二十六話 さえずる鳥には牙があった


 久方ぶりに足を踏み入れた城だが、マローネの予想した通り、大混乱だった。

 なにせ、死人が現れて王に会わせろと言い出したのだから、無理もない。

 しかし、騒ぎを聞きつけたのか、わざわざ姿を現したのは、王ではなく王妃だった。


「これは何の騒ぎ?」

「王妃様! そ、それが、サイネリア王子……を名乗る者が、陛下に会いたいと」

「サイネリア、ですって」


 うるさげだった王妃が、とたん目をつり上げ、騒動の元となっている集団……つまり、マローネ達を見た。


「まぁ、可哀想に! とうとう気が狂ってしまったのね、サフィニア! 自分が殺された王子だと言い出すなんて!」


 聞こえよがしな甲高い声のせいで、サイネリアに向けられた視線が戸惑いから嘲笑と哀れみに変わる。

 しかし、サイネリアは笑みを浮かべて答えた。


「いいえ、正気です。正気に返ったからこそ、陛下に会わねばならないのです」

「何を言うの、哀れなサフィニア! あの長い髪まで切ってしまって、なんてみすぼらしいの! あぁ、誰か! この子を静かな場所に連れて行ってあげて!」


 わざとらしい猫なで声に押され、数人の兵士がサイネリアの方に近付いてきた。

 しかし彼らの手がサイネリアに触れる前に、マローネが鋭い一喝で叩き落とした。


「道をあけなさい、無礼者共! 誰が、我が主に触れることを許しましたか!」


 小柄なマローネだが、その気迫は騎士のそれ。近付いてきた兵士達を威圧し、それ以上の接近を躊躇わせるだけの迫力があった。


「あらあら、いつぞやの、躾のなっていない子ではないの。貴方がたきつけたのかしら? だったら、貴方を捕まえないと行けないわねぇ」


 貼り付けた笑みのまま、マローネを見た王妃は、標的をかえた。まずは邪魔者を排除しようと考えたのだろうが、兵を動かす機会は、涼しい顔で静観していたエスティの一言により、潰された。


「お言葉ですが……罪人でもないこの娘を、捕らえることは不可能です、王妃様」


 その横ではジェフリーが、したり顔で相槌を打つ。


「その通りねぇ。……証拠がなければ、罪人にはならないんですもの。うふふ、あらぁ偶然、五年前と一緒よねぇ」

「……っ、お前達……!」


 くわっと目を見開く王妃。

 五年前という言葉が、感情を揺さぶったのか、貼り付けていたはずの笑みがボロリと剥がれ、素顔が垣間見えた。

 エスティ、ジェフリーに続いて、兵を牽制していたマローネも、主の邪魔をする張本人へ疑問を投げつける。


「そもそも、子が親に会いたがっているだけです。それだけなのに、何を慌てているのですか、王妃様」

「怪しい者を陛下に近づけるわけには行かないでしょう! 王妃として、当然の処置です」


 怪しい? と、マローネは繰り返した。


「我が主を怪しい、とおっしゃいましたか? たった今、ご自分で、サフィニア様と呼んだこの方を、怪しい者扱いですか?」


 マローネの言葉に、王妃は扇を開き口元を隠すと、つぅと俯いて悲しげな声を出した。


「……可哀想ですが、サフィニアは今、正気を失っています。陛下に害をなすもの、と判断しても仕方がないでしょう」

「……もう、結構です」


 剥がれかけた表情を取り繕った王妃が、芝居じみた態度を見せる。

 黙って見ていたが、もう限界だとばかりにサイネリアが、王妃の口上を遮った。

 キッと、憎々しげな眼差しを向けられながらも、サイネリアは臆した風もみせず、一歩前に進みマローネの隣に並ぶ。

 そして、ふと視線を下げて、己の騎士に笑いかけた。


「ある程度の混乱は予想していましたが、女狐が出てくるとは予想外でした。面倒なので、もういいですよ。俺自身が証明しますから」


 その言葉に、マローネは渋面を作る。


「サイネリア様……。ですが、なにも貴方がそのような事しなくても」

「これが一番、手っ取り早いので」


 言って、サイネリアはおもむろにボタンを外すと、ばっと男物の服を脱いだ。

 どよめきがあがり、そして、一瞬のうちに静まりかえった。

 その沈黙。マローネの身にも覚えがある。

 

(あぁ、わかります。わたしも、そうでしたから――)


 平らな胸、というか胸板。

 それを目の当たりにした時の衝撃を思い出し、マローネは遠い目をしてしまう。

 なにかちょっと期待していたのだろう兵士達の、驚愕の表情。彼らが、以前の自分と同じような驚きを味わっているのがよく分かった。


「潔い脱ぎっぷりねぇ、さすがは殿下……!」  

「感心している場合か、ジェフリー。……チッ、兵士共も、あの雄叫びは何だったんだ。一体何を期待していたんだ、浅ましい」


 エスティはサイネリアが脱ぐときに、歓声を上げた兵士達が許せないらしく、真っ平らな胸を目の当たりにして硬直している彼らに、冷ややかな目を向けている。

 男は驚愕。女は美しい青年の半裸に頬を染め、手で顔を隠しつつもチラチラと指の隙間からのぞいている。

 そんな中で、王妃の反応だけは他の誰とも異なっていた。


「……そ、んな」


 青ざめた顔と、小刻みに震えている体。

 握りしめた扇がミシミシと音を立てている。


「――王子は、あの時、始末したはず……! 一体どこから、偽物を調達してきたの! サフィニアを連れてきなさい! こんなくだらないことを企てて騒ぎを起こすなんて、度が過ぎています! 誰か! あの娘を引きずってでも連れてきて、わたくしに弁明させなさい!」


 今まで、誰にも逆らわれた事のない王妃は、自分の意に反する行動をするサイネリア達に、苛立ちを爆発させた。

 金切り声で、サフィニアを連れてこいと叫び出す。


「サフィニアは、来ません」

「なんですって!」

「すでに死んでいる人間が、ここに来られるはずないでしょう」

「……死……? まさか、五年前殺したのはっ」


 殺したと、王妃は口にした。

 彼女が直接手を下したわけではなくとも、殺しを企てたのだと、はっきりと口にしたのだ。

 サイネリアは、優雅に微笑んだ。


「私が父に会わねばならぬ理由は、ご理解いただけましたね」

「……お前、お前っ……―― 誰か! 誰か、この男を捕らえなさい! 死んだ王子の名を騙る、不届きものです! 逆らうならば、斬って捨てても構いません! さぁ、早く!」


 王妃にとっては、いまここにいるサイネリアは亡霊に等しい存在に違いないのだろう。顔を真っ青にし、恐怖と怒りが入り交じった表情でサイネリアを睨み付け、兵士達に命令する。

 しかし、誰も動かない。

 それどころか、後ろにいる兵士達は、順々に膝をおっていく。


 異変に気付いた王妃は、振り返り――そして、「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。


「ひどい顔だな、妃よ。余がここに来ると、都合が悪い事でもあるか?」


 腹の底に響くような、低く重い声。それは、上に立つものとしての威厳が備わった、玉座に座るに相応しい声。

 渋みのある彫りの深い顔立ちに、立派なひげを蓄えたその男が誰かなど、誰かに問う必要も無い。


 マローネはもちろん、エスティやジェフリーも、ほぼ同時に膝をつき、頭を垂れる。

 立っているのは、三人だけだ。


「へ、陛下……!」


 ひっくり返ったような声で、立っている三人のうちの一人である王妃が叫んだ。


「つ、都合が悪いなんて、そんな……。意地悪な事をおっしゃらないでくださいませ、そんなこと、あるはずありませんわ! ただ、ここには陛下のお耳を汚す存在が」


 しどろもどろな言い訳を重ね、機嫌を伺うような笑みを浮かべる王妃から、すっと視線をそらした王は、自分と王妃ののぞき、唯一この場で立っている存在へ目を向けた。

 

 視線を受けた、最後の一人であるサイネリアは、正面から受けて立つ。


「…………」

「…………」


 サイネリアと王、顔を合わせた二人。


「久しいな、息子よ」


 低く、渋みのある声が、サイネリアに向かって呼びかけた。 

 それだけだったが、それだけでよかった。


「……お久しぶりです、父上」


 王が……――他の誰でもない、この国の王が、サイネリアを自身の息子だと認めたのだ。

 これ以上、誰が何を言おうと、易々と覆せる事ではなくなった。


「陛下! お待ち下さい! この者は、亡き王子の名を騙る偽物ですわ!」

「黙れ」

「――っ!」


 そう、たとえ王妃が異を唱えても、すぐに取り消しが叶う事はない。

 王から一瞥された王妃は、青かった顔色を赤に変える。


「そなたには、余が自分の息子も分からぬ呆け者に見えるのか」

「そのような、そのような事は決して――ただ、わたくしは貴方のためを思って、万難を排除しようと思いましたのよ?」

「あぁ、そうか。妃の気持ちは分かった。……だが、少し興奮しすぎたようだな、顔色が良くない。……部屋に戻って休むが良い」

「――え?」


 王の目配せを受けて、数人が王妃を囲み移動を促す。


「サイネリア。そして共の者達よ、ついてくるがいい」

「ま、待って! 話をするというのなら、わたくしが立ち会うのが筋でしょう? わたくしは、王妃です! そして、この国の王子の母親ですのよ!」


 慌てて言いつのる王妃を一瞥した王は、冷ややかな声音で言い捨てた。


「国を売る、妃はいらぬ」


 その言葉を聞くなり、王妃はぴたりと静かになった。


「何も知らぬと思ったか? そなたが、自分の兄に、我が国の情報をもらしていた事は、すでに調べがついている。様々な相手と接触していたこともだ。……遊びが過ぎたな」

「な、なにを根拠に? わたくしが、そんなことをしたと、何を根拠におっしゃるのです? 陛下と言えど、許しがたい侮辱です!」

「そなたの元に、鳥がいたろう」

「鳥……?」

「見栄えがよくて、声もいい。歌が上手で、身軽な鳥だ。薄紅の輪をつけたあの鳥を、そなたも気に入っていたはずだが」


 鳥。それが何を……、誰を指し示しているか気が付いたのは、王妃だけではなかった。

 マローネ、サイネリアも、鳥が誰なのか気が付いた。


「覚える頭もない鳥頭などと言われるが、鳥は存外、義理堅く情に厚い。…………思い知らせるためならば、主人の仇にすら、見事な歌をさえずってみせただろう?」


 王の一言がトドメになったのか……王妃は、力が抜けたように、その場に座り込んで動かなくなった。

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