「言えない気持ち」④

 悠がおろおろとこの後を思っていると、東雲が口を開いた。


「ふむ。貴様の言うとおりだな。それは今や常識だ」

「せ、先生……」


 悠は正直がっかりしていた。これほどに得体の知れない先生でも、やはりこういった教育の現状に屈するのか、と。


「ぎゃははは! そんじゃあ、この後どうなるかは分かってんよなぁ?」


 東雲の返答に勢いを得て、高峰が堂々と藪を踏み越えてきた。他の二人も、それに続いた。


「ははははは。もちろん、分かっているとも。つまり」

「は?」


 高峰が間抜けな顔を晒した。


「え?」


 悠は呆気に取られていた。

 東雲が、消えた。


「ぎゃあぁぁぁぁ!」


 刹那、高峰の絶叫が、木々を揺らして轟いた。


「つまり、そうさせないようにすればいい。だろ?」

「ぎゃあぁっ! 放せ! 放せぇっ!」


 東雲は、一瞬で高峰のバックに回っていた。そして高峰の腕を、捻り上げている。高峰の肩から、ごり、と嫌な音がした。


「わ、わわ」

「うわ、あ」


 他の二人はどうすることも出来ず、ただその場で固まっている。


「暴力、か。それは、振るったという証拠があれば、だろ?」


 東雲が、ぎぎぎ、と高峰の肩をねじ上げる。高峰の顔が、激痛に歪んでいる。


「痕跡を残さないように暴力を振るうなど、簡単に出来る。貴様がいくら俺に『暴力を振るわれた』と言おうが、俺は知らぬ存ぜぬで押し通す。そこの二名はお前寄り。証言しても信憑性は疑われるだろう。裁判になっても勝てる自信があるぞ、俺には。ふふふふふ」


 ごきん、と高峰の肩が鳴った。


「い、たぁっ……」


 ぱ、と東雲に手を放され、高峰はその場に崩れ落ちた。肩がぶらりと垂れ下がっている。腕にはまるで力がなく、ぷらぷらと揺れていた。


「肩の関節を外した」


 そう言った直後、東雲は二人目に取り掛かっていた。


「わぁっ!」


 またしても、ごき、と鈍い音がした。肩を外された高峰の友達は、声も出せずにうつ伏せに倒れた。


「あぎっ」


 もう一人も、同じようにされてしまった。

 東雲は芋虫のように這い蹲る三人を満足げに見下ろすと、


「さて。『もう虐めはしません』と誓った者から、肩を嵌めてやろう。俺ならば、元通りきれいに嵌める事が可能だ。誓わんなら、そのままだ」


 胸のポケットからセブンスターを取り出して、火を点けた。

 なるほど、と悠は思った。これなら、暴力を振るった痕跡は残らない。


(やっぱり……この先生、とんでもないっ! ……でも……)


 これには一つ問題がある。悠はすぐに気付いていた。


「ち、ちっきしょう……。へ、へへ。でもさ、せんせー。あんた、一つ見落としてるぜ」


 高峰の目が悠を捉えた。


「神原が、見てるじゃんか。そいつが証言すれば……終わりだろ……?」


 脂汗を額に滲ませ声を搾り出す高峰に、悠の肩がびくりと跳ねた。


「うむ。そうだな。どうする、神原? 俺を『暴力教師』として学園に告発するか?」

「えっ……?」


 ふーっと煙を吐き出して、東雲は空を見上げた。


「うっ」


 地面から、悠を見上げる高峰らの視線が突き刺さった。その目は「分かってるよな?」と暗に訴えている。悠は顔を背け、視線を逸らした。


「どうした、神原? 貴様の好きにすればいい。だが――」


 東雲はどうしたものかと躊躇している悠を横目で見て、言葉を切った。東雲の吸うたばこの先端が、赤い光を強くした。悠は東雲の目を真っ直ぐに見つめた。


「――だが、その結果、なにが起ころうとも、間違いなく貴様の選択によるものだ。それだけは忘れるな。だから、ま、月並みな言葉だが……後悔しない選択、ってやつを、することだ」


 東雲はそこまで言い切ると、「ぶはー」と煙を吐いて、ぽりぽりと頭を掻いた。


 ――俺らしくもない。


 その仕草が、悠にはそう言っているように見えた。


「へへ、へ。いいこと、言うぜ、せんせー」


 高峰が不敵に笑った。悠が東雲に与するなど、全く念頭に無いようだ。


 俺たちを裏切れば、どうなるか――。


 高峰はその言葉で、悠にプレッシャーをかけていた。


 しばらく悩んでいた悠が、キッと顔を上げた。


「……わ、分かりました、東雲先生」


 高峰が「よしっ」と口角を吊り上げた。

 だが。直後、高峰の表情が一変した。


「僕、誰にも言いません。このことは、絶対に黙っていることにします」

「な、なんだとっ?」


 悠が、東雲に味方したからだ。


「ほー。俺は、貴様を見損なっていたようだな、神原悠。なかなかに見所がある男じゃあないか。はっはははは!」

「せ、先生」


 東雲に頭をぐしゃぐしゃと撫で回され、悠は顔をしかめた。


「てめぇ……神原ぁ……」


 高峰の顔が怒りに赤く染まった。


「んー?」


 東雲がそんな高峰を、冷酷な瞳で見下ろした。


「で、どうする? 誓わないようなら、もう二、三回、肩を入れ外ししてやるが?」


 ぼきき、と東雲が咥えたばこで指を鳴らした。




 悠は東雲に続いて小道から抜け出した。東雲が振り返り、悠を見つめた。


「男には、戦わ なきゃならない時がある。“誇り”、“家族”、“恋人”、そして、“国家”……」

「……」


 悠は無言で東雲を見返した。顔の傷口からの出血はほぼ止まり、黒い固まりになっている。


「戦え、神原。今のように。大事なものを守りたきゃ、な」


 その言葉は、悠の腹にどすんと落ちた。


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