2.この、濃厚さ……。ミルクの……バブみ?

 神宮会館ロビーの喫茶スペースで時間を潰して、バスで外宮げくうに向かった。ここからは内宮ないくうのほうが近いけれど、伊勢神宮は基本的に外宮から参拝するものなのだ。

 が、ここで旅程変更。


「うわー、やらかしだあ……。ほんとに申し訳ない……」


 外宮域内の勾玉池まがたまいけを望む休憩所のベンチに座って、私はがっくりと肩を落とした。ここは6月には花菖蒲はなしょうぶが美しいことで有名だけれど、季節外れではいささか寂しく見えてしまう。

 ……あ、でもコイとカメがいる。かわいいな。


 どうして私が肩を落としているのかといえば、それは参拝前に立ち寄るつもりでいた「せんぐう館」が臨時休業中だったから。昨年の台風で館内に浸水したそうで、復旧がいつになるかもわからない。

 せんぐう館は神宮式年遷宮にまつわる資料を展示し伝えるための博物館。正殿の原寸大模型や御装束神宝調製おんしょうぞくしんぽうちょうせいの技は一見の価値あり……なのに。


 3回ほど溜息をついたところで、カメを見つめて硬直させていたえるが立ち上がった。


「くよくよするのは5秒で十分。さ、お参りしましょ」


 ……まあ、沈んだ顔で神さまに向き合うわけにもいかないよね。



          *



 外宮はその正式名称を豊受大神宮とようけだいじんぐうという。

 祭神は豊受大御神とようけおおみかみ。内宮の天照大御神あまてらすおおみかみの食事を司る御饌津神みけつかみで、雄略ゆうりゃく天皇の夢枕に立った天照さんが「ひとりでゴハンって落ち着かないから、豊受ちゃん呼んでよぉ。おねがあい」と言いつけた(こんなにフランクな言い方だったかは知らない)のが創建の由来だという。夢に死んだ祖父母が出るのはよく聞く話だけど、昔の人はよく神様が出たのかな。

 ……皇族なら天照さんは遠い遠いおばあちゃんみたいなもんか。


 参道の砂利はざくざく、ざくざくと至るところで鳴る。参拝客が無数に訪れているものだから、神域に似合いの静寂は一向に訪れない。

 そんな中でも木々と水の匂いが漂うのは心地よく感じられる。先日の雨のおかげだろうか。


「神聖さを感じられない」


 えるは眉根を寄せてぴしゃりと言い放った。


「早朝なら人が少なくていい雰囲気らしいんだけどね」


 外宮・内宮ともに開門は午前5時。電車もバスも始発前だ。

 いつか泊まりで参拝に来て、神宮の清澄な空気を存分に味わえたらいいな。


 しばらく歩いて、正宮の近くに来た。

 正宮のそばには三ツ石というパワースポットがある。小さな四方を囲われたダグトリオみたいな3つの石で、手をかざすと温もりを感じられるんだとか。入れ替わり立ち替わり、参拝客が手をかざしている。

 ただ、ここはお祓いをするための場所で、手をかざしたりするのは罰当たりなんじゃないかという話もあって、私達は横目に見つつ素通りした。


 正宮の向かいにある池を渡る橋は亀石といって、これまたパワースポットとして知られている。大きな石の一端にある出っ張った部分は、確かに亀の頭に見える。その上には数枚の五円玉が載せられていた。


「べつにご利益りやくはないと思うなあ……」


 頭って。……へへ。


「なに笑ってるの」

「なんでもないよ」


 亀石を渡った先には3つの別宮がある。

 基本的に正宮をお参りしたあとに別宮をお参りするものだそうだけれど、私たちはそれを把握していなかったのでうかつにも別宮を先に参拝してしまった。

 いやでも、メインディッシュは最後に残しておきたくならない? あるいは、ボスキャラは最後に構えるものみたいな感覚……って、私はどうして墓穴を掘っているんだ? 

 ……ともあれ、お参りしちゃったものは仕方ない。


 別宮から正宮へ、来た道を戻った。正宮の右隣には、小さな小屋がぽつりと佇む広い空き地がある。ここは新御敷地しんみしきちといって、遷宮前の社殿が建っていた場所。そして次の遷宮で新しい社殿を建てるための用地でもある。

 そんな新御敷地を横目に、正殿にお参りする。

 神様にはお願いじゃなくて、挨拶とお礼をした。私は柏手かしわでがヘタクソで、いつもぺちぺちと情けない音を出してしまう。神様も呆れているかもしれない。


 参拝を終えたら、御朱印を貰いに行く。

 神楽殿に向かうと、3人の宮司さんが対応する窓口に十数人の行列ができていた。御朱印ブームと言われる昨今だけれど、伊勢神宮くらいの大神社ともなるとこれくらいの列はざらなんだろうか。

 後ろに並んだカップルの男のほうは「メルカリで買ったほうが合理的じゃない?」なんて言っている。デリカシーの欠片もないことを平気で言うのは合理的じゃないなあ。


 私みたいな人種は列に並ぶことには慣れっこだから、順番が回ってくるのはあっという間だった。

 伊勢神宮の御朱印はごくシンプルで、神社印と参拝年月日の墨書きだけ。しかしながら宮司さんの力強くもスマートな筆運びには自然とため息が漏れる。

 初穂料300円を納めつつ、緩む頬をがんばって抑えた。


「まーただらしない顔して」


 えるはあきれ顔だった。



          *



 外宮前のバス乗り場から内宮まで行けるけれど、参拝をサクサク進めてしまっても味気ない。伊勢市駅前まで外宮参道を歩いて向かう。

 外宮参道から伊勢市駅にかけては以前の式年遷宮に合わせてリニューアルしていて、綺麗な石畳が続いている。おしゃれなレストランやカフェ、土産物屋が立ち並ぶスポットだから、ここでランチにしたり、お土産を探すのも悪くない。


 私とえるは地元企業・山村乳業の直営店『山村みるくがっこう』に立ち寄った。昔ながらのビン牛乳やミルクを使ったソフトクリームが楽しめるお店で、ここのビン牛乳は映画『テルマエ・ロマエ』で阿部寛が飲んだことで知られているとかいないとか。

 私はコーヒー牛乳、えるはブラウンシュガーコーンのソフトクリームを注文した。店舗の前にベンチとして設置されている小学校用の椅子に座っていただくことにする。私にはこの椅子は小さいけど、えるにはちょうどいいみたいだった。思っても言わないけどね。


「ん……コーヒーの味だ……」

「コーヒー飲んでその感想はひどい」

「違うんだよ、それだけコーヒーの味が明瞭だったの」


 黒一色よりも、白地に黒を描いたほうがより黒が目立つように、ミルクの存在がコーヒーの味を深めている。普段は砂糖多めのコーヒー牛乳を飲んでいる私には、それはより明らかに感じられた。

 半分ほど飲んで一息ついた私は、ふと、えるの手にあるソフトクリームに目を向けた。


「……ねえ」

「欲しいなら食レポしなさい」

「あ、え、……欲しいなんて言ってないよ」

「あらそう。さっさと食べちゃうわね」

「あッ、待って、欲しいです食レポします」

「よろしい。一口だけよ」


 差し出されたソフトクリームにはラスクが刺さっている。これでクリームをすくって一緒に食べるとさぞやおいしいに違いない……けど、さすがにそれをするのは非道すぎる。ちょっと遠慮がちに、舌で舐め取った。

 ひんやりとした感覚とともに、ミルクの濃厚な甘みが口の中に広がる。食レポ、食レポ……。

 きっと、この一口には婉曲やてらいは必要ない。甘い。おいしい。よろこび、うれしさ……。


「なんだろう……この、濃厚さ……。ミルクの……バブみ?」


 言って後悔した。このバブみって言葉はネット上じゃ当たり前のように使われているけれど、実際に発音してみるとこっぱずかしいったらない。


「牛の乳にそれ感じるの? 牛か?」


 と、そこにえるの言葉が突き刺さるのでした。


          *


 山村みるくがっこうから少し歩いたところにあるのが、およそ100年前に創業した老舗旅館・山田館。当時の佇まいを残したレトロな外観はエモエモのエモなので一見の価値アリ。個人的には泊まるなら神宮会館よりもこっちかな。


 雑貨や土産物を眺めながらさらに歩いていくと、やがて道路の先に鳥居が見えてくる。そこが伊勢市駅の駅前広場で、奥には伊勢市駅の新しい駅舎がある。昔の姿を残し続ける宇治山田駅とは対照的に、伊勢の雰囲気を守りつつもシンプルでさっぱりした印象だ。

 次はここから内宮に向かう……つもりだったけど、せんぐう館に行けなかったことはやっぱり惜しい。だから予定変更、せんぐう館の代わりに神宮徴古館じんぐうちょうこかんに行く。

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