モンスターへ乾杯! ~ギターの鬼 アベフトシ~

青い向日葵

ミッシェルガンエレファントとアベフトシに捧ぐ

 地上波に、9年前に亡くなったギタリストが、現役のミュージシャンと並んで当たり前のように映し出され、紹介された。今年の夏の出来事だ。

 その夜、瞬く間に彼の名はTwitterのトレンドに上がり、ファンは熱くなった。


 数か月前の雑誌の特集「ニッポンの偉大なギタリスト100」でも、もうどんなに願ってもそのパフォーマンスを見ることが出来ない亡き人である彼が、普通に8位という上位にランクインしていたことは記憶に新しい。ファンは見開きの2ページをただ読みたくて、ギターを弾かない主婦でさえ、書店へ走り、専門誌を購入した。


 彼の名は、アベフトシ。日本のガレージロックの金字塔とも言えるthee michelle gun elephant(ミッシェル ガン エレファント)のギタリストとしては1991年から2003年まで活動し、日本の音楽史上に揺るぎない伝説を打ち立てた、魅力溢れる人物である。


 しかし、生身の彼を知るファンとしては、伝説という文言は時に邪魔になる。だって、今もその鮮やかな音と、時折見せるあの太陽のような笑顔と不器用なまでに素朴な人柄と、長身痩躯の特徴的で端麗な容姿は、私たちの心の中で色褪せることなく生き続けているからだ。


 あのマシンガンと言われる力強いカッティングに打ちのめされてギターを弾き始めたという人は今でも絶えず、本人が活躍していた頃にはまだ生まれてさえいなかった若者までも「かっこいい!」とたちまち虜になるギタリスト。こんな人が他に居るだろうか。少なくとも、日本人奏者の中では、唯一無二の圧倒的な個性である。


 9年前の夏の日蝕の日に、突然の事故により、42歳という若さで神に攫われてしまったギターヒーローは、耐え難い悲しみと、ひたすらに美しい思い出だけを残して、星になった。


 ミッシェル解散の後、いくつかのバンドでサポートを試みるも思うようなギターを弾く場が見つからず、故郷へ帰り、実家の家業でもあった塗装の仕事をしていたという彼に、同郷の吉川晃司さんが声を掛け、酔った勢いの喧嘩から始まった友情のもと、アベさんが翌朝に謝罪の電話をかける形で誘いに応え、ツアーのサポートメンバーとなった。久しぶりの大舞台。次の公演も予定が決まっていた矢先の、誰ひとり予想もしない悲劇だった。


 本当に、今でも悪い冗談ではないのかと疑ってしまうほどの突然の訃報は、彼を知る人々を文字通り、暗闇に叩き落としたのである。

 あれから9年。早すぎて、数字が合っているのかどうか何度も確かめてしまう。

 アベさんのイメージはずっと、憧れのお兄さんという感じだったのに、私も遂に彼の年齢を超えてしまい、昔の写真しかない彼の若々しい笑顔を見る度に切なく、複雑な気持ちになる。


 昔のバンドメンバーの面々は、それぞれ今も第一線で素晴らしい音楽を奏でている。そのことが何よりの救いであり、きっと星になったアベさんも、いろんな会場へ素敵な音楽を聴きに飛び回っているだろうと、この頃は思うようになった。


 私は暫くの間、彼の訃報も含めて、いろんな要因が重なって、音楽の現場から遠ざかっていた。

 家庭のことに手一杯で、仕事場でCDをかけることが許されている時だけ、自分の好きな音楽を控えめに鳴らした。ロックは、大音量で頭蓋骨を揺らす音楽だと知っていながら、何となく何かに遠慮して、私は自分を見失い、彷徨うように息を潜めて生きた。


 身体は生きていても心は死ぬことがあると、私は身近な人を見て現実としてよく知っていたのに、自分を守ることが出来なかった。

 免疫疾患の発病、療養の為の退職、子供の成長、出会いと別れがあって、また独りになって、がんじがらめの自由の中で私は、ある時ふと懐かしいライヴハウスへ足を向けた。


 20年近くのブランクを空けて、若い頃、そのステージを観てあまりの凄さに放心したあの偉大なミュージシャンが、(そう、ギタリストのアベさんと並ぶ長身のすらりとした姿と、同郷であることからファンの間で「広島ツインタワー」と呼ばれ親しまれたミッシェルのベーシスト、ウエノコウジさんである!)とても近いところで演奏した後、物販に移動、にわかに信じ難いけれど同じ目線に居て、「ありがとうね」と握手をしてくれた。


 その温かさと柔らかさに驚く。弦楽器を掻き鳴らす人の手はもっと硬くて無骨なイメージだったが、ウエノさんの手は優しさの塊のようで、ふんわりと癒される握手だった。

 緊張で挙動がおかしくなるのを抑えつつ、やっとのことで「とても久しぶりに会いに来ました」と目を合わせて告げると、「また遊びに来てよね」と、微笑みとともに気さくに返してくれて。

 気がつけば、私は時空を越えて、あの好きなものだけ追いかけて精一杯生きていた頃の自分に戻っていた。


 それからは、再び音楽が日常に戻って来た。時々でも、楽しいだけの時間、自分と仲間だけの共有、明日への期待、そんな歓びしかない空間に身を置いて、音楽に人生を捧げた人たちの渾身の演奏を目の当たりにする。

 私も毎日を丁寧に生きなければ、と心から思って、温かな気持ちで帰路に就く。

 そうやって、これからも生きてゆこうと思えた。


 星になった人の気持ちを想像してみる。

 大切な家族や友人たちと突然に別れなければならなかった理不尽。何の準備もなかった死という虚無への旅立ちは、きっと孤独なものだっただろう。

 わけもわからぬまま、泣き崩れる愛しい者たちに囲まれて、未知の世界へ旅立たなければならないなんて、おそらく後ろ髪引かれるという程度では済まない。隙あらば戻って来て、仲間たちに混ざりたい。多分そう。あの人は、すぐ傍に居る。


 オカルトではなくて、ものの例えのようにしてそんなふうに考えると、周りの世界も変わってくる。輝きを増して、愛しいものに見えてくる。今は、それでいい。

 地上に降りてきて、大切な仲間が悲しみに暮れていたら、もし私が死者なら自責の念に苦しむだろう。

 だから私たちは、無駄に沈んでいてはいけない。生きていれば悲しいこともあるけれど、暫く悲しみに耽ったなら、また前を向いて歩くしかない。


 いつ何処で、知らず知らず愛しい人とすれ違うかわからないのなら、この世界を穏やかに微笑んで歩きたい。

 安心して待っていてほしい。また同じ次元で会える日を。だから、私は仲間を見つけて、まだもう少し楽しみを重ねて生きる。

 機会があれば、同じ思いの人たちと乾杯しよう。スターというより、ギターを持ったまま生死を超えて愛される、笑顔が優しいモンスターへ。

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