ドSな師匠と指輪と私

饕餮

バイトだけど、就職できた

 四月初めの、日差しが眩しい午前八時半。爽やかな朝で少し肌寒くはあるが、暑くなりそうな日差しが降り注いでいる。


 今日は初出勤。

 途中入社になる私は、今日からこの会社にお世話になる。


 自宅は会社から見えるマンションで、徒歩五分圏内。そして会社の周りは住宅と小さな町工場が点在していて、小学校も近くにある。会社の隣は所謂大衆食堂で、小さいころは家族とよく来たっけ。


 今日からお世話になる場所を道路から眺めてみる。


 向かって左手奥の駐車場には従業員が乗って来たらしい自家用車と、予備なのかこの会社のロゴとカラーが入っているトラックが二台あった。同じ場所にある駐輪場には自転車とバイクが数台ずつ見える。

 建物の前の広い駐車場には、やはり会社のロゴとカラーが入ったトラックがずらりと並んでいて、私から見えるトラックのうしろの扉の前には商品が並べられている。

 時々、薄緑色にも薄いブルーにも見えるシャツにネクタイをし、黒いスラックスを履いている男性が青い箱やダンボールをその扉の前に並べていることから、あれが会社で扱っている商品なんだろうと察した。

 それを眺めていたら、面接をした 上重かみしげさんが近寄って来たので挨拶をする。


「おはようございます。今日からお世話になります」

「おはよう! まず更衣室とロッカーから案内するよ」


 先に歩き出した上重さん――この倉庫の所長のうしろをついて行く。入ってすぐに扉があり、そこをノックしていた。

 返事のあとで中から扉が開き、そこに通されると部屋の中には三十代後半から四十代前半の人が三人いた。


「今日からだよ。園部さんです」

園部そのべ  すずめと申します。よろしくお願いいたします」


 頭を下げて自己紹介をすると、相手の女性三人も名乗ってくれた。

 三人とも153センチの私よりも10センチほど背が高く、ライトブラウンでベリーショートの人が山田さん。

 黒髪でパーマをかけた髪をクリップで纏めているのが平塚さん。

 肩までの長さのダークブラウンでパーマをかけてるのが森さん。

 ロッカーの場所を聞いて荷物を入れ、ボールペンとカッター、エプロンを出して身につける。これらは服を汚さないための措置のようで、合格の連絡をもらった時に用意するように言われた。

 シャチハタ印も必要なんだけど、会社から支給されると聞いていたので用意はしてない。まあ、何かあったら困るからと一応予備に持って来ているので、それも一緒に出しておいた。

 ちなみに服装は自由で、制服があるのは社員だけなんだそうだ。装飾品もOKだけど、商品に入っても困るし無くしても責任が取れないから、結婚指輪や婚約指輪以外はできるだけしないほうがいいと面接の時に言われていたので、身に着けて来ていない。

 ただ、更衣室にいた三人はピアスやネックレスをしているから、必ずしもダメということではなく、自己責任でということなんだろう。

 着替え終わると小銭入れと水筒と手拭いを出して水筒以外をエプロンのポケットに入れ、ロッカーに鍵をかける。手拭いはマイブームで、ハンカチやタオルよりも乾きが早くて楽だから使うようにしてる。

 更衣室を出ると、今度は事務所にあるタイムカードの場所を教わって打刻し、所長にシャチハタ印を渡された。次に倉庫に繋がっているドアをくぐるとそこの横の壁には小さなホワイトボードがあり、黒字と赤字のネームプレートが貼り付けてあった。

 所長によると黒字が社員で、この人たちが取引先に配達をしたり事務仕事をしているそうだ。そして赤字が私たちパートやバイトの名前で、社員の横に貼ってあった。

 中には社員同士でネームプレートが貼ってあって私の名前と同じ場所にあることから、この人たちが事務仕事をしているんだろうと思う。念のため質問したら、その通りだと教えてくれた。


「園部さんの左横にあるこの黒字の名前の人が、園部さんが手伝う人だよ。入社して一ヶ月は主任以上の役職者が仕事を教えるけど、基本的に毎日違うから、毎朝確認してね。今日は…… 寺坂てらさかか……大丈夫かな……」

「寺坂さん?」

「ああ、寺坂は主任だよ。あとで紹介するから、彼から仕事を教わってね。名前や顔はいきなり全員は覚えられないだろうから、ボードを見ながら確認して。毎朝朝礼があるから、すぐに覚えられると思うよ」

「はい、わかりました」

「じゃあ、一旦事務所に行こうか。朝礼で紹介するから」

「はい」


 所長の言葉に返事をして事務所に戻ると『朝礼を始めるぞー』と放送がかかり、全員が集まると朝礼が始まった。事務所内にあった壁掛け時計を見ると始業の十分前だったから、この時間にやるんだろう。

 そして近くで見てわかったんだけど、薄緑色か薄いブルーのシャツだと思ったら、白地に薄緑色とグレーの極細ストライプが入ったシャツだった。

 注意事項やサンプルなどの話をしたあと、今日から一緒に働くことになると皆に紹介された。ずらりと並んだ人たちを見ると、おば……いやいや、お姉様たちも含めて全員私よりも身長が高く、男性に至ってはどう見ても180近くかそれ以上あるように見える。

 うう……みんな身長が高いから、なんだか威圧感があって怖いなあ。やっていけるんだろうかと不安になる。

 ……初日から偏見はダメだよね。緊張するけど、まずはしっかりと挨拶をしないと!


「今日からお世話になります、園部 雀と申します。よろしくお願いします」


 頭を下げて挨拶すると、全員から「よろしく」の言葉と拍手をもらった。そして朝礼が終わると、所長が「寺坂ー、こっちに来て!」と呼んでいる。さっき私の名前の横に貼ってあった名前と同じだ。


「寺坂、今日は頼むね。いろいろ教えてあげて」

「わかりました。寺坂です。よろしくね」

「よろしくお願いします」


 にっこり笑った顔とジェルで固めたらしいツンツン頭の短髪は彼にとてもよく似合っていて、爽やかに見える。声もテノールより少し低めで、ちょっと私好みの声だ。

 面接の時に、受かれば私が一番年下になるというのは聞いていたから彼が年上なのは確実だけど、いくつかわからない。パッと見は私より少し上に見えるけど……どうだろう。

 そして偶然目に入った左薬指には、銀色に光る指輪。モテそうな容姿と雰囲気だし結婚してて当然か~なんて思いつつ、前の会社と元カレのことを思い出し、恋はもういいや、一人で生きて行こうなんて考えていたら。


「チェックリストを持ってくるから、ここで待ってて」

「はい」


 そう声をかけられたので横を通りすぎる社員の邪魔にならないようはじっこに寄ると、待っている間にこれまでのことを思い出す。



 ***



 私が今日から勤め始める会社は業務用食品を扱っていて、有名ホテルや個人経営のレストラン、小規模の居酒屋チェーン店や個人経営の居酒屋に商品を卸しているそうだ。配達は自社トラックでしていて、自分が担当している配達ルートの店舗から注文を受けた男性社員が商品を用意し、各店舗に配達しているという。

 この倉庫の従業員は私を含めて二十三人しかいないけど、会社としての規模は全国展開していると面接の時に聞いた。

 この倉庫では男性が十七人と女性が六人で、男性は全員社員。女性のうち二人が社員で残りの私を含めた四人がパートやアルバイトだ。

 しかも八月で二十七になるというのに、私は社員ではなくアルバイトなのが情けないが、仕事があっただけありがたいと思う。社員は男性しか募集がなかったんだから、仕方がない。

 パートやアルバイトは午前九時から午後三時までと勤務時間が決まっている。月末の棚卸がある日は五時とか六時までかかることもあるらしい。

 勤務は基本的に週休二日のシフト制で、日曜祝日が完全にお休み。あとはお盆休みとお正月休みがあるそうだ。

 暇なのは火、水、木曜日なので日曜以外の休みをその曜日のどれかに入れ、それ以外で用事がある時は前以て休日届けを出せば、他の曜日でも休めるそうだ。私は独身だし、よっぽどじゃないと急用はないので、お任せにした。

 お昼は三十分と短い。まあ、一回目(一便というそうだ)のトラックが出発するまでは忙しいと聞いているし、一便が出てからお昼ご飯になるそうなんだけど、そのあともいろいろとやることがあるそうだ。勤務時間を考えると、お昼ご飯が食べられるだけマシだと思う。


 以前の私は従業員百人規模の会社に勤めていた。けれど、そういった会社には良くも悪くもパートさんたちを含めた女性の派閥みたいなのがあって、ご近所さんの全てが仲良しみたいな場所まちから出て来た私には、どうにも馴染めなかった。

 小さな虐めやセクハラ、モラハラもあってそれらのことに対し、二年近く我慢した。その時付き合っていた彼に浮気されて別れた(付き合い始めて一ヶ月もたっていなかった)こともある。

 精神的にも肉体的にも限界を感じていて、ストレスで暴飲暴食して十キロ以上太ってしまった私は、もう無理だと辞表を叩きつける勢いで上司に提出した。

 もちろん、今は地元に戻って来ている。

 家を継いだ十歳年上の長兄に「実家に戻って来い」と言われたけど、既に奥さんも子供もいるのに邪魔したり気を使わせたりするのは気が引けて遠慮した。でも、明らかに様変わりしてしまった私の姿を見た 義姉あねに、「落ち着くまでここにいなさい!」と半強制的に実家に連れ戻され、一年間半くらいは兄夫婦や両親を手伝いながら過ごした。

 その間にダイエットしながらハローワークに通いつめ、今の会社に就職することができたのは本当にラッキーだった。

 体重もなんとか元の体重近くまで戻したけどまだまだ太めで、なぜか胸のサイズが戻らなかった。所詮胸は脂肪の塊ってことかと母に言ったら、「お母さんもあんたくらいの年に同じ体験したわねぇ」と自分の胸を見つめ、笑いながら教えてくれたものだから、遺伝だったのかと内心ガックリした。

 しかも、「多分、まだ大きくなるわよ? おばあちゃんはもっと大きかったし、どうやら雀は隔世遺伝みたいだから」なんて言われたら、笑うしかない。

 ちなみに、母曰く、Bカップだったのが最終的にFカップになったらしい。……ナニソレ、コワイ。


 さらば、私のCカップ。こんにちは、私のFカップ。

 というか、いきなりこんなにデカいサイズはいらんがな。お陰で肩凝りがひどい。

 まあ、太った私が悪いんだけどね!


 それはともかく、心身ともに落ち着いた私は、就職が決まってすぐに実家近くのワンルームマンションを借りて住み始めた。両親や兄夫婦に反対されたけど、しばらく実家にいなかったせいか、やっぱり気が引けてしまったのだ。

 小さいころからお小遣いやお年玉、そして学生時代にやったバイトや就職をしてからもコツコツとお金を貯めたおかげで、八桁近くの貯金があったから買っても良かった。だけどコレ! というのが無くて結局実家近くのマンションを借りることにしたのだ。

 そのマンションは家族が薦めてくれたのもある。

 もちろんダイエットも継続中で、心配なのか引っ越す直前に義姉が様子を見に来ると言ってたっけ。こられても困るから、週に一度、長くとも二週間に一度は実家に顔を出すと約束をした。


 ちなみに、実家はマンションから徒歩十分の距離です。そしてマンションのオーナーは兄でした。

 七階建てが二棟ある立派なマンションなのに家賃が安いと思ったら、身内価格だから安かったのか、道理でこのマンションを薦めてたよねと、妙に納得したっけ。


 これ以上、家族に心配をかけたくない。だから私は、実家からも近いこの会社で頑張ると決めた。



 まさか、彼――寺坂  良裕よしひろさんとあんなことになるなんて、この時の私は思いもしなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る