【仮題】4日目その2

「ほら、これを見て下さい」


 俺は先程テーブルに置いたばかりのスマホを手に、ミフユさんへ画面を向ける。


 カクヨムに投稿されたミフユさんの新作ファンタジー小説、『仮題:ファンタジー』には既に50以上の星が付いており、恐らくこうしてスマホを掲げている間にも増え続けていることだろうと予想できる。〝ミフユさん〟というネームバリューがあるとはいえ、流石だ。※無論、一番初めに星3つを付与したのは他でもない俺自身だが。


「いいえ、そのような評価はわたしにとってはむしろマイナスと言えます」


 しかしミフユさんは俺の掲げるスマホ画面を一瞥すると耐え切れないといった様子ですぐに視線を外し、心底残念がるようにふるふると頭を振った。


「この小説はまだ序盤、書き始めです。ですが、既にたくさんの評価を頂いている。頂いてしまっている。これではわたしの目指す〝たった一人に突き刺さる小説〟とは程遠いです」


「あぁ……」


 そこで俺は彼女の目指す理想の小説の条件、その一つを思い出す。


「いや、でもそれは少々無理がありませんか? ミフユさん、あなたは既にたくさんのファンを獲得しています。そのあなたが一定の水準を満たす作品を投稿したなら少なからず評価は付くかと思います。僕自身だって、読んでしっかり面白いと感じましたし。それに、もし仮にミフユさんがその〝たった一人の〟という小説を書いたところで僕に判断のしようがありません。そもそもこれは僕の為に書いた小説ではないんでしょう?」


「ええ、確かにそうです」


 ミフユさんはこくりと頷く。「誰に向けて書いているのか」とまでは聞けなかった。確かにミフユさんの謎解明に際して見境がなくなりつつある俺だが、今の真剣な彼女を前に興味本位の話題を持ち出すべきでないことくらいわかる。一応わきまえるということはする。


「でも、それだけではありません。それ以前の問題でもあります」


 常に明瞭としていたミフユさんの声は弱弱しく、徐々に涙声に変わっていく。


「これは、この小説は、真の意味での〝創作〟ではありません。設定自体は現状知識としてわたしの中にある〝ファンタジー要素〟の集合体に過ぎない……。それ以外はこれまでと何ら変わらない。この調子でわたしは続きを書ききれるのか……自信がありません」


 確かに彼女のファンタジー小説の中には設定として挙げられた様々な〝ファンタジー要素〟があったが、それはどれも先週に前もって予告されていたものだけだ。新たな設定と呼べるものは一切登場しなかった。でも彼女はその上で〝面白いファンタジー小説〟を書き上げた。序盤だが、小説としてのクオリティは高い。そして確かに、この実験的に書かれたファンタジー小説にもしっかりと〝ミフユさんの小説〟の要素と呼べるものが入っていた。


 証明は難しいが、強いて言うなれば、このシンプルかつ短いストーリーで俺がしっかりと〝感動〟してしまっていることが何よりの証拠でもあった。


「終着点が……見えないんです」


 ミフユさんは今にも泣き出しそうな声色でそう続けた。


「ミフユさん。もしかしてこの『仮題:ファンタジー』も、ミフユさん自身ですか?」


 俺の問いに、ミフユさんは一度コクリと頷いた。


「ええ。この物語はわたしが小さい頃、田舎の自然の中で冒険と称した遊びをした時に感じたものを要素として配置しました。紛れもなく〝わたし自身です〟」


 道理で。あの読んだ時の感覚、脳裏に映る情景の数々に、俺は密かに、幼い頃に新しいものに出会う度に感じたワクワク感と似たものを連想していた。その筈だ。そのまんまそういった経験をしたミフユさんの感覚の写し絵だったのだから。


 この歳になってあの時の感覚を味わえるなら、それは面白いに決まっている。


「ヒイラギさん、わたしは魔法が使えません。異世界にも行ったことがありません」


 それは幾度となく聞いたミフユさんのファンタジーを書けない理由。


 ああそうか。だからこの物語はあのシーンで終わっていたんだ。敵と遭遇したあのシーンで。


 ミフユさんは魔法を使ったこともなければ、当然異世界のモンスターのような敵と戦ったこともない。


 あのシーンで終わっていたのは何も気になる引きを狙ってのことではなく、純粋に〝書き方がわからない〟からだったのか。


「ヒイラギさん。例えば、いわゆるファンタジー小説における〝敵を倒す〟とはどういうことでしょうか?」


 そう訊くミフユさんはしかし、声を震わせながらも続ける。俺の回答を待たず。


「〝倒す〟というのはとても抽象的な言葉だと思うんです。突き詰めれば、この場合における敵を倒すとは、つまり殺すということに他なりません。当然理由が必要だと思います。登場人物が殺意を持つに至るまでの、それこそ強い理由が」


「例えばですが、〝正当防衛〟とかでは、ダメなんでしょうか?」


 俺はかろうじて言葉を挟む。〝正当防衛〟という法律的な用語がこの場面において相応しい用法かはさておき、ニュアンスは伝わるだろう。自らが危殆に瀕しているのだ。それこそ殺らなければ殺られるといった状況だ。


「わたしにはその経験もなければ、誰かを殺めようと考えたこともありません」


 それはそうだ。でもそんなことを言ってはいつまで経ってもファンタジー小説なんか書けやしない。件のジャンルは一部のほのぼの系を除き、ほぼバトルの連続と言って良い。当然そこには人や生き物の死が介在する。


 異世界ファンタジーにおいて〝死〟は極端に多い。戦いがある以上は必然のことだ。確かに冷静になって考えてみれば、あまり〝死〟というものに接したことのない人間が簡単に死を取り扱い過ぎている節があると言えば、言えている。特に現代においては素人が小説を書く時代だ。カクヨムのような小説投稿サイトはそういった素人の〝不慣れな死〟を量産し過ぎているのかもしれない。


 しかし、これはそもそもなのだが、ミフユさんはそういった諸々も一緒くたにひっくるめてこれまでの小説の書き方とは全く違った、〝真の意味での創作〟を目指してたのではないのだろうか。


 ミフユさんはそんな不慣れな事象に、それどころか未知の世界に足を踏み入れ、創作を成す為に、今回の執筆を敢行した筈ではなかろうか。


「ヒイラギさん、わたしは魔法が使えません。異世界にも行ったことがありません」


 ミフユさんは先程の言葉を繰り返す。


「でも……、そうですね。人を、生き物を、殺めることはできます。殺めたいという感情までは持てる自信はありませんが、殺めたという経験だけは可能です」


 何を言い出すんだ。


「ミフユさん。仮にそれがどんなに素晴らしい物語であったとしても、それを生み出すために法に抵触したり、そうでなくてもあるいは倫理的に間違いを犯したなら、僕は間違っていると思います。前回ミフユさんは言っていましたね、〝何かの犠牲のもとに生まれた小説は素敵か〟と。それがもし今みたいな意味なのだとしたら、僕はとても賛同はできません」


 俺は内心慌てていたのだろう、早口でそう返した。


 人や生き物を殺すというような犠牲は、先日の女性編集長の被った犠牲とは程度も性質も大きく異なる。でも何故だか、俺はミフユさんの言葉に多少の恐怖心を抱いてしまった。


 実に馬鹿なことだが、彼女ならもしかしたら、なんて頭を過ってしまったのだ。


 焦りからくる昂りですっかり饒舌になった俺は続ける。


「別に殺さなくても良いじゃないですか。〝戦い〟のないファンタジージャンルだってあるわけですし。そうです、そういった方向性へ持って行ってはいかがです?」


「…………」


 ミフユさんは俺の言葉を聞きながら無言でスマホを操作する。


「僕も手伝いますから」


「そうですね……ヒイラギさん、ありがとうございます……。ではもうこの小説は必要ありませんよね」


「え?」


 小さく囁くような言葉の所為で俺は一瞬反応が遅れてしまう。そしてその僅かな遅れが致命的な結果となった。


「だから、こんなものはこうです」


「ああっ!」


 ミフユさんは何の躊躇いもなく、間違いなく傑作であった初ファンタジー作品をサイト上の投稿欄から全削除した。


「なんてことしてくれたんですっ!」


 あまりのことに俺は我を忘れ、声を荒げた。店内の数人が驚いてこちらを振り返ったのを気配の端で感じる。


 違う、全く以て違う。そういう意味ではなかったのに。あれはあれで間違いなく名作になる。俺はあの作品の良さを残しつつ、調整や軌道修正していければと提案したつもりだったのに。


 だが、当のミフユさんはスマホを手にしたまま、


「ヒイラギさん、教えて下さい。ファンタジーとは何ですか?」


 そう問い掛ける。


「創作とは、何ですか? 〝小説を書く〟とは、どういうことですか?」


 そう言って、ついに両の瞳から大粒の涙を零し始めた。


 俺から視線を逸らさずに真っすぐと見据えて。

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