ラッキー・レイニー・レディ 〜雨女とは呼ばせない〜
駿 銘華
第1話 運命の出会いがしら
その日、俺は焦っていた。
朝一番から始まるプレゼン会議に遅れそうだと言うのに、街は梅雨の雨。道ゆく人々の傘が急ぐ俺の視界と行き先を阻む。
俺の頭の中には遅刻してカンカンになった部長の顔が浮かび上がっていた。とある広告代理店に入社して3年目の俺にとって、このプレゼンは将来を分けるターニングポイントともなる重要な物だ。このプロジェクトが決まれば俺の出世は確定、逃せばこのまま平社員の道をまっしぐらと言う事になってしまう。俺はこの日の為に何週間もかけて市場をリサーチし、プレゼン方法の段取りを組み、何度も部屋で自問自答しながら当日の練習をしてきた。
だが、あろう事か前日になって徹夜で作業していたにもかかわらず、つい眠気がしてウトウトしていたら出社時間を過ぎてしまっていたのである。俺はブリーフケースに資料とノートパソコンを詰め込み、スーツを着込むとトレンチコートを羽織ってアパートを後にした。
電車から降りて会社へと向かう。左手には重いブリーフケース、右手には黒いジャンプ傘。雨足は次第に強くなるばかりだ。いっその事タクシーでも使おうかとも思ったが、タクシー乗り場には行列が出来ていたのでそれも諦めた。駅前のビル街を抜け、会社のあるちょっと郊外の地へ早足で向かっていると、信号の無い交差点で左から急に飛び出して来た自転車とぶつかった。
その勢いで俺は盛大にコケてしまい、相手の自転車も転んだ様だった。俺は慌てて立ち上がり、ブリーフケースの中身が無事か確認すると、傘を持って相手の女性の様子を見る。スーツ姿の身なりから見てどうやらOLの様だ。転んだ拍子に膝小僧を擦りむいているみたいで、しきりに手で撫でている。
「あの、大丈夫ですか?」
「あ、はい。すみません。こちらの不注意で」
「いえ、僕も左右確認せずに歩き出しちゃったので。それよりその怪我……」
「大した事ないです。ただのかすり傷です」
「でも、なにかあったら一大事だ。僕はこれから会議で急がなきゃいけないんですけど、もしもの時はここに連絡して下さい。責任はちゃんと取りますから」
俺は自分の携帯電話の番号とメールアドレスが書かれた会社の名刺をその女性に渡し、そそくさとその場を後にした。
出社時間には遅れたものの、プレゼンにはなんとか間に合って、事前の準備が功を奏し、プロジェクトは始動する事になった。部長も、
「よくやったな。これでようやくお前も一人前だ」
と肩を叩いてくれた。一応補佐として先輩の佐々木栄子さんがサポートしてくれる事になったが、肝心なのはこれからだ。クライアントとの会議の連続で細かい詰めをしていかなければならない。だが、ここがクリエイターとしての醍醐味でもある。
帰社時間には雨も止み、綺麗な夕焼け空を見ながら晴れ晴れとした気分でアパートへ向かう。今日は家で一杯やるか。近所のコンビニで酒と肴を買い、帰宅するなり祝杯をあげる。ノートパソコンを開け、これからのプロジェクトについてああでもない、こうでもない、などと思考を巡らせる。こんな時はテレビを見るなり、DVDで映画を観るなりすれば良いのかも知れないが、仕事が趣味の俺にとっては悲しい
知らない相手からだったが、件名は
「今朝自転車でぶつかった者です」
だった。内容を見てみると、
「ちょっとお話がしたいのでお電話してもよろしいですか?」
とあったので、
「もう仕事が終わって家に居ますので大丈夫です」
と返す。すると間もなく彼女の携帯とおぼしき番号から着信が来た。
「もしもし? 藤崎茂さんの携帯電話でよろしいですか?」
「はいそうです」
「私、今朝方自転車でぶつかった安藤美緒と申します。この度は大変ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
「いえいえ。こちらの方こそ不注意で」
「いいえ! あの後あの交差点で確認したんですけど、私の通っていた道には『自転車も停まれ』って標識があったんです。それに自転車で傘をさしていたのも道交法違反だし。ですからあの事故は100%私の責任なんです。それで、もしあの事故が原因でお仕事に差し障りが出ていたとか、お召し物が汚れていたとかあったら弁償したいのですが……」
「そうですか。でも幸い仕事の方は上手く行きましたし、転んだ拍子に濡れたトレンチコートはボロい奴なんで気にしなくていいですよ」
「そんな訳には行きません! せめてお洋服のクリーニング代だけでも出させてもらわないと私の気が済みません!!」
俺は酔っぱらってもう半分出来上がっていたのもあり、また相手の安藤さんとやらがあまりに強く出るので断り切れずに、トレンチコートはクリーニングに出して、後日領収書と引き換えに代金を払ってもらう事になった。ちなみに安藤さんは俺の会社の近くに住んでいるらしく、また勤め先も自転車通勤なので近いそうだ。
後日、クライアントとの打ち合わせが終わって退社時間を過ぎた後に、俺は安藤さんに会う事になった。場所は駅近くのフランチャイズの喫茶店。俺が行くと安藤さんはすでに居て、
「飲み物、何になさいます?」
と聞いて来た。
「あ、良いです。自分で買いますから」
「ダメです! 私の用事でお誘いしたんですから!」
「じゃあ、キャラメルマキアート・トールでお願いします」
「クッキーはいかがですか?」
「結構です」
「じゃ、あそこにお掛けになってお待ち下さい」
どうやらこの安藤さんと言う人はかなり押しの強い女性らしい。喫茶店でクリーニング代の精算が済むと、
「藤崎さん、お夕飯はまだですよね?」
「はあ、これから家に帰って喰うつもりですが」
「ご家族の方とですか?」
「いえ、一人暮らしなんでコンビニ飯です」
「じゃあ、お夕飯ご一緒していただけません? 私も一人暮らしなので」
「構いませんよ」
「お酒は呑まれます? この近所に美味しい居酒屋さんがあるんですよ」
「いいですね、そこ行きましょう」
彼女が連れて行ってくれた店は、木造のロッジ風の小洒落た雰囲気の洋風の創作料理を出す居酒屋で、俺が会社帰りに同僚達と一杯やる小汚い店とは全然違っていた。お酒が入ってちょっと顔が赤くなった安藤さんは、良く見ると結構美人で俺好み。安藤さんは建設会社の経理をやっているそうで、歳は俺より2歳下だと言う事も分かった。
「いいな〜、藤崎さんのお仕事は楽しそうで。私なんか毎日パソコンと電卓とにらめっこの毎日ですよ〜」
おっと、ちょっと酔って来たのか? 安藤さんが仕事の愚痴をこぼしはじめた。
「な〜に言ってるんですか。でも安藤さんみたいな美人さんだったら職場でもモテるでしょう?」
「そんな事ありませんよぉ〜。それに周りの人達はオジさんばっかりの中小企業だし、時々セクハラめいた事されて嫌気が差してるんです」
「それは許せないな〜」
「でしょ〜! いつか訴えてやるんだから、あのハゲオヤジ! それに比べて藤崎さんは優しくて良い人ですね〜。こっちに非があるのに私の事気遣ってくれて。なんかあの時、私感動しちゃいました」
「なぁに、当然のことをしたまでです」
「そう言う男らしい所、良いって思うな〜」
なんかいい雰囲気になって来た。ほぼ初対面にもかかわらず、ここまで意気投合する女性は貴重かも知れない。
彼女がかなり酔っぱらって来たので、お店をおあいそして外に出る。外はまた雨が降り始めている。俺と安藤さんは折りたたみ傘を出して差す。
「私ね〜、雨女なんですよ〜」
「今は梅雨ですよ。雨女も何も関係ないでしょ」
「でもね、ここぞって日に限って雨が降るんです。今まではいい事無いな〜って思ってたんですけど、ようやく良い事に巡り会えました」
「何ですか?」
「藤崎さん、あなたに出会えた事です。またお誘いしても良いですか?」
「ええ、もちろんです。喜んで」
こうして俺と安藤さんとの交流が始まったのであった。
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