初仕事は疲れた

 笑いが収まったあと、トラックに積み込む作業を教わった。商品を抜くのは寺坂さんで、私は伝票を読み上げてチェックする係だ。

 伝票はB6サイズくらいの横長で、左上には取引先の名前が書いてあり、商品名が書かれている欄は1ページあたり6行。

 チェックリストの時とは違って棚番の代わりに取引先を読み上げ、そのあとに商品名と数量を読み上げ、一番右のふたつあるチェック欄の左側にシャチハタを押す。商品がなかった場合は数量にバツを付けて下折りに、入荷待ちの場合は数量の左側に小さく〈入〉と記入してから上折りにし、余白に商品名を記入すると教わった。

 入荷待ちや商品の有無は社員がその場で教えてくれるんだって。

 で、全部チェックが終わったら、右上の隅に四つある出荷確認欄の一番右側にシャチハタを押すんだとか。


 トラックに積み込む順番は、先にトラックの前に並べた調味料類や食品類と冷蔵庫の中のもの(全部ひっくるめて乾物・冷蔵という)を取引先ごとにダンボールに入れて積み込み、最後に冷凍食品を大きな保冷バッグに入れていくんだそうだ。

 人によっては先に冷凍食品を入れる人もいるけど、どっちを先にやるにしろ、冷凍ものは必ず保冷バッグに入れるのが基本なんだとか。

 そう教わったあとで読み上げ始めたのはいいんだけど……また漢字の罠ですよ、ええ。今度は当て字と難しい漢字です。そのせいで読めない取引先があったのだ。


「さかなさかな……」

「その三文字で 魚肴菜さかなな」

「マジですか!」


 とか。


「びん……へい……?」

「どれ? ああ、 こしきって読むんだ」

「おー……読めませんよ、これ……」


 とか。『金の猿』と書いて『そんごくう』って読むお店もあった。


瑞鳳ずいほうは読めるのに、なんで甑は読めないんだ? 俺はそっちのほうが読めなかったぞ?」

「いやいやいや、当て字とか普段使わないような漢字は、その読み方を最初から知っているか、そのお店に行ったことがないと読めませんって」


 本やネット小説で見たことがある漢字ならある程度ルビが振ってあるから読めるし、ネット小説ならわからない漢字はコピペして検索すればすぐに知ることができる。

 けど、地元じゃない場所の個人経営のお店は、取引先だったりお店に行ったことがなければ名前を読めない。地元のお店だって、なんて読むかわからないのもあるのに。

 そう伝えたら納得してくれた。

 漢字の罠と、英語の罠(恥ずかしいけど、学生時代の英語の成績は最悪だった)に嵌まりつつ。けど、寺坂さんが担当しているルートだからなのか、読めない取引先は最初の一言で教えてくれるから、本当にありがたかった。英語どころか、イタリア語まであったけどね!


 取引先ごとに仕分けしてトラックに積んだあとは、空いたプラコンやブルーシート、プラコンや商品の下に敷いていたすのこを一旦片付けて脇によけておく。


「日陰になったからブルーシートはいらないよ」


 それを全て片付け、大きなゴミを拾ったりして簡単に掃除した。寺坂さんをはじめとした社員が出発したあと、酒瓶ケースをどこにしまうのかとか、どうしていいかわからず誰かに聞きに行こうとしたら、平塚さんが「お昼だよ~」と呼びに来てくれたので助かった。


「このケースはどこにあったやつですか?」

「私たちはこっちに置いてるよ~。今後も使うことになるから、一緒に置いとくといいよ~」


 こっちだよ~と言われ、ケースをふたつ持って案内された場所に置くと、二人で更衣室に行ってお弁当を持って食堂(といっても大きくはない)へと行く。自販機があったのでお茶を買った。

 お弁当は保冷剤を入れて来たから傷んでないし、冷蔵庫やレンジもあった。

 夏は冷蔵庫の中に入れさせてもらおうかな、なんて考えていたら「お弁当一緒にあっためるよ~」と言ってくれたので、その言葉に甘えて一緒に温めてもらう。

 お弁当を食べながら平塚さんにご飯後の仕事を聞くと、用意されているチェックリストを見て二回目の配達(二便というそうだ)用の商品を抜いたり、入荷して来た商品を棚に積んだりする作業をするそうだ。午前中と違って冷凍庫の商品は残っている男性社員が抜いて、私たちは乾物・冷蔵の商品だけを抜けばいいらしい。

 入荷した商品を棚に積んだりするのは二便がない時で、忙しい時は商品を抜くだけで定時になるんだとか。忙しいのは月初と金曜と土曜、月曜。日曜・祝日や連休の前後は二便があるそうだ。

 今日は月初で金曜だから忙しいらしい。


「そう言えば、防寒着は会社で用意してくれるって聞いたんですけど、それまでは自分で用意するんですか?」

「しなくていいよ~。そのうちくれるし、防寒着が来るまで冷凍庫に入ることはないから~。合格の連絡をもらった時、サイズ聞かれなかった~?」

「あ、はい、聞かれました」

「なら、そのうち上重所長か野田さんに渡されると思うよ~。あ、野田さんは事務をしてる社員さんで~、ショートボブの細い人ね~」


 また知らない名前が出て来たと思ったら、どんな人か教えてくれた。そこに細い女性が現れた。


「あら。二人ともお疲れ様です」

「お疲れ様です」

「お疲れ様です~。お~、噂をすれば~」

「噂って……。いったいどんな噂してたんですか」

「防寒着のことを聞かれたから~、べっちちゃんにそのことと~、野田っちのことを教えてたの~」

「そうでしたか。野田です。雀ちゃん、よろしくね!」

「よろしくお願いします。って、す、雀ちゃん!?」


 初日から名前呼びってどうなんですか⁉ しかも今、クスッて笑いましたよね? なんで!?


「奥澤主任と寺坂主任から聞いたわよ? 『ちみっちゃい』って二人に言われて『誰が名前と一緒で雀みたいにチビですかっ!』って突っ込み入れたんだって? あと、『 干焼蝦仁カンシャオシャーレンをエビチリソースって言ってた』って聞いたけど?」

「お~、干焼蝦仁は知らな~い。私も今度、エビチリソースって言ってみようかな~?」

「ぎゃぁーーー! 平塚さん、やめてください!」


 あの二人は何してくれちゃってるんですか!


「突っ込みの件は諦めたほうがいいかも。既に全員知ってるから」

「そうね~。エビチリソースは言わないでおくよ~」

「……本当に勘弁して下さいよぉ……」

「「でも、雀ちゃん呼びは確定だと思うから(~)、覚悟しといたほうがいいよ(~)」」

「うぅ……今日一日で、私の黒歴史が築かれていく……。もう、HPもMPもゼロです……」


 テーブルに突っ伏してぼやいたら、二人にクスクス笑われた。


「お笑い芸人みたいな面白い返しや突っ込みをするから、からかわれたり笑われたりするのよ」

「確かに~。うちの会社には今までいなかったタイプだよね~。でも~、面白いから許す~」

「誰がお笑い芸人かっ!」

「ほら、それよそれ」

「……はっ!!」


 自分の言動が原因かと再びテーブルに突っ伏す。


「そのままどんどん突っ込みを入れてね」

「私も突っ込まれるよう頑張る~」

「いやいやいや、頑張るとこ違いますよね⁉」

「わ~い! 早速突っ込まれた~。嬉しい~♪」


 そんな話をしていたらあっという間に休憩時間も終わり、午後の仕事となった。

 事務所にいる男性社員の一人(平賀さんと名乗った)にチェックリストをもらう。担当するのは寺坂さんの分だった。


「ホワイトボードに貼られてる人の仕事を一日フォローするのが基本だよ。慣れてくれば二人分になったりするけど、雀ちゃんは当分の間は寺坂主任か奥澤主任、どっちかのフォローになると思う。それと、二便の冷凍庫は自分らがやるから、乾物・冷蔵を頼むね。集めた商品は台車に乗せて、台車ごと寺坂主任のトラックがあったとこに置いて、チェックリストを入れといて」

「はい」


 平賀さんにも雀ちゃん呼びされたよ……とがっくりしながら事務所を出ると、台車にプラコンを乗せて移動を始め、改めて倉庫内を見る。


 真ん中は広い空間が広がっていて、両サイドに商品が置いてある棚が壁際を含めて左右に三列ずつあり、段は三段だったり四段だったり、中には二段のもある。

 壁際以外の二列は背中合わせになっているから、結局商品棚は五列ずつあることになる。

 そしてさっきまで真ん中にはトラックが三台あった。

 その正面には大きな扉があってそこだけはまだ入っていないから、あの中が冷凍庫なんだろう。

 ちなみに冷蔵庫はその扉の右側で、少し奥まった場所に扉がある。もちろん、冷蔵庫に行くまでの間には、壁に沿って商品棚があった。

 更にその右側にはホワイトボートやプラコン、ブルーシートが置いてある場所があり、事務所に続く扉もその近くにある。

 外の駐車場も、今朝見た時とは違い、今はトラックが一台もないのでさっきまでの喧騒が嘘みたいに静かだった。おかげで、道路を走る車の音やBGMとしてかかっている有線放送、外でチュンチュンと囀ずる雀の声が聞こえる。

 ……確かに外の雀のように囀ずっていたわ、私。


「……さて、集めますか」


 そう小さく呟いて商品集めを始める。わからないのは山田さん、平塚さん、森さんに聞いて、届かないのは近くにあった酒瓶ケースに乗って取る。それでも届かなかった商品はチェックリストに丸をつけ、尚且つ恥を偲んで『届きませんでした』と書いた。

 もちろん、事務所の中にいた平賀さんにもそう伝えたら、爆笑されながら「寺坂主任に伝えとくよ」と言われた。そこまでやって、だいたい定時の十五分前。

 お姉様方と一緒に掃除してだいたい三時過ぎ。タイムカードに時間を打刻すると、「お先に失礼します」と四人で告げ、更衣室に戻る。

 エプロンを脱ぎながら雑談して、忘れ物がないか確認して外に出た。他の三人とは帰る方向が違うから、「また明日ね~」と別れて帰宅した。

 

「つっかれたー!」


 リビングダイニングに置いてあるソファーにドサリと座りこむ。ほとんど立ちっぱなしの仕事だったから足の裏は痛いし、腰も重い。恐らくぽっちゃりな体型のせいもあるんだろう……私の身長に対する標準体重は10キロ近く先だ。


「……もっと痩せなきゃ」


 そう呟いて立ち上がると、洗濯物を入れるべくベランダへと向かう。窓が東南の方向を向いているからか西日が差すことがないのは嬉しいし、最上階である七階の東側の角部屋だから、窓を二ヶ所開けると風が通り抜けて気持ちいい。

 ちなみにこのマンションは横に長い建物で、二棟仲良く横一列に並んでいる。四階から上は通路で繋がっている、面白い構造のマンションだ。

 東側に建っているのは単身者向けの1LDKや2DKが多く、西側に建っているのは2LDKや3LDKの家族向けが中心だと、兄から聞いた。

 あくまでも単身者向けと家族向けなのであって、単身者向けの場所に夫婦で住んだり、家族向けの場所に単身者が入居しても構わないそうだ。実際、そういった感じで住んでる人がいるそうだし。

 洗濯物を取り込んで、それを畳むと箪笥にしまう。空気を入れ換えるために、しばらく窓は開けっ放しだ。

 ご飯をどうしようかと冷蔵庫を開けると、お昼に持って行ったお弁当のおかずの残りが見える。夜はこれにして、食べる直前に温めればいいかとコーヒーを淹れ、寒くなって来たので窓を閉めた。

 それを持ってソファーに座り、コーヒーを一口啜ると布団のない炬燵の上に置いてソファーに寝そべり、今日のことを思い出す。


 前の会社に入るまでは、家族や友人によく突っ込みを入れていた。でも社会人になってからどんどん自分に余裕がなくなって、前の会社の人たちはどこか冷めた感じだったから余計に隙を見せられなくて、小さいって言われても言い返すことも突っ込みを入れることもなく、『そうなんですよ』なんて笑って誤魔化していた。

 でも、今度の会社の人たちは人数が少ないせいなのか全員の仲が良くて、なんだか温かいっていうかアットホームな感じで、どんどん話しかけてくれることにどこかホッとしたのだ……途中から自分の素が出るほどに。


「仕事中にあんなに喋って笑って、突っ込みを入れたのなんて、久しぶりだったなあ……」


 やっぱり前の会社は合わなかったんだ、地元に帰って来てよかったなあ……と、また一口コーヒーを啜りながら、何かあって辞めるまで、これから頑張ろうと決めた。


 翌日。出勤すると平塚さんと野田さんの予言(?)通り、全員に名前を絡めた突っ込みの話と、なぜかエビチリソースの話までもが知れ渡っていて、平塚さん以外の全員から名前呼びをされて。


「寺坂さん、奥澤さん! なんでバラすんですかーーー!!」


 と、朝から事務所で二人の顔を見て叫んだ私は悪くない!


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