3章 ヒロイン

第7話 ときめきメモリアル

 一九九六年、夏。


 そのころの宮本ユウジはアルバイトすらせずにだらだらしていた。実家の京都の冷房のきいた部屋で、仮想恋愛にのめり込んでいたのだ。仮想恋愛、つまりは恋愛シュミレーションゲーム。当時、一大ブームを巻き起こしたゲーム『ときめきメモリアル』にハマっていたのだ。

 黄緑や紫のカラフルな髪をした美少女たちと高校三年間をともに過ごし、卒業式に女の子から呼び出され、告白されるのが目的のゲームだ。


 ユウジにとっては実際の男子校三年間よりも、ゲームの高校三年間(現実世界にしてわずか約六時間)のほうが楽しい思い出がたくさんできた。

 修学旅行の自由時間、高熱を出した虹野さんを看病したこと……。

 演劇部、夏合宿の肝だめしで如月さんとペアになったこと……。

 体育祭のフォークダンス、クリスマスパーティ、嬉し恥ずかし花火大会……その他もろもろ。


 ゲームやアニメに夢中になるあまり、現実の女に挫折し、ますますオタク化していくやつらがいる。このゲームはある意味、ダメ人間養成ソフトともいえた。

 だが、ユウジの場合は違った。むしろその逆。ゲームで体験したさまざまなシチュエーションを、現実世界でも体現したいと強く願ったのだ。

 足をくじいた年下の彼女(親友の妹)をおんぶしてやりたい。嬉し恥ずかし三角関係。図書館で手の届かない本を女子のために取ってやりたい、そしてお近づきになりたい。手編みのセーターをプレゼントされたい……その他もろもろ。


 まったく夢は膨らむばかりさ。


 でも、21才の宮本ユウジは童貞同然だった、女の子をどう口説いたものかわからなかった。そもそも女の子とどうすれば知り合えるのかがわからなかった。


     ★

 

 灰色の男子校生活を終えた後、ユウジはお笑いタレントの養成所に入った。そこでミタさんという女の子を好きになった。彼女を笑わせたり、逆に笑わせてもらったりするだけで彼は幸せだった。


 そんな時「お前、あの子のこと好きなんやろ? 頑張ってアタックしろや!」とおせっかいな友人がしゃしゃりでた。だというのに、なぜかミタさんとおせっかい君はいい感じになり、くっついてしまった。


 ユウジは自分の無力さとダサさを噛みしめることになる


 よくあるといえば、よくある話。視聴者の予想通りのベタな展開。


 でも、当人にとっては血の流れる現実、やけになったユウジは風俗で童貞を捨てた。初めてなのであまり気持ちよくなかった。行為を終えた後、年上のソープ嬢はなぜだかわからないが彼氏の愚痴をユウジに対してぶつけてきた。そして最後には「男なんて、ハッ!」としめくくってくれた。童貞と一緒にお金も捨てた気になった。


 それ以来、ユウジは女の子を好きになろうとはしなかった。


     ★


 ゲームの影響とはいえ、そんなユウジに恋愛欲求がわいた。けどゲームのように偶然の出会いは来ない。廊下に生徒手帳を落とし、女の子がそれを届けに教室にやってくる……んなこたあり得ない、というかそもそも学生じゃない。ユウジは出会いのチャンスを逃さないよう、目を光らせていた。


 八月のある日、ユウジは演劇を観に一人で大阪に出た。演劇好きの友人がよく口にする劇団だったので、一度観てみようと思ったのだ。


 ユウジはちょうど真ん中辺りの席だった。隣の席は若い女の子、眼鏡をかけ、ノースリーブの黒いワンピースを着ていた。ユウジは女の顔を必ず確認する男である。後ろ姿が魅力的な女を見かけた時は、速歩きで追いこして振り返りチェックする男なのだ。このときも例にもれず、その子の顔をチェックした。


 キユーピー人形のように童顔だった。だけど、どことなく悲観的な雰囲気がただよっていた。か細くもあり強くもある、無理して強いのか、本当に強いのかわからない瞳の輝きがあった。

 ごちゃごちゃ描写したが、単純にいうと可愛かった。

 しかも、アップで束ねた髪型はときメモの片桐さんを彷彿させたし、眼鏡をかけていて演劇好きだなんて如月さんと同じキャラ設定だ。一〇〇〇以上の座席があるなか、そんな女がお前の隣にいる。これは神が与えてくれた奇跡だ。


 ありがとう神様。トライしてみるわ!


 しかしどうアプローチしよう? 第一印象は大事っていうし……。

 彼女はパンフレットに挟まれたアンケート用紙にあらかじめ名前を書いていた。それを覗き見するユウジ、恋に情報は不可欠だ。

 ふむ、香川夏美っていうんだ。いい名前。22才、ナース。オレの一つ上か、意外だ。年下かと思ったのに。お? 高の原に住んでるんだ。ってことは途中まで帰りの電車が一緒やん?


 変態的だと思っていても覗き見をやめられない。個人情報の奔流。彼女は用紙を裏返し、さらに文章を書き始めた。

『私も芝居が大好きで、頑張っています。よく平城京跡の原っぱに出かけていって、セリフをよむ練習を大声でやっています。カップルたちにギョッとされ、さぶい思いもしますが、負けずにやってます』

 ちょっとイタい子……普通ならそう思うところも、せっかく出会えたヒロインなので、健気な子という好印象につながった。


 さて、彼女にどう話しかけよう? 開演まであと一五分……一〇分……時間はどんどん減っていく。チャンスは少なくなっていく。


「あの、頑張ってください!」

 ユウジはいきなり声をかけた。彼女は驚いて彼のほうを見た。


「いや……たまたま紙が見えたんで……」

 ユウジはうつむいてしまった。彼女は恥ずかしそうに笑っていた。笑うしかないから笑ってるみたいだった。


「あの、これ、よかったら観に来てください、オレも演劇みたいなこと、コントをやってるんです。これ……プレゼントします」

 ユウジは自分が演っているお笑いライブのチケットをだした。一枚千円のチケットを二枚出した。もちろん自分ではただであげる気でいたのだが、彼女は財布を出した。

「私、買います。大変なのよくわかりますし、それに……楽しみにしていますから」

 それでユウジは完全に好きになった。二千円で買収されたとかじゃない。よく知らない相手(しかも不審者気味)のユウジのために迷わずお金を払った。その行為が嬉しかったのだ。


 舞台の幕が上がった。ユウジは芝居を見ると同時に彼女の横顔も見つめていた。

「5000円も払ってるんだぞ、今は芝居に集中しろ! それにちゃんと観ておかないと、あとで彼女と芝居の話になったとき辛いぞ! ちゃんと内容を把握しとかなきゃ!」

 そう自分に言い聞かせるものの、彼女の顔を見てしまっていた。

 

 公演が終わり、帰る方向が同じだったので彼らは一緒に帰ることにした。彼女は眼鏡をはずしていた。はずした顔も素敵だった。ひと粒で二度美味しいとユウジは思った。

 彼女は緊張しているユウジを察して、上手く相槌を打ってくれたり、先に言葉を拾ってくれた。おかげで素人童貞の宮本ユウジでも、なんとか電話番号を聞くことができたのだった。


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