「研究会」

「率直な感想を聞かせてほしいのです」

 私は目の前に立つ女を解釈しようと稼働する。やめておいたほうがいいと頭ではわかっていても、私に巣くう妖怪は自動的に解釈を行ってしまう。解釈を行うことができる余地――その間隙にのみ存在できるがゆえの、妖怪だ。

 感情を排するように努めている固い表情。どこか憂いを帯びている気がするのは、辟易しているからだと解釈する。

「私に考える自由と、それを口にする自由はありません」

 本当のことだ。私は人間と見做されていない。この身に宿した妖怪との仲介と使役のみを目的とした死体と同義。

「構いません。私はそうした存在を相手にしてきました」

 ああ、そうだったな。私は以前に読んだこの女の業績を思い浮かべる。

 氷川稲。特定大規模テロ等特別対策室特務捜査官。

 特定大規模テロ等特別対策室が発足するきっかけとなった、No Any LAW Servant Hazzard事件に直接立ち向かった英雄。

 彼女が戦い、従え、殺した存在――No Any LAW Servant Hazzardもまた、人権を認められない死者として扱われていたという。

 では、稲は私をどう解釈するだろうか。少し意地が悪いとは思いつつ、私は彼女の求めに応じる。

「特テの存続は必要だとは思いますが、少し、長生きをしすぎたとは思います。組織は古びれば綻びが生まれる。もともとNo Any LAW Servant Hazzard対策だけのために発足したはずが、今では魑魅魍魎の相手までさせられている。当初の理念はすでに失われていると言っても過言ではありません。その場しのぎのために作られたはずの組織が、余計な案件を抱き込んで延命している。であれば当然、腐り始める場所は出てくる」

 録音はしていない。していたとしても、この女はそれを公表することはない。私の中の虚無が高速で解釈し続けた氷川稲の問いかけからは、身の危険は導き出されなかった。

「意外ですね。率直な感想、と言うにはお行儀がよすぎる気もしますが」

 よく言う。今の発言が上の耳に入れば、私は即廃棄されてもおかしくない。滅私奉公を命じられた組織への批判など、死体に許されるはずもなかった。

「読心の『スキル』を持っているわけではないようですね。あなたの感想として受け取っておきましょう。そう思っておけば、少しは安心できそうです」

 氷川稲は私が述べた以上の懸念を特テに対して持っている。おそらくは行動に移せば組織を解体しかねないレベルで。最初期から特テに身を置いてきた稲にとって、今の特テは断じて認めることができないのかもしれない。

「雑談はこのあたりにして、手早く要件をすませましょう。私がここに来たのは、単なる伝令です。電波に乗せることも文書に起こすことも憚られる内容をあなたに伝えるために馳せ参じました。念のために確認しておきます。あなたが対峙した〈布引〉という存在に対して、情報防疫班はどういう反応を見せましたか」

「無力化ののち、救出せよ、と」

 私の物言いにも稲は表情を変えない。嘘は言っていないが虚言と同義の言葉の先にあるものを、すっかり見通している。ひょっとすると、私などよりもはるかに。

「彼女の名前は」

鬼島きじま三月みづき

 それは、情報防疫班がずっと捜索を続けてきた女の名前だった。

 鬼島三月――警視庁神田警察署刑事課巡査。情報防疫班が特定大規模テロ等特別対策室内に設置される前身である、日本妖怪愛護協会なる得体の知れない組織に身を置いていた彼女は、かつて日本を襲った「大祭礼」と呼ばれることなる珍事の収束に一役買った。「大祭礼」は一見馬鹿馬鹿しい珍事のように伝わっているが、実態は情報防疫班の設置を必定と認めさせるだけの重大な事件であった。

 鬼島三月はその中でも、いっとう重要な立ち位置にあった。だが彼女は「大祭礼」のあとも、情報防疫班に加わることをせずに警察に身を置き続けた。

 実際は「大祭礼」のこともあって警察内でも謹慎か免職なのかわからないような状態だったらしいが、情報防疫班は彼女の身柄を預かろうと警察にかけ合い続けていたという。だが当の鬼島三月本人がまるで情報防疫班に興味を示さず、できるならば早く警察に戻りたいと願っていたとも聞く。

 そんな中で、鬼島三月はある日突然姿を消した。

 恐れていたことが起きたと、情報防疫班は彼女の捜索を開始した。だが足取りも手がかりもようとして掴めず、常に鬼島三月の捜索を行いながら、情報防疫班は今日まで存続してきた。

 いわく、鬼島三月は私と同じ。

 妖怪に身体を奪われた哀れな犠牲者――の割には、彼女に対して聞かれる評判はどこか間の抜けたものが多かった。事件解決後に日常生活に戻ろうとしていたという話からも、致命的なダメージを負わなかったことが窺われる。彼女の身体を使った妖怪と私を満たしている虚無は領域ドメインが異なる。ならば私のような無惨な成れの果てとならず、人間のまま生還したということもあるのかもしれない。

 ただし――私が自分の目で見た〈布引〉としての鬼島三月は、今の私などよりもよっぽど悲惨なものだったが。

「特定大規模テロ等特別対策室より正式な命令です。鬼島三月と接触し次第、これを排除せよ――と」

 だろうな、とあえて顔に出す。

 情報防疫班が私からの第一報に対して即座に返した指示のあと、これをいったん取り消すとの指示が遅れてもたらされた。電話の向こうの槙島の苦悶の表情が目に浮かぶようだった。

 情報防疫班はあくまで特定大規模テロ等特別対策室内の一部署という位置づけである。情報防疫班による鬼島三月の救出作戦に待ったをかけたとなれば、より強い権限を持つ特テの上層部が動いたことになる。

 氷川稲が現れたことも示唆的だ。彼女は立ち上げ当初の特テの象徴。現在の上層部とも強いパイプを持つ。

 だから、稲が開口一番に「特テの現状をどう思うか」と聞いてきた時点で、私は彼女にあらゆる解釈を試み続けなければならなくなった。解釈をし続けることで稼働する私という存在に意味ありげな質問を投げかける行為は、挑戦とも揺さぶりとも受け取れる。そこでまた解釈を繰り返すことも織り込み済みならば、彼女は私の本質をよくわかっている。

 解釈し続けなければ生きられないが――当然、生きることは苦痛でしかない。的確に私に苦痛を与える方法を知っていたのなら、ずいぶんと悪質な性格をしている。

「さて。どこにもデータも文書も残らない口頭で伝令に来た以上、言ってはならないことを言っても調べる方法はないということですね」

 来るものが来た。私の中で続いていた解釈によって導き出された仮説こたえ。氷川稲の立場。最初の問いかけ。彼女の持つ理念。組み合わせて崩し、咀嚼して嚥下。

「鬼島三月を改造した者がいます」

「改造――ですか」

 面白い言い方だが、悪趣味でもある。稲もニュアンスの加減を見極めて言葉を選んでいる。

「ええ。彼女が肉体を妖怪へと置換されたのは一時的なものであり、大祭礼以降の彼女の肉体に異変は見受けられなかったと聞きます」

〈布引〉の言葉が別物へと変わっていた時の発言を思い出す。

「妖怪を、強制的に再現した」

「おそらくは。それが百鬼ドライバーなるデバイスによるものか、あるいはもっと深刻な問題なのかの判断はあなたにお任せすることになるとは思いますが」

「カッパ製薬の〈ディスク〉システムと類似した点も見受けられました。ですが――あの情報量は限定呼称〈河童〉に収まるレベルではありません」

 カッパ製薬の〈ディスク〉システムは、対象を〈河童〉と限定し固定することで実現した。情報流を強引に河童に当てはめることで、カッパ製薬の利益を目的とした現在の仕組みを構築している。CCCドライバー、PCDドライバーと一見似たような構造の百鬼ドライバーだが、あれが扱える情報のストリームは限定された〈河童〉などとは桁違いだ。

「〈ディスク〉システムを開発し、CCCドライバーの技術提供を行った者はカッパ製薬の人間ではありません」

「その人物が、鬼島三月を改造したと」

 つい話を先に進めてしまう。稲のほうも私が即座に話のつながりに気付くと予想していたらしく、特に難色を示すことなく頷いた。

「人物、という言い方は正確ではありません。その団体は自らを、『研究会』と呼んでいます」

 なんとも漠然とした呼び方だ。だが普遍的な呼称をあえて用いることは、呼称そのものを畏怖の対象へと変えてしまうこともできる。意味の変換と掌握が可能であると自負しているからこその、「研究会」という呼称。

「『研究会』は特テが以前からマークしていますが、実態の掴めない部分があまりに多いとされてきました。ですが」

 稲はそこで表情を変える。笑ったようにさえ見える、嫌悪の吐き捨て。

「特テ内部に、すでに『研究会』は入り込んでいると思われます」

 これか。稲がわざわざこんな地方にまで足を運んだ理由は。

「それを、私に伝える理由は」

「さあ。どうぞご自由に解釈してください」

 稲は私に背中を向けて歩き始めた。河川敷で二人、川を眺めながらの話はこれで終わり。あとは私で勝手にやれというわけだ。

 私は稲を見送りながら、川の中から這い出てきた限定呼称〈河童〉形成準位フォーマに一瞥をくれる。

 河童はほどけた紐のようになって川に流されていった。

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