとか解読を試みる。

切れ切れになっている文字に意味を見つけられないか、看板を二人して睨みつけていた。

「ねえ、君達そこでなにしてるの?」

ジャックも僕も飛び上がり、恐る恐る後ろを見た。

鎧を纏ったモンスター。テカテカした体にクリスタルの光を反射させる、二足歩行のトカゲだ。もう一人は…タヌキっぽい?人が良さそうな目尻だ。

「あーえっとその!ここってなんで先に進めないんですか?」

僕は慌てて平静を装う。

「ここはね、殺意が封印されているんだ。研究所が結界を施していんだってさ。詳しいことは分からないけどね」

動揺でほとんど耳に入らなかった。

「そ、そうなんですか!お邪魔してすいません!」

そう言って立ち去ろうとした。立ち去りたかった。

「待ってくれ、もしかして君…」

バレた。

「走るぞ!ジャック!」

ジャックは頷くアクションさえも省き、先程選択しなかった左のルートへと猛ダッシュする。

「あちょっとぉ!レイル頼む!」

「ほいきた」

レイルと呼ばれたトカゲっぽいモンスターは、四足歩行にモードチェンジして、壁をありえないスピードで移動し、あっという間に僕らの目の前に立ちはだかった。

「まあまあ待ちたまえよ君達。話だけでもさ、な?」



「ほうほう、つまり君は運悪くここに落ちて、それで研究所に向かってるわけか…」

タヌキっぽいラクが顎を拳で支え、うーんと唸った。

「あのさ、俺らのことは知ってんの?」

「はい、人間を見つけたらその、始末すると」

ジャックが、トカゲっぽいレイルに曖昧に応答する。

「まあ、そうなんだけどさ…俺らまだ新兵で、殺意に居合わせなかったモンスターなんだよね。人間にもイイヤツはいるって聞いているし…ラク、こいつら助けてやろうぜ?」

「うーん…」

レイルの提案にラクは3秒くらい顔をしかめた後、諦めたように、力なく笑った。

「バレたらクビだな、俺ら」



「俺らの鎧を付けていくんだ。門を抜けられたら、公衆トイレの後ろの生垣に隠しといてくれ」

ラクが言った。

「なにからなにまでありがとうございます。いつかお礼を…」

「いいってことよ。困ったやつを助けるのがシールドだ。人かモンスターかなんて関係ないさ」

レイルは親指をたて、かっこよくキメた。

そのまま軽めのアニキと物腰柔らかタレ目ボーイの二人は、看板工事に戻っていった。

「いいモンスターだったな」

「ああ、運が良かったよ」

鎧をガシャガシャ鳴らしつつ、街に向かって足を動かす。

あれだ。氷瀑の森の端を示す馬鹿でかい壁が広がっている。道の先の穴を抜ければ、きっと街に出られるはずだ。

洞窟はとても短く、すぐに明かりが見えた。

門番はいたが、なにも言われなかった。

「多分居眠りで有名なオルテが門番をやってたんだ。僕達すっごくツいてる!」

ジャックがはしゃぐ。

居眠りが許されるということは、きっと街中の警備もそこまで厳しくはないはずだ。研究所までのシールドとの接触は免れるかもしれない。少し安心した。

洞窟を出た先は、左に家が立ち並び、右には氷瀑の森からの水が川となって流れている。

ここはモンスターが少ない。歩いているのは二人くらいだ。

街のつくりを把握するため、近くの看板を読む。

<cent pivot モンスターの中心部、セントピボットへようこそ。 はじめての方は、こちらの地図をお読みください>

今見えている道を進み、左に曲がると大きな大きな広場がある。

西には町が二つ、北西には研究所が、東には城とスーパーがあるらしい。

「まずは広場に行って、研究所に向かうって感じだな」

「その前に、あそこのトイレの後ろに鎧を置いていかなきゃ」

少し歩き回るっただけで、2人組が言っていた公衆トイレが見つかった。

少し脱ぐのに手間取ったが、何とか鎧を外し、目立たないように並べて隅のほうに置いておいた。

「よし、そんじゃ行きますか」

しかしその時、僕の声を遮るようにとても大きなサイレンの音が耳を貫いた。

<あー…テステス…全てのモンスターにお知らせします。現在、人間がこの地下世界に現れたとの情報が入りました>

「…」

僕もジャックも沈黙した。

聞き間違いだろうか。

<実力は低く見積もってもレベル2以上。危険ですので、住民は直ちに自宅に帰り、全ての鍵を閉め、安全を確保してください。シールド各兵士に告げる。C隊、B隊は氷瀑の森及びクリスタルの森、TRUNSに向かい、住民から情報を聞き出し、なにか情報が入り次第直ちに連絡せよ。A隊はセント・ピボットの警備及び侵入した人間を見つけ出せ>

「ウソ…でしょ?」

ジャックは怯えて顔が熟れる前のフルーツみたいになっている。ちなみに表情はそれを食べた時より酷かった。

<人間は見つけ次第、直ちに抹殺せよ。OVER.>

僕達はこの時、まさに最悪の事態に直面していることを理解した。

「どうしようジャック!このままじゃ見つかるのは時間の問題だぞ!」

「ファッティから漏れたんだ…クソっ!迂闊だった!」

少し考えれば分かるはずだった。激戦の後で油断したのだろう。いくら何でもシールドに連れていくのは悪手だと分かるはずだったのに。

「とにかくどこかに隠れないと!でも身を隠す場所なんて、ここには…」

僕はそう口に出すものの、すぐに無駄だと気づいた。どう考えても逃げ場はない…。

ふと、ジャックの表情さっきとは打って変わって、覚悟を決めた目つきになった。ジャックはこちらの目を真っ直ぐ見据え、僕に逃げ道を開示してきた。

「アス、僕がシールドの注意を引いてる間に、君は研究所に向かえ。僕はモンスターだから、シールドに捕まる心配はない」

「で、でもいくらなんでも無茶だ、こっちからシールドに接触するなんて…」

もちろん僕は反対した。なにしろ無謀すぎる策だった。ジャックに何かあったら本末転倒じゃないかと思った。しかし、どう伝えてもジャックの決断は変えられないとも思った。

「任せてくれ。見計らって、急げるだけ急ぐんだ」

そう言って、ジャックは飛び出す。

広場へ続く道の角から、恐る恐る広場を見てみた。

ジャックがシールドの兵士に話しかけ、左を指さして、兵士に訴えている。そのままジャックに兵士がついて行くようだ。だがしかし、一人の兵士が止めてしまったようだ。他の兵士とは鎧の造りが違う。その兵士がジャックを取り押さえた。本当に不味いことになってしまったようだ。

「人間!出てこい!このモンスターの首が飛ぶのを見たいか!」

兵士が大声で僕を脅す。

「ダメだ!くるな!逃げるんだ!」

僕が出ていこうとしたのが分かったのか、ジャックがすぐに制止を求めた。

「三十秒以内に姿を見せなければ、我々は手段を選ばぬことも辞さぬ覚悟だ!」

お前に選択肢はない。そう言われている気がした。

「ここだ!」

僕は前に進み出た。

「僕はどうなっても構わない。そのモンスターを解放してくれ」

立派なタテガミのモンスターは、ニヤッと笑って兵士に手を振って合図を送る。

ジャックの捕縛は解かれた。だが、逃げ出すことは不可能だろう。

「何故ジャックが僕の仲間だと分かったんだ」

とにかく時間を稼ぐ。でも、引き伸ばしてどうするつもりなのか自分でも分からない。

「お前はもう理解しているはずだが?あの太ったスライムが我々に引き渡されたのだから、お前達のことはもう分かっているんだ。後にスライムの少年も連行する」

歯を食いしばりながら、強気の姿勢を崩さない。

「ライムは関係ないだろう」

「そのことも含めて、我々に付いてきてもらおう」

「チッ…」

僕の睨みに全く怯みもせず、嘲笑うように力で黙らせられた。

どうするべきか。このままついて行っても、無事でいられるかどうか分からない。せめて、せめてジャックとライムは救わなければ。

「ついていかないと言ったら?」

「いいや、お前の意思は関係ない。力づくで、引きずってでも貴様を連れていく。お前達、下がってろ」

兵士を下がらせ、手のひらに火の玉を生成した。さらにそれをわしずかみにして、拳の隙間から炎の波を揺らす。

「ジャックを逃がすならすぐにでもついていく」

「諦めろ。お前らはもう終わりだ」

マジかよ…と、僕は力なく笑う。

そんな中、空中から鎧を纏ったカラスと、それに捕まった兵士が、スライムを連れて隊長の前に着地した。

「隊長。スライムの少年を連れてきました」

「ごくろう。下がってろ」

隊長は満足気だ。

「すまねえ、アスフ…逃げろ…」

ライムが、悔しそうにこちらを見やり、苦悶の表情で僕にそう言った。

「ライム、ジャック。これはお前達モンスターには関係ないことだ。お前達を巻き込むわけには行かない。逃げてくれ」

僕がしっかりとそう伝えるも、

「おいらはお前に助けられた恩がある!ここでお前をほっとくなんて出来るわけねえよ!」

ライムに断られ、

「ここまで一緒に来たじゃないか!約束もした!ここで終わりでも、最後まで一緒にやろうよ!」

ジャックも拒否した。

二人は変わらず僕の頼みを突っぱね、それぞれの思いを伝えてきた。

僕は諦めと失望と同時に、嬉しさを感じた。

(そうだよな、もう僕は一人じゃない。ごめん、ありがとう)

胸の中で伝え、キッと顔を上げ、

「隊長!悪いが邪魔をさせてもらうぞ!」

そう思いっきり叫んだ僕は、勢いに任せて飛び出した。

かめじいに聞いていた話によれば、奴はレベル6。正面戦闘は避けたいところだが…いや、迷っている暇は無い。まずは一手と、右手を振りかぶる。

「この程度か」

小賢しいとばかりに炎の玉を手から発射してきた。けれど、はなから攻撃する気が無かった僕は頭を下げ、回避した。しかし恐ろしい速度だ。髪の毛が焦げ臭い。

構わず隊長は放火を継続した。

レベル4の反射神経とスピードを活かし、肌のスレスレで回避するというかなり危なっかしい動きを見せる。しかし、このままではいずれ焼かれてしまうだろう。

ここで僕は思い切って賭けに出た。猛スピードで隊長の真横を駆け抜け、ジャックを取り巻く兵士の方へ全力で走る。背中に熱を感じながら、必死で走る。

兵士は迎撃体制をとるも、僕はジャンプと共に兵士を片手で押し、跳び箱の要領で飛び越え、後ろをとった。

「ぐおああ!あっちいいい!」

「こっちくんなああああ!」

狙い通りのカオスを作りだし、ジャックとライムを解放する。

「舐めた真似を…!」

隊長は屈辱に顔を歪ませた。

「研究所に突っ走るぞ!」

振り返らず、今はただ全力で。



「…………」

隊長は表情を冷たく変貌させた。

「奴を召喚しろ」

兵士は目を見開いた。

「もしや…あのをここで?」

「人間の好きにはさせない」

隊長の決意は硬い。

その様子を見て、全ての兵士は笛を構えた。



何かがおかしい。肩ごしに後ろをのぞき込む。

「シールドが追いかけてこない?」

僕は神妙にそう呟く。

「まじでか?」

ライムとジャックも足を止めた。

やがて、不思議な笛の音が聞こえ始める。

すると突然己の髪が風で暴れだし、全身が硬直した。

恐ろしいなにか強大な力の存在を感じ、二人と共に後ろを振り返ると、妖しく光る黄金色の眼球。腕のように太い牙。そして全てを吹き飛ばしそうな巨大な翼が目に飛び込んできた。

思い出した。父親の昔話。

それは神の化身と呼ばれた、翼の生えた肉食獣。

鋭い牙と鉤爪を持ち、火を吹き宙を制する巨大で強大な生き物。

選ばれし者に力を与え、世界のバランスを管理すると言われた伝説の生物。

やがて色々な物語の題材として、人々に語り継がれていった​──────

(確かこの話を聞いて、ノスは背中に乗って飛んでみたいって言ってたっけ…絶対乗せてくれないだろうな…はは)

ドラゴンは鼻息で、再度僕の頭髪とジャックの体毛を騒がせた。思わず顔をしかめる。

「ド…ドラ、ドラ、ゴン、だよ、ね?」

ジャックは直立不動のまま震えている。どもりが酷い。

「確か、ドラゴンはここの守り神だったはずだ。前に殺意が現れた時も俺たちを守ってくれた」

ライムはまだ冷静だ。しかしそこまで余裕はないだろう。

ここにドラゴンが現れたということは、僕達を敵と認識したということだ。この状況を打破する為には…

「聞いてくれ!ドラゴンさん!」

僕の選択は、和解だ。

「モンスター達を傷つけるつもりは無いんだ!本当だ!」

ドラゴンは僕をじっと見つめ、動かない。

「龍よ!人間は我々の天敵だ!燃やし尽くしてしまえ!」

目付きが変わった。

直後、凄まじい咆哮が大気を震わせ、灼熱の息が迫り来る。

「避けろ!!!!」

僕とライムは右、ジャックは左思いっきり倒れ込む。間髪入れず鉤爪が光り、回転して躱す。

命がいくつあっても、全て無に帰されてしまうほど絶対的な力。

(でもあるはずだ…!弱点はどこだ!)

二度目の鉤爪をジャンプで躱し、巨体の観察をする。硬そうな皮膚に覆われた体、一度くらえば即死の牙と鉤爪。

全て物騒な体ではあるが、美しい白竜だ。

しかし一つだけ、白くないものがある。

着地と同時に叫ぶ。

「目を潰すぞぉおおおお!!!!!」

僕が声を発した丁度そのタイミングで、運がいいことに、地面にめり込んだ鉤爪に動きをとられたようだ。

「チャンスだアス!!!!」

ジャックが僕に託すように叫んだ。


地面を抉った爪を持つ方の龍の腕に、疾風の如く駆け上がる。追いかけるライムはナイフに変身し、僕の手の中に柄を突っ込んだ。


そのまま背中の位置まで来ると、すぐに暴れる龍にナイフをぶっ刺し、強すぎる振動に全身を強ばらせて耐え抜く。


そして少しずつ、ゆっくりと頭の方に進んでいく。


ジャックはドラゴンの気を引こうと石をぶん投げ、

「こっちを見ろおおお!!!!」と怒鳴った。


意識がジャックに向けられ作られた、一瞬の好機を掴み取る。


加速する意識に身を委ね、存在を殺意へと変貌させた。


上体に軸を固定し、両足を回転させて風神の化身へと変化していく。


やがて限界まで引き伸ばされたスピードを活かし、踏切って前方へジャンプ。

文字通りの弾丸となった僕は、真っ直ぐ一直線に飛んでいき、龍の頭に着弾した。


そのまま片膝でナイフを構え、思いっきり振りかぶって​────

金色の宝石に突き立てた。



しかし、黄金は砕けなかった。

勇者のナイフは使い手を離れ、僕もろとも真っ逆さまに落ちていき、そのまま手放した意識が僕の元へと帰ってきた。

僕の元から遠ざかっていく、破壊不能の光。風を切る音とともに脳をぶちまける瞬間が近づいていくも、叫びで恐怖を形にすることもできない。

人間は地に足がついていなければ無力だ。

何も出来ないまま地面に体を打ち付けられ、終わる。

物事が終わるのは一瞬だ。残酷で、少し前には想像もしなかったことも、1秒もせずにパッと切り替わって、二度と戻らない。

脳裏に浮かぶ光の中の思い出。

二人の笑顔。父とした釣り。兄とした探検。三人で風呂に入って、料理をして、せめて死ぬ前にそんな普通の日常に戻りたかった。


そして僕は引き伸ばされた意識の中、地面との再開の直前、ついに死を覚悟した。

しかし着地するのは硬い地面ではなく、青いブヨブヨのクッションだった。

「大丈夫か!?」

丸くて青いクッションが慌てて語りかけてくる。

「ライムぅうう… 」

僕は極度の恐怖と弛緩の差異に、目に水分を含ませることを防ぐことが出来なかった。

「泣いてる場合じゃねえぞ!ジャックはもう限界だ!」

それを聞いて慌てて視点を切り替える。

ジャックは炎と鉤爪を何とか躱しているが、何度か擦ったのか傷と煤でボロボロだ。

このままでは犬死にだ。

頭を抱えて顔をくしゃくしゃにして、必死に頭を掻き回す。考えれば考えるほど答えが遠ざかっていくような気がして、焦りがどんどん膨れ上がる。

「くそっ!」

罵声と共に、地面を蹴りつける。

その時、何かが僕のポケットからこぼれ落ちた。

ライムが触手で拾い上げ、二人でそれを見つめる。

それは白い無機質なハコだった。



​───『私の祖父が、死の前日に私に持たせたものです。何かあった時は、これを使いなさいと…』​───



「もうこれに懸けるしかない!!!」

中から鈴を取り出し、祈るように震わせる。

すると目の前が光に包まれ、真っ白な服の、髪の長い、神々しい少女が現れた。

龍は振り向き、少女と見つめ合う。

そのまま近付いた少女と頬を擦り合わせ、心地良さそうにに目を閉じた。

『もういいんだよ。ありがとうね』

そう透き通る声が響くとともに、白銀の龍は光の粉となって、消えた。




僕達は膝を突き、ライムは顔ごと倒れ込んだ。一気に解けた緊張に体がついていけない。


「なんだと!?」

隊長の声が聞こえた。いつの間にかすぐ近くまで接近されていたようだ。

「この野郎…!何をしたんだ!?」

隊長が兵士を引き連れて近づいてくる。



「ストップ!」

高く、若い声が響いた。

目の前で兵士たちが敬礼を始める。

(なんなんだ…)

見上げた先には、青い肌を持ち、赤いだぼたぼの服を着たモンスターがいた。

「会いたかったよ、人間」



敵か味方か。死を宣告された僕達には、まだ希望が残されているのだろうか。



この時はまだ知らない。この蒼いモンスターが、歪んだ世界によって生み出されたものだということを。



第3部 ファイアウォール 終




















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エデンの遺産 和食すばら @nice-japfood

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