3.恋と戦争は手段を選ばないのよ

 中甲板ちゅうかんぱんは博物館の様相。中央展示室では展示ケースの中に東郷さんの軍服や日本海海戦の海戦図、戦艦三笠の模型なんかが解説とともに展示されている。

 人の流れに流されるままに向かったその一角で、えると合流した。えるはバルチック艦隊の辿った航路を示した地図を眺めていた。

 バルト海を発った艦隊は大西洋を南下して、喜望峰を経由する主隊とスエズ運河を越える支隊に分裂、マダガスカル島で合流して北上、さらにベトナムで後続の部隊が合流……地球を1周するような大長征だ。

 もちろんずっと航海しているというわけにはいかなくて、補給やメンテナンスのために定期的に港に立ち寄る必要がある。でも、当時日本と同盟関係にあったイギリスがバルチック艦隊の寄港地に圧力をかけて補給やメンテナンスを妨害した。おかげでただでさえ長旅の艦隊は疲労困憊、戦力面で劣る連合艦隊でも十分に勝ち目があったのだ。……というのは、ガイドさんの受け売りだけど。


「戦争は広義の外交っていうけど、外交の失敗のツケを流血で支払うってことじゃなくて、こういうことをいうのかもね」

「んー……。行く先々で妨害するイギリスのえげつなさも計算に織り込んでいたんだとしたら、明治の人たちも相当にえげつないな……」

「人と人とが殺し合うのにえげつなくないわけないでしょ。恋と戦争は手段を選ばないのよ、イギリスでも日本でもね」


 ガイドツアーはまだ続くみたいだけど、私たちは途中で抜けてゆっくり展示を見ることにした。

 左舷の艦首側からぐるりと反時計回りに展示されているみたいで、バルチック艦隊の航路の次には日本海海戦の経過の解説にスペースが割かれている。その先に展示されている実物の艦首飾のサイズに圧倒されつつ、視界の端に気になる文言をとらえた。


「VR日本海海戦だって」

「へえ。やってみたら?」


 えるはそっけない口ぶりだけど、私は今日イチで興味をそそられていた。だって、VRって体験したことないから……。

 スペースの近くには待機列形成のためのベルトパーテーションが設置されていたけど、ブースのひとつくらいは常にあいているような状態で、待ち時間はゼロ。ちょうど空いてる時間帯だったのかな。

 ブースに着席してゴーグルを装着してみると、目の前に夕景の海原が広がり、炎上しつつ沈んでいく戦艦が目に入った。それとともに印象的なナレーションが流れ込んでくる。ゴーグルを着けている感覚や椅子に座っている感覚が確かで、全身が映像の世界に飛び込んでしまったというような没入感はない。でも、視線を落とすとそこには椅子やテーブルではなく三笠艦橋の手すりがあって、自分が映像の中に立っているというちぐはぐな感覚を覚えた。

 映像は途中からだったみたいで、場面が移って講和をさわりだけ解説すると、青空と海原の景色が始まった。まもなく海戦が始まって、砲火の爆音、屹立する水しぶき、飛び交う指示と応答が目と耳とを捉えて離さない。

 未知の体験というよりは、馴染んだ感覚がさらに一歩前に踏み込んだような……。作り物と現実との境界線に、消しゴムがかけられている。

 なによりも記憶に残ったのは、


「ナレーションが薩摩なまりだった」

「なにそれ。東郷平八郎が鹿児島出身だから?」

「たぶん。映像はね、次は4DXで体験したい感じかな」

「全部盛りかよ……」

「でもそういう映画いつか実現しそうじゃない?」

「それはまあ、そうだけど」


 中央展示室から、左舷ひだりげん側の通路に出る。そこでは日露戦争の頃から第二次世界大戦、そして現代に至るまでの艦船の模型が、ショーケースの中に並べてずらりと展示されていた。


「あらまあ、これが艦隊これくしょんですか」


 えるが感心したふうに言った。


「すごーい。私、模型とかジオラマとかって憧れるとこあるんだよね」

「設定厨でシチュエーション偏重だもんね」

「それは……関係ないよ。たぶん……」


 はっきり否定できなかったのは、なんとなく通じる部分があると思っていたから。微に入り細を穿つような造形やここぞというワンシーンに全力を注ぐ模型やジオラマには感動を覚える。でも、漫画で同じような力の入れ方をすると、シーンがストーリーとちぐはぐになったりキャラクターがにっちもさっちもいかなくなったりする。私はそういう失敗ばかりしていた気がする。


 艦尾側に向かうと、司令官や艦長の公室が再現されていた。絨毯の上に並ぶ調度品はアンティーク調で、ともすればここが軍艦の中だってことを忘れてしまいそうなくらい。猫足バスタブなんて私初めて見たよ! 水兵や下級士官はそれぞれの持ち場でハンモックを吊って寝るそうだから、それと比べると天と地の差だ。


「船の中だとさすがに手狭ねえ」

「でも明治の平均身長って今より低いでしょ? ちょうどよかったのかも」

「それもそっか。士官なら家が裕福で栄養状態もいいからもうちょっと高いかもだけど……」


 えるの身長で手狭とかある? とは思っても言わなかった。

 あとで調べてみたら、明治30年代の平均身長は160センチ弱くらい。東郷さんは153センチ程度と小柄で、さほど窮屈には感じなかったかもしれない。


 中甲板最後部、長官公室には三笠保存会のおじさんがいて、4人組の女性に熱心な解説をしていた。私はそれに聞き耳を立てて、えるは絨毯の踏み心地が気になっているみたいだった。

 司令官の部屋が艦の最後尾にあるのは、日本海軍が経験しなかった帆船時代の名残なんだとか。帆船の舵輪は艦尾側にあって、一番大事な場所だから司令官の居場所もそこ。もちろん将旗も艦尾に掲げる。

 この艦をいまに伝える意義、現代に生きる私たちが心がけるべきこと。そういう話を交えながら語るおじさんに対する反応は、感心しつつもちょっと引き気味だった。押しが強いと引いちゃうよね、と思いつつ、他方私はそれだけの思い入れと熱量をもったおじさんのことをなんだか尊いなとも感じていた。


          *


 三笠を降りて、その姿を振り向いて眺めてみる。おもちゃみたいだと思ったその船体に、無数に刻まれ積み重なった歴史の重みを見た。

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