第3話 消える人々(3)

「どう思う?」


 空は海の横顔を覗き込んだ。


 頭の上から足の指の先まで骨格標本を熱心に観察する海は空の言葉を聞いていなかった。


 松戸が行方不明になったため、生物の授業は再び中止となった。一週間前同様、理科主任の長谷部は生徒たちに教室での自習を言い渡し、ほとんどの生徒が教室へと戻っていったが、空と海は生物室に残った。この日、海は陸と入れ替わっていた。


 ホルマリン漬けの標本を守るために生物室には常に暗幕がおろされている。ジジッ……と蛍光灯鳴き声をあげ続けている。「生物」室とは名ばかりで、澱んだ空気には死の気配が漂う。


「どうだろう。よく出来ているようだから本物の人骨に見えないこともないけど――」


「骨格標本のことじゃなくて、松戸先生のこと! 松戸先生が津田沼校長先生を殺したのかなって」


 裏口入学をあっせんしていたことを咎められ、松戸は逆上して津田沼校長を殺害したのではないかというのが警察の見方だった。警察発表を伝えた新聞記事では、津田沼校長が殺害されたと思われる時間帯に学園の駐車場から慌てて出て行く松戸の車が防犯カメラに録画されているとのことだった。


「本物の人骨だとは言い切れないが、作り物とするには疑問点がある」


 標本の腕の骨を手にとり、感触を確かめる海は空の話に耳を傾けていなかった。


「プラスチックの触感ではないな」


「それじゃあ、何なの?」


 海が断言するものだから、空は俄然標本に興味を持ちだした。空は海が手にしている腕の骨に指を押し当ててみた。プラスチック独特の、硬くてもどこか頼りなげな感触は得られなかった。


「もっと硬い材質、それでいて軽い――」


 海は骨を叩いてみせた。カッカッという高く乾いた音がした。


「石っぽい音だけど」


「石だと重すぎる」


「じゃあ、木?」


「木か……」


「石膏とか、もしかしたら陶器かも」


 空は白くて硬いもので連想した物の名を口にした。


「陶器?」


「頭の部分に割れ目があるから。修理の痕じゃないのかな? 陶器なら簡単に割れそうだし」


 空は頭がい骨を指さした。ミシン目のような割れ目が数か所にあった。


「ああ、それは割れたんじゃなくて、もともと頭がい骨にある縫合線というものだ」


「ホーゴーセン?」


「縫い合わせる線。頭がい骨は複数の骨が組み合わさっているものなんだ。骨同士のつなぎ目を縫合線という」


「これも縫合線?」


 空は後頭部を指示した。ミシン目の縫合線とは明らかに形状の異なる蜘蛛の巣のような細かい傷があった。


 海は後頭部を覗き込み、しばらくの間考えこんでいた。


「これは――割れた痕だ。破片をつなぎあわせたんだんだろうけど……」


「じゃあ、やっぱり陶器なんだ。木だったら、こんな風に割れたりしないよね」


 したり顔で空は海の横顔を見やった。黙り込んでしまったので、海はよほど悔しかったのだろう。空は話題を変えた。


「ねえ、もし、津田沼校長を殺したのが松戸先生だとしたら、七美や聖歌を殺したのも松戸先生ってことになるけど……」


「犯人ではないとは言い切れないが、犯人とするには疑問点がある」


 骨格標本との睨み合いを海は相変わらず続けていた。まるで、陶器ではない証拠を探すかのような鋭い眼差しだった。


「空、この骨格標本、変な名前で呼ばれているだろう?」


「変な名前じゃなくて、ニックネーム」


「それで、何て呼ばれているんだ?」


「ドラちゃん。漫画のキャラクターからじゃないよ」


「ドラちゃん? 何だ、それ?」


 父親が漫画家で、家には漫画がずらりとそろっていて、陸も空も真澄から古典だから絶対に読むようにと勧められた漫画を海は知らないとみえた。


「ドラキュラのドラ。文化祭で吸血鬼の格好させられてるでしょ。それで、疑問って――」


「吸血鬼? マジシャンじゃなかったのか」


「マジシャンって……。まあ、そう見えなくもないけど」


 吸血鬼かとつぶやきながら、海は頭がい骨に開いた眼窩の暗い穴を見据えて何度もうなずいていた。


「それで、疑問点って何? 津田沼校長先生の死亡推定時刻の時間帯に松戸先生の車が駐車場を出て行ったらしいんだけど」


「松戸先生の車が、だろう? 松戸先生が運転していたとは限らない」


 海の指摘に空は黙り込んでしまった。


「だけど、運転していたのは多分、松戸先生だと思う」


「松戸先生が運転していたとは限らないっていったくせに!」


 空は海につっかかった。


「言った。でも、松戸先生以外の人間が運転していた可能性は低いだろう」


「駐車場を慌てて出て行ったというのは、津田沼校長を殺して動揺していたってことじゃないの?」


「約束の時間か何かに遅れそうで急いでたってこともありえる」


「でも、十分怪しいと思うけど。事件のあったその時間に松戸は校舎内にいたってことなんだから」


「事件のあった時間に現場近くにいただけで犯人扱いされたらたまらないよ。現に、山下さんは美術室近くの茶道室にいたそうじゃないか。忘れ物を取りに急いで学園に戻ったってことだけど、何も知らない人が見たら、津田沼校長を殺して慌てて逃げるところだった、に見えないこともない」


「確かに……」


 その様子を想像してみて、空は絶句した。


「でも、海、私はやっぱり松戸先生が怪しいと思う」


 空は八角の間に出現した幽霊の話をした。それから、目撃された幽霊というのは実は七美を襲った犯人ではないかという篤史の推理を披露した。


 海は幽霊すなわち犯人説に特に異論を唱えなかった。


「この間、松戸先生が休みだって伝えに来てくれた長谷部先生を八角の間の幽霊だと思ったんだ。八角の間には幽霊が出るっていう怪談があるから、そのせいだと思ったんだけど、それだけじゃなかった。あの日、長谷部先生は白衣を着てた。全体の人影が白っぽかったせいで、幽霊だって思いこんでしまったんだと思う。松戸先生はいつも白衣を着ている。事件当日、幽霊だって思われてしまった人影は白衣姿の松戸先生だったのじゃないかな……」


「白衣を着ている先生は松戸先生に限らないだろう? 理科主任で化学担当の長谷部先生をはじめとして、理系と数学系の先生たちは白衣を常に身につけている。保健医の野沢先生も白衣姿だし、美術の市川先生もスモックがわりに白衣を着ている」


「市川先生が着ているものは白衣とは言えないんじゃない。絵の具だか何だかで汚れまくってるし」


「そうだな……」


 空に指摘され、海は珍しく素直に間違いを認めた。間違いを犯したのが悔しいのか、それを指摘したのが空だったのが悔しいのか、海は黙り込んでしまった。


「確かに、松戸先生以外にも白衣を着ている先生はいるけど、七美の事件では松戸先生のアリバイはいまいちはっきりしていない。白石先生と一緒にいたって言ってるけど、白石先生と松戸先生は不倫関係にあるから、松戸先生から職員室に一緒にいたって言ってくれって頼まれたら断れないと思うんだ」



 数日後、今度は中等部一年の生徒が行方不明になった。

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