第10話「突然の追走者」

 ユーティス村から、直線距離にして30km。街道かいどうをまっすぐ王都へ向かえば、その途中に大きな中枢都市がある。イオタ達が街と言えば、大都会バイゼルハイムを指した。城壁に囲まれ、周囲の危険から守られた立派な城塞都市である。

 今、イオタは愛車CR-Zでゆっくりと街道を走っていた。

 ウィンカーを出して、荷馬車を追い越してゆく。

 隣では、少し退屈そうに頬杖ほおづえをついて、カレラが窓の外の景色を眺めていた。


「意外ね、イオタ」

「なにがです?」

「すっごい安全運転。なんだか心地よくて、少し眠くなってくるわ」

「そりゃどうも」


 カレラが同乗すると言い出した、そのことのほうがイオタには意外だと思う。

 以前に七聖輪セブンスの大ファンであるデルタから、話を聞いたことがある。紅一点のカレラは物凄い美少女で、自分の運転意外では龍走騎dragoonに乗ることはない。龍操者ドラグランナーとしてのプライドがそうさせるのだそうだ。

 だが、今のカレラは少しルーズなワンピース姿で隣にいる。

 リラックスしているのか、とても表情が柔らかい。

 その、あくびをこらえる濡れた視線に、イオタはどきりとした。

 だが、そんな二人の間に後ろから身を乗り出してくる人物がいた。


「眠いなら場所、代わりましょうか! 後ろで横になったらどうかなあ、カレラさん」


 リトナはフラットな目で、じっとりカレラを見やる。

 少し不機嫌なのには訳がある。

 CR-Zの助手席ナビシートはいつも、リトナの指定席なのだ。こうして街に出る時も、必ずリトナはついてくる。街でしか買えないものもあるし、遊びたいざかりの14歳には都会が華やかに見えるのだろう。

 だが、今日はカレラがいる。

 しかも、彼女のたっての願いで特等席を明け渡してしまったのだ。


「ふふ、ごめんねリトナ。もう少し、隣でイオタの運転を見たいの」

「あっ、そーですか!」

「それに、この手の龍走騎dragoonは後ろが狭いの。だから、それもごめん」

「別にいいですけどぉ……確かに狭いですけど。でもカレラさん、ちっちゃいから大丈夫だと思うなあ」


 ビキッ! と音がしたような気がして、カレラが片眉かたまゆ痙攣けいれんさせる。

 藪蛇やぶへびだと思ったのか、素直にリトナは再び後部座席へ引っ込んだ。

 この二人の奇妙なやり取りは、朝からずっと続いている。

 不思議だと思う半面、イオタはなんだか面白くて心が温まった。

 外を見やれば、左右の畑で今日も農夫達が汗を流している。遠く山脈は雲をいただき、その向こうにある魔王軍との戦争など微塵みじんも感じさせない。

 昼前の穏やかな時間、快晴に恵まれ空も高かった。


「っと、ひつじだ」


 飼い主に誘導され、羊の群れが道を横断している。

 メェメェと鳴く声が、右から左にへと絶え間ない。CR-Zを停車させたイオタは、ギアをニュートラルに入れて縁陣エンジンの魔力を切る。これは少しかかるかもしれない……だが、約束の時間までには余裕があった。

 のんびりと羊を眺めていると、数えてもいないのにイオタを眠気が襲う。

 だが、隣のカレラはどこか愉快そうに目を細めていた。


「普段はカッ飛ばさないタイプかしら?」

「ええ、まあ。カレラさんと同じですよ。バトル以外で、無理にスピードを出す必要はないですし。時間にも余裕があって、急ぎでもない。そういう時は、全ての道で龍走騎dragoonは人や獣に譲ってもいいと思ってます」

「奇遇ね、私も同じよ。それに……普通に運転してても、見れば龍操者ドラグランナーの腕がわかるもの」


 カレラの目的は、イオタの運転技術を真横で見ることだ。

 そして、十分に納得と満足が得られたらしい。

 村を出発してからずっと、イオタはありもしない制限速度を守るように走った。


「なにがわかるんです?」

「まず、操作がなめらかね。シフトアップ、シフトダウン、ハンドリング、加速と減速……淀みなく流れるようだわ」

「特に意識したことはないですけど」

「なら、身体で覚えた技術なのかしら。イオタ、運転はどこで?」


 女の子の、それもすこぶる綺麗な娘に興味を持たれるのは嫌じゃない。

 背後から突き刺さるような視線を感じるが、悪くない気分だ。

 イオタは自分でも思い出すように記憶を掘り出し、一つしかない心当たりを語った。


「俺がいた時代は、龍走騎dragoon……自動車っていうんですけど、それが当たり前の世界でした。毎日大量の自動車が行き交うし、物流は勿論もちろんレンタルや売り買い、レース競技も盛んでしたよ」

「夢みたいな時代ね。私ならきっと、毎日道を見てても飽きないと思うわ」

「で、その……ゲーム、って言ったらわかりますかね? 自動車のゲームがあるんです」

「あら、私もゲームは好きよ? カードかしら、それともボード? 身体を動かす類のものもあるわね」

「いえ、そういうやつじゃなくて……テレビゲームっていう、んー……絵の中の自動車を操作する遊びです。絵が動くんですよ、俺の時代は」

「まあ……凄いじゃない。それで運転技術を?」

「まあ、おおむね。あとは、よく父さんの運転を見てましたよ」


 イオタの家には、今乗ってるものと同じCR-Zがあった。母はいつも、もっと広くて荷物の積める車がいいのに、と笑っていた。CR-Zは忙しく働く父にとって、大切な車だった。マイカーである以上に趣味だったのだ。

 イオタはずっと、後部座席から楽しそうな両親を見ていた。

 二人はイオタに愛情を注いでくれたし、特に父は自動車のことを熱心に教えてくれたのだ。それが今、遥か遠い未来の地で、龍となって吼え荒ぶ自動車に乗っている。

 なにか不思議なえにしを感じるし、懐かしめば望郷の念が身をもたげる。


「ま、そんな訳で運転免許も持ってなかったし、本物の自動車も全然……あ、いや、えっと……ちょっとしか。父さんのCR-Zを、車庫から出し入れするくらい、それだけですよ」

「そう。でも、センスがあったみたいじゃない? それに、キミは速い。それは、私が入れ込む理由としては当然過ぎるほどだわ」


 やはり、まだカレラはイオタとのバトルを切望しているようだ。

 そして、不思議とイオタも彼女と走ってみたい。

 不死鳥フェニックスの翼を燃やして走る、真っ赤なポルシェ……七聖輪セブンスの一人として走るカレラと、バトルがしてみたい。そこには、性別や年齢、人種さえ関係がなかった。

 過去から来たイオタは、ハイエルフの美少女龍操者ドラグランナーとのバトルを近い未来に感じていた。

 背後で悲鳴が叫ばれたのは、そんな時だった。


「イオタッ! カレラさんも! あれ!」


 振り返れば、遠く後ろの方で異変が起きていた。

 今まで走ってきた道の向こう……小さな林が森へと続く中から、巨大なモンスターが躍り出たのだ。それは、まるで戦車のように田畑を踏み荒らしてこっちへ向き直る。

 ちょっとした龍走騎ドラグーンよりも大きく、その全身に茶色い毛並みを逆立てていた。

 それは、見るも立派な牙のいのししだ。


「やだ、タイラントボア! 大きい……!」

「この辺じゃ珍しくないけど、あの大きさは」

「ね、ねえ! あのモンスター、すっごく怒ってない? 腹ペコなのかなあ」


 呑気なことをリトナが呟くが、すぐにカレラはドアを空けて外に降り立つ。

 彼女は、かざした手にバチバチと電撃を集め始めた。

 だが、魔法を使うのを躊躇ためらう。

 逃げ惑う農夫を追い散らしながら、タイラントボアはこちらの方へと向き直った。


「っ、駄目ね! この距離じゃ、百姓達にも当たっちゃう」


 すでにもう、羊の行進を眺めてる場合ではなかった。

 歯噛みするカレラに、イオタも縁陣エンジンの魔力を呼び出しながら叫んだ。


「ルシファー、頼むっ! すぐに全速力だ」

「了解です、マスター。でも、どうやって……このままでは、田畑は勿論ですが、農民達も危険です」

「だね。ならさ! カレラさんっ、魔法であいつの注意を引けますか?」


 すぐに阿吽あうんの呼吸で、カレラはイオタの考えを察してくれた。

 逃げ惑う羊を背に、彼女は空へ向けて強力な稲光を解き放つ。魔法で生み出された雷光が、空気を焦がして走った。

 タイラントボアがこちらに気づく。

 その巨体をかすめるようにして、カレラの魔法は空の向こうへと消えた。

 だが、その電撃に込めたカレラの意思を、タイラントボアは危険と判断する。

 後ろ足で何度も地面を蹴り上げながら、撃ち出された砲弾のようにタイラントボアが走り出した。ぐんぐん迫る形相は、憤怒に鼻息も荒い。


「カレラさん、乗ってっ! ベルト! リトナも!」


 ルシファーの力を、ボンネットの下に強く感じた。

 その時にはもう、イオタはアクセル全開で走り出していた。前輪がホイルスピンで吼えて、わずかに土埃を舞い上げる。

 クロス気味のギアを効率よくシフトアップしあんがら、イオタは走り出した。

 その背後に、今にも追突せんとする勢いでタイラントボアが近付く。


「回りの人から引き離すのはいいとして、カレラさんっ! なにか手があるんですか?」

「手はある、あるはずよ! なにか考えるから、今はこの子を走らせて!」

「ハイエルフなんですよね!? もっと強い魔法でドカーンと」

「バカッ! 街道が滅茶苦茶になっちゃう!」


 隣に乗り込むカレラと叫び合う間、リトナはシートベルトをして身を縮こまらせていた。その後ろにはもう、追いつかん勢いで獣が唸っている。

 バイゼルハイムの街までは、小さな丘があるだけ……そこには、巨大な渓谷を渡る鉄橋がかけられている。長い長い直線道路だが、現地の人間はダンジョン扱いしていた。何故なら、ゴブリンやコボルトの待ち伏せがあるからだ。

 いくらか金品をばらまいて、その隙に逃げられたら幸運だ。

 積荷の強奪は勿論、身ぐるみ剥がされて殺される者もあとをたたない。


「とりあえず、この先……『突風谷ノ大橋堡トップウダニノダイキョウホ』を通過すれば、街は目と鼻の先だ! それまでに頼みますよ、カレラさんっ!」

「いいから前見て運転してっ! ……さーて、どうしたもんかな。街道を傷付けずに、やつだけを……そんな都合のいい魔法、あるかどうか」


 デス・レースが始まった。

 タイラントボアは気性が荒く、家畜や農作物を食い荒らす。あれだけの巨体ともなれば、牛一頭を平らげるという話も嘘とは思えない。

 イオタは記憶の中にある猛獣に震えながら、必至でハンドルを握って走り出した。

 カーナビの代わりに顔を映すルシファーも、心なしか今日は緊張しているように見えた。

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