第5話「祝祭の只中へ」

 大陸を両断するように流れる大河は、天然の城壁。山脈と共に、魔王軍の支配領域から人間を守ってくれる。そして、このかわを超えて勇者達は戦いへと向かうのだ。

 必定、銀水晶ノ交易洞ギンズイショウノコウエキドウは交通と国防の要衝といえた。

 だが、この場所にはもう一つ、特別な意味がある。

 モンスターも徘徊はいかいする危険な洞窟は、速さを求める龍操者ドラグランナー達にとって、格好のバトルステージなのだった。


「なんかにぎやかだね、イオタ。も、ベルト外していい?」

「だーめ、止まるまではシートベルトしといてよ」


 細く華奢きゃしゃな身体をバケットシートに沈めたまま、リトナがシートベルトを少し緩める。

 パラレルドリフトでの全開走行が続いたが、不思議とイオタは疲労を感じなかった。集中力と緊張感を維持したまま、気持ちは平静で落ち着いている。きっと、となりにいてくれるリトナが車内の空気をおだやかにしてくれているのだ。

 カレラのポルシェが脇に寄って停車したので、イオタもそれにならう。

 洞窟前は広場のように開けており、並ぶ商店の周囲が賑わっていた。


「ここが、銀水晶ノ交易洞……なんか、ちょっとしたお祭り騒ぎだな」


 月夜の星空よりなお明るい、広場の喧騒。

 その奥に、ぽっかりと暗黒の洞が口を空けている。

 この先の大きな河を渡るための、巨大洞窟だ。

 客引きの女達もきらびやかだが、やはり目を引くのは無数の龍走騎ドラグーン……そこかしこでエンジンを温めながら、龍はあるじ達の命令を待って静かに震えている。

 どうやらこのダンジョンもまた、バトルのメッカとして盛り上がっているようだ。

 物珍しそうなリトナにひっつかれていると、カレラがポルシェから降りて振り返る。


「やっぱり私の目に狂いはないわね。いい腕……しびれたわ、ふふ」


 カレラはわずかに上気したほおに、笑みを浮かべた。

 とても挑戦的で、気取らぬ無邪気な笑顔に見えた。

 だが、後ろから見ていてイオタは思い知った……やはり彼女は、この世界でトップクラスの龍操者ドラグランナーだ。七聖輪セブンスで唯一の女性龍操者ドラグランナーであり、人間界でも珍しいハイエルフ。そうした彼女をしめす全てが、孤高の女王を飾るアクセサリーのようだった。

 そして、カレラのまぶしさは、血筋や肩書を必要としない程に際立きわだっている。

 周囲の誰もが、歩き出した彼女を振り向きささやきを連鎖させた。


「お、おいっ! あれ……カレラ・エリクセンじゃねえか?」

「ああ? カレラって、七聖輪セブンスのか? あんなただのガキがか」

「いや、エルフだから若く見え……いや、幼く……顔だけは幼く見えるんだって」

「あれは間違いねぇ、七聖輪のカレラだ。前に俺、バトルでブッチ切られたことがあるからな。忘れねえよ、かわいい顔して……いや、本当にかわいくて、くそぅ」


 思わずイオタは、カレラの数歩あとを離れて歩く。この異様な空気に、リトナもおっかなびっくり身を寄せてきた。がっちり腕を抱きしめられてしまい、そのまま彼女をぶら下げるようにしてイオタは進む。

 前方に、騒がしい人だかりが盛り上がってるのが見えた。

 そして、そこからは兄貴分のデルタの声が響く。


手前てめぇっ、まともにバトルもできないのかよ! さっきのはなんだ? ああ?」

「おいおい、負けて難癖なんくせなんかつけるなよ」

「卑怯だろぉが! 龍操者ドラグランナーの誇りは、プライドはねぇのか!」

「へへっ、卑怯は敗者の戯言たわごとだぜ……せいぜいえてな、恥の上塗りだけどよぉ!」


 言い争う声の片方は、デルタだ。しかも、怒りに声を荒げている。対するもう一人の声は、薄笑いをまじえた冷酷な響きを伝えてくる。

 カレラが「ちょっとゴメン、通して」と言うだけで、人垣ひとがきが左右に割れた。

 そして、イオタは目撃する……うずくまるデルタと、その腕に抱かれた巨大な魔獣を。それは、彼のランエボファイブに招かれた縁陣エンジンの召喚獣、グリフォンだ。勇猛果敢ゆうもうかかん猛禽獣もうきんじゅうは今、ぐったりとデルタの腕の中で動かない。

 思わずイオタは駆け寄り、屈んでグリフォンに触れてみる。


「デルタの兄貴! ……よかった、グリフォンは無事だね」

「おお、イオタッ! 無事なものかよ、こいつ……俺が無茶したから、こいつが」


 パワフルでメリハリのきいた走りが、デルタの信条だ。ムラっ気があって大雑把おおざっぱなところもあるが、彼は本当に縁陣エンジンを信頼していたし、グリフォンもよくなついていた。

 だが、縁陣エンジンつかさどる魔獣がここまでダメージを受けるのは、珍しい。

 龍走騎ドラグーン同士のバトルは速さを競うもので、直接攻撃はタブーとされているからだ。

 デルタが小さく囁くと、グリフォンは光となって消える。ランエボⅤのエンジンルーム、縁陣エンジンの構築された結界の中へ帰ったのだ。

 それを見ていた目の前の男は、鼻を鳴らしてニヤリと笑う。

 大柄でスキンヘッド、そしてへびのような眼光がイオタをめつけてきた。さらにデルタを見やって鼻を鳴らす。


「恨むなよ、あんちゃん……俺が挑んでお前が受けた、受けたバトルの勝敗はお前の責任だぜ」

「……そりゃ、まともなバトルならな。さっきのはなんだ、ええ?」

「さっきの? ああ、バトルにはアクシデントがつきものさ、クククッ!」


 いきり立つデルタを、イオタはリトナと共に必死で止めた。

 デルタは喧嘩けんかっぱやいが、喧嘩が強いわけではないのだ。そして、龍操者ドラグランナー同士が勝敗を決するのは、走りだ……こぶしや剣を交えるのであれば、それはもう自ら負けを宣言したに等しい。

 共に走って競い、バトルの勝敗だけが全てを分かつ。

 それが地上を疾駆する龍の主、龍操者ドラグランナーに課せられた唯一の法なのである。

 ヒートアップする周囲の視線を吸い込み、カレラが男の前に出た。


「ここを仕切ってるのはあなたかしら? 少し、バトルに場所を借りたいのだけど」

「おっと、こいつぁ……七聖輪セブンスのカレラちゃんじゃねえか、へへ。間近に見ると、いいじゃねえか」


 まるで舐め回すような男の視線が、カレラの全身にくまなく触れてくる。隣にいるイオタにも、その不快な湿度のようなものが感じられた。

 だが、カレラは涼しい顔で動じず要件を切り出す。


「私は誰のバトルにも口を出す気はないわ。ただ、熱く燃えるバトルがしたいだけ……こっちの彼とね」


 クイと親指で指さされて、周囲の視線はイオタに集中した。

 そんな彼を守るように、ぎゅむと抱きつくリトナが身を固くする。


「おいおい、カレラちゃぁん? ここは誰の場所でもねえ。馬車が来りゃ道をゆずるし、俺達が集まるのも夜からさ。好きに使いな……でもよぉ! このガキとバトル? 熱く燃える? 七聖輪セブンスが笑っちまうぜ!」

「そうかしら?」

「ああ! 七聖輪セブンスを名乗るなら、相手の格にも気をつけなきゃなあ……俺とどうだい? ここのレコードホルダー、カローラのザベッジとな!」


 周囲で、ザベッジの取り巻きと思われる男女が歓声を上げる。

 イオタは、彼の後方で静かにアイドリングする龍走騎ドラグーンに意識を吸い込まれた。確かにカローラ……イオタが生きていた時代では、比較的安価なファミリーカーである。走りのモデルではなく、あくまで快適性を追求した街乗り用の車だ。

 だが、縁陣エンジンを宿した龍走騎ドラグーンに生まれ変われば、旧世紀の常識は通用しない。

 そして、イオタの記憶力が特別な一台を思い出させていた。

 思わず彼は、ゆっくりリトナを引き離すや、カローラに歩み寄る。


「このカローラ……フロントライトが丸いタイプは、欧州で流通していたタイプだな。でも、このワイドなタイヤ間距離トレッドは。まさかこれ、WRなんじゃ」

「ああ? おいおい小僧、俺の龍走騎ドラグーンに触るんじゃねえよ」

「すみません、見るだけ……見るだけですから。でも、凄い……こんな車が掘り出されて、あまつさえ復元されて走ってるなんて」


 WRカーとは、世界ラリー選手権World Rally ChampionshipことWRCを戦うために造られたスペシャルな一台である。本来はカローラも、イオタのCR-Zと同じFF駆動である。だが、WRカーのカローラは見た目以外は別物だ。駆動方式は4WDに置き換えられ、当時はターボエンジンが300馬力を叩き出していた。

 過酷なラリーを戦い抜く、勝利を約束されたマシン……それがWRカーなのである。

 勿論もちろん、レース車両なので一般には販売されてはいない。

 あきれるようなリトナの溜息を聴いても、イオタの興奮は収まらなかった。

 だが、不意にカレラが妙なことを言い出し、周囲の人間も驚きの声をあげた。


「ええと、ザベッジ? だっけ? いいわよ……ただし、

「おいおい、真剣マジかよ……おいみんなぁ! 聴いたな? 聴いたよなあ! 俺はこれから、七聖輪セブンスのカレラとバトルする! 伝説がはじまるぜえ、俺のなあ!」

「だから、その前にイオタに勝てたらって言ったでしょ? やるの? やらないの?」

「やるっ! 決まってんだろぉ!」


 無論、イオタの意思など確認されなかった。

 あわててカレラに詰め寄ると、彼女は涼しい顔で悪びれない。


「お膳立ぜんだてしたげたわよ? 仇討かたきうち、するんでしょ?」

「そんなこと言ってませんよ、俺は!」

「そう? ……じゃあ、その握った拳を振り上げるのかしら? それはできない、しないはず……よね?」

「それは、そうですけど」


 不意にグイとカレラが顔を近付けてきた。

 耳元で囁かれれば、ふわりといい匂いが鼻孔をくすぐる。

 まるで、花園はなぞのに包まれたように甘やかだ。

 彼女はイオタにしか聴こえない声で、静かに言い放つ。その言葉は、鼓膜を震わせ奥の奥まで忍び込んで……頭ではなく、胸の奥に火をつける。


うわさを思い出したの。ザベッジって、バトル荒しで有名なギルドの頭よ」

「ギルド? ああ、龍操者ドラグランナー同士で集まった」

「そう。連中のギルド名は、ヘルクライヤーズ……あちこちで有名なギルドがやられてるわ。でも、私は七聖輪セブンスの一人だから、表立っては連中を叩けない」


 バトルすれば楽勝だけど、と付け加えることをカレラは忘れない。その上で、ちらりとザベッジを見やりながらさらに声をひそめる。彼女の熱い吐息が肌をでた。


「嫌ならいいわ。勿論、私とのバトルもね……ただ、あなたはまだ自分でも気付いていないだけよ。この瞬間に燃やしている怒りにも、バトルに魅了されてる自分にも」

「それは、そんな」

「あとね、誰かが走らなきゃ……デルタが無理してリターンマッチを始めそうだし。それに、面白そうじゃない? 私の御眼鏡おめがねにかなう男ってこと、もう一度だけ見せて。ね?」


 ニッコリ笑うカレラが、小悪魔に見えた。

 ドギマギしてしまうイオタだったが、不意に二人の間にリトナが割って入る。彼女は、自分より小さくスタイルのいいカレラを見下ろし、両手を広げて「むー!」とうなった。

 そうこうしている間に、周囲がバトルの準備に動き出してしまった。

 銀水晶ノ交易洞はすぐさま行き来が制限され、ザベッジのギルドメンバー達が交通整理を始める。流通の大動脈は今、一時その血流を忘れ……喰い合う龍と龍とを招き入れようとしていた。

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