第2話 紫陽花と向日葵

 俺の仕事は多忙を極めていた。


 クライアントの広告の納品日は間近に迫り、手配したカメラマンからの作品の納品は遅れ、コピーライターの原稿はダメ出しの繰り返し。制作の総指揮を取る責任者の俺としては胃がキリキリ痛む立場で、


 「一体どうなっているんだ!?」


 と怒鳴る部長を栄子先輩と一緒になだめつつ、なんとか締め切りに間に合う様に祈るばかりの日々だった。


 そんな俺の心の癒しになっていたのが、安藤さんとのメール。忙しくてなかなか会えない中、メールだけは頻繁にやり取りしていた。


「ちゃんとご飯食べてる? コンビニ弁当だけじゃ身体壊しちゃうよ?」


「私、会社近いからお弁当作って持って行ってあげるよ」


 などと言って、実際昼休みになると彼女はわざわざ自転車で俺の会社まで手作りのお弁当を届けに来てくれる様になった。


 栄子先輩達からは、


 「藤崎、やるじゃん。いつの間にあんな美人の彼女が出来たの?」


 なんて騒がれたが、俺も当然悪い気はしない。部長も気を効かせてくれて、会社の休憩所で彼女と一緒にお弁当箱を広げてお昼ご飯を食べるのが俺達の日課になった。


 安藤さんは、一体どう言うつもりでこんな事を俺にしてくれるんだろう? ここまでしてくれるんだから、当然俺に対して悪い感情は持っていない筈だ。俺は思い切って栄子先輩に相談してみた。


「先輩、普通女性って手作りのお弁当を気安く男性に届けたりする物なんですか?」

「何、藤崎? アンタら付き合ってるんじゃないの?」

「いえ、告白とかそういうのは全然してないんスけど」

「とんだスカタンだねアンタは。あの子はアンタに気があるからああいう事してくれてるに決まってるじゃないの。早いうちに手を打っとかないと他の男に持ってかれちゃうよ!」

「はあ」


 元ヤンキーだったと言う噂もある姉御肌の栄子先輩の一押しで俺は心に決めた。今抱えているプロジェクトが上手く行ったら、安藤さんに告白して正式に付き合おう。いや、俺のただの思い上がりかも知れないが、ダメ元でやってみようと。


 クライアントへの納品が無事終わり、評価も上々の出来で次の受注まで来た。まさに順風満帆のある日、俺は安藤さんをとある高級レストランに誘ってディナーをご馳走した後に、思い切って交際を申し込んだ。


 だが、彼女の返事は意外な物だった。


「藤崎さん、ごめんなさい。私は紫陽花の様な女なの」

「それ、どういう意味?」

「紫陽花はね、梅雨の雨のキラキラした滴の中で綺麗に咲くでしょう? でもその季節が終わるとスッと枯れてしまうの」

「君の言っている事が分からないよ」

「今の貴方には、私のいい面しか見えてない。でも嫌な面も一杯あって、それを知ったらきっと貴方は私を嫌いになるわ」

「それを言ったら僕だって同じだ。きっと君に嫌な思いをさせる事だってあるに違いない。でもそれ以上に楽しい事が沢山あると思うし、何より君と居る時が一番幸せなんだ。だから絶対君を枯れさせたりしない。君に必要だと言うなら、僕はいつだって君の雨になるよ」


 彼女の頬には、まるで紫陽花につたわる雨の滴のような涙がいっぱいに流れていた。


「ありがとう。こんな私でよければ、よろしくお願いします」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の心に夏が来た。お陽様がさんさんと輝く様な、野原一面に咲く向日葵畑の様な青空に包まれた気分だった。


 それからと言う物、俺の生活は変わった。会社の帰りには彼女のマンションに寄って一緒に晩ご飯を食べ、休みの日には買物や映画に出掛け、時には泊りがけで旅行にも行った。俺の会社から近いと言う理由もあり、だんだんと俺は彼女のマンションに泊まり込む事が多くなり、半同棲生活みたいになっていった。


 当然、意見の食い違いから喧嘩する事も時にはあった。発端は些細な事で、でも彼女は強情なので後へは引かずに俺が折れるまで意地を張る。そこで俺が謝ると手の平を返した様に甘えて来る。いわゆるツンデレと言う奴なのかも知れない。そう言えば普段は押しが強かった癖に、告白した時に限って弱気になったのはこの性格があったからなのか。


 付き合い始めて半年が経った頃、ちょうどクリスマスイベントの仕事が終わって、俺を待つ彼女のマンションへと帰ったら、部屋が真っ暗で誰も居ないのかと思って心配した。そしたら途端にクラッカーが鳴って、


「サプラ〜イズ! メリークリスマス!!」


 と、赤いミニスカサンタのコスプレをした彼女が現れて、俺はビックリして買って来たケーキを箱ごと落っことしそうになった。部屋にはキラキラと輝くイルミネーションとクリスマスツリーが飾られていて、お約束の色紙で作った輪っかまで壁に吊るされている。何もこんな凝った事までしなくてもいいのに。そう言えばクリスマス前まで俺は多忙であんまり二人の時間を取れなかったから、そこの所を気遣ってくれたのだろう。


「メリークリスマス、美緒」


 俺はひざまずき、美緒の左手を取ると、買っておいた指輪を薬指にはめた。


「茂、これって……」

「美緒さん、僕はこれ以上ないってくらいに貴女を必要としています。もし貴女も僕を必要としてくれているなら、僕と結婚してくれますか?」

「!!……」


 美緒はしばらく何が起こったか分からないと言った表情をしていたが、やがて大粒の涙を流しながらわんわん泣き出した。


「うん! うん! けっこんする〜! みおはしげるとけっこんする〜!!」


 美緒は俺に抱きつきながらぴょんぴょん跳ねて飛び回ったので、俺は振り回されない様に身体を押さえるのに必死だった。


「年末年始、俺と美緒の実家に挨拶回りに行かなきゃな」

「そうだね。みんなビックリするだろうな〜」

「ここのマンションも手狭だから、新しい物件を探しに行こう」

「ウン、行こう行こう!!」


 年末の仕事納めも終わり、俺達は年の瀬を俺の実家のある静岡で、正月を美緒の実家がある九州の宮崎で過ごす事にした。


 俺の実家では親父とお袋、妹が目を丸くして、慎ましく挨拶をする美緒の美人ぶりにあっけに取られている様だった。


「親父、お袋。俺、この安藤美緒さんと結婚する事にしたから」

「ふつつか者ではございますが、どうぞよろしくお願い致します」


 親父とお袋は気を取り直すと、美緒を応接間に招き入れ、


「いや〜、めでたい、めでたい。不肖のせがれがこんなべっぴんさんを嫁さんに貰って来るとは」

「美緒さん、本当に良いんですか? 早まってはいませんか?」


 おい、お袋。なんて事を言うんだ。仮にもあんたの息子だぞ。


「兄ちゃん、絶対に美緒さんの事泣かせたらダメだからねっ!」


 地元の大学に通うスネかじりの妹まで生意気な口を効く。


「私は茂さんと運命的な出会いをして恋に堕ちました。そしてこの半年間で育んだ愛は決して揺るぎない物だと信じて疑いません」


 よく言った、美緒! それでこそ俺の嫁だ!!


 その夜は親戚一同集まって、呑めや歌えの大騒ぎとなった。一応我が家は本家で俺が長男なので、早くも跡継ぎは男の子が良い、いや女の子だ等と藤崎家の末裔の話にまで及んでいたのには参った。美緒も叔父や叔母、従兄弟連中に粛々とお酌をして回って大変そうだったが、決して嫌そうな顔一つ見せずに終始にこやかな表情で接していたのを見て、俺は美緒を将来の嫁としてますます惚れ込んでしまった。


 そうして除夜の鐘が鳴り、いよいよ今度は俺が美緒の実家へ行く番となる。そう、


「娘さんを下さい」


 と彼女の父親にお願いするのだ。こればかりは一筋縄で行くとは限らない。俺はスーツ姿でビシっと決め、運を天に任せる気持ちで美緒と一緒に新幹線に乗り込んだ。





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