第二十七話 平助、送る

 午後四時。打ち合わせの際に、ダメ元で決めていた時間。定刻通りに、佐久場さんとかがりさんが店に現れた。しかし。


「失礼。こちらで松本平助という男がバイトをしていると思うのだが……って、なんだこれは!?」

「お邪魔しま……えええっ!?」

 二人は当然、驚きを隠せない訳で。と、いうのも。


「すみません。話を通そうとしたら、今日は貸し切りだって張り切っちゃって」

 僕は大将夫婦の見てない所で頭を下げる。申し訳なさ過ぎて、辛い。

 二人は揃って、困った顔になっている。それもそのはず。二人共、今日はフォーマルな装いだ。パーティーなんて、考えてもない。

 一方、店内は話し合いにならないレベルで飾られていて。僕に至っては新品のスーツと七三分けになっていた。大将に、床屋と洋品店へ拉致されたのだ。


「ほうほう、なるほど。しかしこうして見ると男らしいな。馬子にも衣装というやつか」

「かがり! あ、でも。カッコいいですよ、松本さん」

 しかし美人二人に褒められて悪い気はしない。こっ恥ずかしいので、顔は伏せるけど。ほっぺた、熱くなってるし。


 そして、かがりさんは切り替えが早い。いつの間にか大将に交渉を持ちかけていた。

「よし。作戦を切り替える。店主殿。二時間ほど借り切っても良いかな? 当然、金は出す」

「いやいやいや。金なんて滅相もない。こっちが勝手にやったんですし、迷惑でしたら片付けますんで」

「なに、迷惑ではない。想定外ではあったが、店主のおかげでいいアイデアが生まれた。今日の売上、損はさせんぞ」

 そんな感じで、会話が始まり。当初困っていた大将も、やがて乗り気になって。


「ええい、分かりましたよ。俺だって江戸っ子だ。気前よく受け取ってやる! カカア、今度ステーキ食いに行くぞ! たまにはご馳走してやらあ!」

 遂に大将が折れた。折れたが、ただでは起きないところが大将らしい。女将さんが顔を真っ赤にしている。憎まれ口が出ない辺り、本当に感極まっているのだろう。


「良いですよね。こういうご家族」

 不意討ちの、佐久場さんの声。いつの間にか、僕の近くにいて。憧れのように、かがりさん達を見ていた。


「良いですよね」

 僕も同じ意見だ。そもそも僕が、ここにバイトを決めた理由。それは、大将達のやり取りが好きだったからだ。憎まれ口にも愛が籠もっていて、根っこの信頼は決して失われない。そんな関係が、ここにあったからだ。


「さあ、早速お食事と参りましょう。お嬢様、ぜひこちらに」

 かがりさんが、佐久場さんに一番奥の席をすすめる。そりゃそうだ。主賓だもの。だけど。

「こら、平。お前も行かんか」

 なぜか僕まで大将に背中を押されて。

「え?」

 思わず振り返り、聞いてしまう。だが、大将はニッカリ笑うばかりで。


「いいから行きなよ。べっぴんさんの隣にゃ、良い男がいるもんだ」

 女将さんまで同調してきた。困ってかがりさんを見るけど、彼女は何も答えず。

 観念した僕は、佐久場さんの隣に座って。彼女の、心からの微笑みで。見事に撃ち殺された。


 それからの記憶は、飛び飛びだった。宴会が始まって。大将がたくさんの料理を作ってくれて。かがりさんはなぜか、スマートフォンで写真を撮っていて。不思議な空間が、いつの間にか生まれていた。


 気付けば女将さんとかがりさんは意気投合しているし、大将は料理を終えたかと思うと商店街にタダ飯を配り始めて。とにかくメチャクチャな事態になっていた。


 でも。僕の隣には。最後まで佐久場さんが居て。消えることもなく。瞳が紅くなることもなく。目の前のことが、紛れもなく現実であることを。僕に教えてくれて。


 いつの間にか、午後の十時になっていた。まるで、シンデレラにかかっていた魔法が解けるように。柱時計の音で、皆が我に返って。


「おお、時間を大幅に過ぎてしまった。ここまでにしよう」

 かがりさんが、大げさに言い。

「おっとぉ!? これはびっくりだ。まだ六時かそこらだと思ってたぜ」

 大将も時の早さに驚きを隠せず。

「さあて。片付けをせにゃならんけど。かがりさん、残れるかい?」

「ふむ。確かにこれは手伝った方がよろしいですな。残りましょう」

 女将さんとかがりさんが片付けの打ち合わせを始めるけど。


「いやいや。僕がここのバイトですから」

 それは僕の仕事なので、会話に割って入る。すると。

「平ちゃん。むしろ貴方には別の役割があるわよ」

 女将さんにやんわりと断られ、手で佐久場さんの立つ方向を示されて。


「そうだな。松本平助。私は恐らく遅くなる。代わりに、お嬢様を送ってやってくれないか」

 信じられないことに、かがりさんまでもが同調して。

「平。お前も男だろ? やってみろよ」

 大将にまで背中を押されれば。


「分かりました。佐久場さん、僕が送ります」

 最早抗議なんて、できる訳がなかった。



 昼間はすっかり暖かくなってきた外も、夜になればまだまだ寒い。それでも、後ちょっとの辛抱だけど。夜も十時半近くとなれば、人通りはほとんどなくて。


 正直に言おう。佐久場さんが、とても近く感じる。心臓の鼓動が、伝わってしまいそうだ。おかしい。もっと近くにいたことなんて、もう何回もあったのに。今は、ただ道を歩いているだけなのに。今までになく、寄り添ってる気がする。


「寒いですね」

 唐突に、佐久場さんが口を開いて。

「ひゃいっ」

 僕は驚きのあまりに舌が回らず。だけど。そんな僕を見てさえ、彼女は笑みを浮かべるばかりで。


「不思議ですね。こんなに寂しい道なのに。どういう訳か、ちっとも寂しくないんですよ」

 空を見上げて、佐久場さんは言葉を紡ぐ。

「寂しい夜が、幾度もありました。角部屋でかがりに。『そこに居て欲しい』と泣いた夜もありました。男の方に、しがみ付いて眠った夜もございました」

 僕に顔を見せないまま、佐久場さんの話は続く。想像はつかない。でも、大変だったのだろう。


「でもね。何故か晴れなかったんですよ。一番晴れたのは、かがりに居てもらった時でした」

 更に彼女は言葉を継いだ。僕は止めない。今まで、色々と抱えてきたんだ。目一杯喋る。そんな夜が、あってもいい。


「母は、物心ついた頃にはもういなくて。お祖母様は、私を甘やかしたりなんてしませんでした」

 佐久場さんは、未だに上を向いていた。きっと、なにかをこぼしたくないのだろう。たまにテレビで聞く、あの寂しげな曲のように。


「小さい頃から、いろんな大人に囲まれて。色々と教育されました。感謝はしています。でも。私は。温もりが欲しかったんだと思います」

 彼女は上を向いたまま、腕で顔を拭って。ようやく顔を下げた。


「松本さん」

「なんでしょう」

 僕は、精一杯の理性を保つ。感情に任せた行動で、この人を傷付けたくはない。

「私。今、とっても温かいんですよ?」

 うつむいていた佐久場さんが、頬を赤く染めて。今までにないような目一杯の笑顔を、僕に見せる。恥ずかしくて、顔を背けるぐらいに、だ。


 それでも、少しもすれば調子を戻し。

「僕も、温かいですよ」

 明るい声で告げる。今なら、自分の気持ちが。はっきりと分かる。


「ふふっ」

 佐久場さんが明るく笑う。やっぱり、今までよりもテンションが高い。

「これって、やっぱりアレですかね?」

 歯を見せて、僕の横に立って。問い掛けてくる。

「なんでしょう?」

 察しは付いていた。けど、聞きたかった。佐久場さんの口から。佐久場さんの声で、聞きたかった。


「デート。ですよ?」

 ドクンッ。僕の心臓が、大きく弾んだ。内面のことなのに、不思議と分かってしまった。自分から聞きたくて振ったのに、鼓動が早い。このまま死んでしまうのではないだろうか? いや。いっそこのまま、死んでもいいかもしれない。


 ともかく。いよいよ僕は、逃げられなくなった。

 雅紀に。

 栄村さんに。

 かがりさんに。

 大将に。

 女将さんに。

 そして、サキュバスに。

 色んな人に助けられて。時には喧嘩もして。この場までやって来た。だから。


「佐久場さん」

 覚悟を決めた僕が、声を掛けようとした。その時。

「見てください、ここ」

 佐久場さんの足が止まる。視線が、右を向いている。その先に目をやって。僕は思い出した。


「あの日の、公園じゃないか」

 そうだ。あの冬の日。僕と佐久場さんの視線が交わって。今に至る日々が、始まったのだ。


「もう一度、やってみます?」

 流石にノースリーブは無理ですけどと、佐久場さんが笑って。

「良いですね」

 僕も笑顔で返す。きっと、運のめぐり合わせだったのだろう。こういう機会が、訪れるなんて。あの日のことは恥ずかしいけど。アレがなければ、こういうことにもならなかった。


「確かゆっくりと歩いていたんだよな」

 記憶をたどって向き直り、公園へ向かって歩き始める。入口付近まで来ると、その視界にブラウスを着た少女が居て。


 その姿は、あの日そのままだった。

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