二十五話 彼の人はもう泣かない

 隠れ姫の屋敷は、いつもよりもひっそりとしていた。

 まるで、屋敷全体が悲しみに沈んでいるようだった。

 

 ――全て分かっていたかのように、年老いた世話係の夫婦は、一行を出迎えた。孫の死すら、予期していたように。


「……すまない。全て、俺の至らなさが招いた事だ。……お前達は、俺を恨んで当然だ」


 ヨハンを運び、老夫婦に詫びるサイネリアに、パシンと平手が一発飛んだ。


「何を寝ぼけたことを言っているんですか! この子が死んで、それは悲しいですよ! でもねぇ、この子がしでかした事を棚に上げて、貴方を責めるのは筋違いでしょう」

「知っていたのか、お前達」

「えぇ、薄々勘付いておりました。なにか、恐ろしい事をしていると。それでも、止められませんでした。止めませんでした……。今、ヨハンを無理矢理止めたりしたら、今度こそ、壊れてしまいそうで」


 謝るべきなのは、私達です。そう言ったメアリの目からは、とうとう涙が溢れてきた。


「お許し下さい、サイネリア様……孫かわいさに、色々な事を、見ないふりで通してきてしまいました」


 泣き崩れたメアリを、年老いた夫が支える。しかし、彼の目も、真っ赤だ。


「サイネリア様……。儂は、ヨハンからあるものを預かっておりました。もしも、自分に何かあったら、貴方様に渡して欲しいと」


 滅多な事を言うなと、受け取った時はたしなめたが、今思えば、あれはこうなる事を予期していたのではないか……――その言葉と共に、一通の手紙が差し出された。

 サイネリアは、慌てて受け取ると開封した。そして、手紙を読み進めるうちに、その表情は驚きの一色に染まっていた。


「――っ、これは……王妃の――ヨハンは、ずっと五年前の事件を調べていたのか? あの時の証拠を、ずっと探していたというのか?」


 何が書かれていたのかは分からない、と老人は首をふる。内容は、自分たちが聞くべきことではないと。その手紙は、あくまでサイネリアに知らせたいことが書いてあるのだからと。

 ただ、と彼は寝台のヨハンに目をやると、静かに語った。


「……孫は……ヨハンは、貴方様と違い、立ち直る努力が出来ませんでした。サフィニア様を、思い出にする事ができませんでした。遅かれ早かれ、いつか命を捨てたでしょう」

「…………」

「それでも、サイネリア様に看取っていただけた分、孫はきっと幸せでした」


 メアリも立ち上がり、何度も何度も頷く。


「えぇ、えぇ、そうですとも……!」


 老夫婦と、サイネリア。双方が、相手の事を責められない。長く一緒にいた、育ての親も同然の相手と、孫と共に成長を見守ってきた存在。お互いに、大事な存在だからこそ、きっと言葉が続かないのだ。


 マローネは、サイネリアを見た。

 彼は、必死に泣くまいと歯を噛みしめて耐えているように見えた。

 握られた拳が震えている。

 けれど、ここは自分が出て行く場面ではないと動かずにいた。

 サイネリアが、主たらんと振る舞う、その瞬間をしっかりと見ていた。


「……お前達の配慮に、感謝する。そして、手紙を残してくれた、ヨハンの心遣いにも、だ。――皆、苦労をかけたな」


 もう、メアリ達に恨んでくれとは言えない。謝罪も許されない。メアリ達は、そんな事は望んでいないから。


 だから、サイネリアはもう謝らなかった。


 泣いて取り乱す事もなく、堂々とした態度で、長年そばにいてくれた老夫婦と幼なじみへ、最大の感謝を込めた言葉を贈った。


 そして、そのまま部屋を出る。


 感極まったように頭を下げ見送る老夫婦。サイネリアに付き従いながらも、最後にと振り返ったマローネが見たのは、ヨハンの亡骸へ駆け寄る二人の姿だった。


 そっと閉ざした扉の向こうから、むせび泣く声が聞こえてくる。


「――ご立派でした、殿下」


 自分とエスティは、立ち入るべきではないと言い、廊下で待っていたジェフリーにも、話し声は届いていたのだろう。彼は真剣な顔で、サイネリアに礼をとった。驚くべきことに、エスティも。

 サイネリアは声を発する事はなく、ただこくりと鷹揚に頷いただけで、先を歩き始める。

 あっ……とその背中を追い、踏み出そうとしたマローネに、ジェフリーから静かな一声がかけられた。


「……覚えておきなさい、マロちゃん。王族っていうのは、ああいうものよ。泣いたり笑ったり怒ったり……、そういう、人としての当たり前であるはず事が出来なくなる。心のままの感情表現が、許されなくなるの」

「……っ――」


 今のサイネリアを見ていれば、マローネにもよく理解出来た。


「そんな主の心に寄り添う事が出来るのは、剣と命を捧げ、それが許された騎士だけよ。いいわね? 貴方は、殿下の心を守る剣にならなくてはいけないわ」


 ジェリーの言葉を聞きながらも目が追いかけるのは主の姿。しかし、先を歩くサイネリアの背中は、いつもより少しだけ丸まっているように見えた。


「――無論です。副団長。この剣も命も、当にあの方に捧げると決めておりますから……!」


 力強く頷いて、マローネはサイネリアの後を追う。


「……サイネリア様」

「すぐに、城に向かいます」


 マローネが近付くと、サイネリアが短く次の予定を口にした。


「……王妃様に会うのですか?」

「いいえ。会わなければいけないのは、陛下です」

「…………国王陛下」

「はい。弱小貴族の娘である母を、無理矢理側室にし、隣国から娶った王妃の気性も考えず、先に子を産ませた。その後、絶対に起こると予期出来たはずの、女達のいざこざも放置した、考えなしの我が父です。俺は、あの男に会う必要があります」


 サイネリアが、自身の父親である国王のことを語るのは、これが初めてだった。


 側室の子だろうか、自分の子供。

 にもかかわらず、隠れ姫などと呼ばれ、揶揄されている娘を放っておくような人間だ。サイネリアの言葉が、刺々しいのは仕方がないのだが……、それにしては、妙に苛立っているようにも見えた。


「サイネリア様。お覚悟は重々承知していますが、いきなり、男の格好で登城しても大丈夫なのでしょうか?」

「あぁ、勿論城内は混乱するでしょうね。ですが……、会いたいのは、王妃ではなく国王です。その国王は、俺が……が会いたいと言えば、絶対に会うでしょう」


 サイネリアは、断言すると足を止め、振り返った。

 二人の後ろには、ジェフリーとエスティが追いついている。


「……父上は、隠れ姫の正体に気が付いています」


 すると、ジェフリーが思い当たることがあると頷いた。


「……そうよねぇ。普通なら、年頃の姫だもの、放っておかないわよねぇ。絶対、表に引っ張り出すし、そうでなくても、縁談を組んでどこかへ嫁がせるはずよね」

「王家の姫だ。その存在だけで、価値はある。隠れていようと、政略結婚に本人の意思など関係無いからな。……だが、陛下は隠れ姫には、何もしなかった」


 放置という形は、はたからみれば愛情がないように映る。王妃と不仲な隠れ姫を、見限ったとも囁かれていた。


 しかし、王が隠れ姫の正体を知っていたならば――あえて無関心を装うことで、隠れ姫に必要以上の目が向く事を避けたていたからでは? と考える事も出来るのだ。


 隠れ姫が、サフィニアではないと知っていたから、ドレスを贈る事もしなかった。

 強引な縁談を組む事もしなかった。

 

 王は、隠れ姫が本当は誰なのか、分かっていたから。


「……もしかして、ヨハン殿が、陛下に?」

「いいえ。――あちらから、ヨハンに接触があったようです。ですから、俺は陛下に会う必要があります」


 積み重ねた偽りが作り上げた、隠れ姫。

 その存在が消える時が、徐々に近付いていた。


「行きましょう。……我が父の元へ」


 けれどサイネリアの声にも、足取りにも、もう何一つ、迷いはなかった。


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