第6話 淋しい人たち

 ユリのマンションを出たオレは池袋に出た。


 一時間ほど漫画喫茶で時間をつぶし、駅前にもどった。待ち合わせ場所は東口、マツキヨの隣の喫茶店の前だ。


 信号が青になると、前方から人の群れが津波のように押し寄せてくる。このまま人に埋もれてしまうかもと考えると、叫びたくなるほど恐い。その恐さと戦いながらも、この中に今日約束した子がいるかもと想像するのが楽しいのだ。


 シホはTシャツにジーンズ姿とラフな格好だった。少しシャギーの入ったショートカットはちゃんと整えられてて、フォーマルな服装にもよく似合いそう。少し地味な印象がしたけど、色白でパッチリした瞳をしてて、ハーフみたいで綺麗な顔だと思った。


 ひとまずマクドナルドに入ったものの、昼過ぎなので店内は騒々しかった。失敗した。逃げるように店を出た。


 カラオケは苦手だというので、目的もなく街をぶらつくものの、どうにも話が盛り上がらない。とりあえず映画にでも行こう、時間は上手くつぶせる。


「特に観たい映画ってある?」


「うぅん、別に……」


 オレも観たい映画はなかったので、無難に話題作でも観ることにした。カップルがたくさんいたが、オレたちみたいな初対面の男女も何組かいるのだろうか?


 映画はたいして面白くなかった。でも時間をつぶすのには役立った。外はもう夕方だ。彼女は家に晩飯が用意してあるらしく「じゃあそろそろ」と別れることにした。


 こっちがどれだけ歩み寄ろうが、人見知りする人とは上手く話せない。というよりは単に相性の問題か。シホは可愛かったけど、真面目そうだし、大人しそうな子だったからそっとしておこう。

 もしシホから電話がかかってきたら、またデートはするだろうけど、そうじゃない場合はまあいいか。


 こんなふうに、一回デートして二度と会わない人が大半だ。雑誌に載せているかぎり、知らない人から電話はかかってくる。なら一度会った人間より、知らない人間に会うほうがワクワクする。これだけの人間が東京に住んでいるんだ。資源は尽きる事がない。出会いなんて運命的なものでもなんでもない。


 そう、オレは恋人が欲しいわけではないのだ。恋人がいながら他の女性と会うと裏切りになる。裏切りはよくない。ウソはよくない。


 だからオレはどうしても『会ったその日の即エッチ』にこだわる。


 会ったその日に体を求めてくる人なんて、私にたいして本気ではないんだろう、これはスポーツみたいなもので、そういうゲームなのだと勘付いていてもらいたい。だからオレは女の子にせまるとき『好きだ』とか『愛してる』だなんて言わない。それらの言葉は美しい言葉だ。美しい言葉を、貪欲な性行為のために利用したくない。

 と、なると言葉なしで、ムードだけでセックスに持ち込まなきゃならない。正直、それも無理がある。適当に「好きだ」とか連呼していたほうが、抱ける確率は上昇するだろう。


 けれどオレは綺麗な言葉を悪用したくないのだ。


「でも『好きだ』と言わなくても、目で『好きだ』と訴えかけてるわけだろ? だったら同じことじゃないの?」


 知り合いにそう言われたことがある。確かに変な自己満足かもしれない。でもやはり嘘はつきたくない。だから、この人は軽薄な人なんだと匂わさなければならない。


 なぜに特定の恋人を作らないの?


 いろんな女と会ってみたい。刺激が欲しい。職場と家の往復。なにもない。絵日記なんて描けやしない日常。退屈するのが嫌なんだ。オレは私立探偵セックスとなりたいんだ。毎回いろんなゲストのもとでトラブったり、スムーズにことが運んだり、性交したり失敗したり……そんな一話完結のオレだけのドラマを作りたいんだ! オレ流のハードボイルドを実践するのだ。


     ★


 ユリの家に泊まってから四日後、彼女に電話をした。


「だれ? もちろん覚えてるけど、これから仕事だから……」


「次、いつ会えるかなぁ? オレ、夕方からならいつでもOKやけど」


「そんなのわかんないよ、私もあなたが思ってるほどヒマじゃないからさ」

 ユリはあきらかに怒っていた。あのとき黙って家を出ていったことにたいして腹を立ててるのだろうか? なにか書き置きでも残しておけばよかった。


 その三日後にしきりなおして電話をかけてみるものの、またも反応は冷たかった。もうユリとは性交できないかもしれない。あんなにエロ素晴らしい人だったのに。


     ★


 オレは気分を変え、電話をかけてきた女の子に一人、二人と会う。なかなかセックスにありつけない。三人めの女、カワベさんでオレは地雷を踏んだ。


 最初に電話がかかってきたとき、女のほうから積極果敢に話をしてきた。電話で五分も会話をしていないというのに「ねぇ、今度会える?」とむこうから切り出してきたのだ。


「じゃあ明後日、荻窪駅に八時ごろ来れる?」


 オレの都合も聞かずに、カワベさんは日時を指定してきた。荻窪は彼女の家の近くだという。ということはこれすなわち、ヤリ目的? だって普通に遊ぶのならオレと彼女の家の中間地点、新宿あたりで会えばいいはずだ。最寄り駅を指名するということはやはり……ヤリ目的の女なのだ。


 25才、年上のOL。欲求が溜まっているということか。それにしてもなんて話が手っ取り早い! オレも欲求を溜めていくぞ。


 そのためオレは三日間、自慰行為を我慢した。


     ★


 目的地には七時半頃ついた。コンドームを忘れたことに気づき、駅前の小さな薬局に入った。若い女の店員だったので躊躇したが、二度と会うことのない人間だと思い、ポリウレタン製コンドームを手に取り、勇み足でレジに向かった。


 茶色い紙袋に包まれてありがた迷惑。事前にいそいで購入したことがバレてしまう。オレはパチンコ屋のトイレに入り、紙袋を破いた。そしてコンドームの箱から1個取り出し、それを財布に入れた。

 これで自然なかたちだ。


 七時を十分すぎたというのに、電話が繋がらない。すっぽかしはきついが、よくあることなので、八時までは待つことにした。わざわざコンドームも買ったことだし……。


 そんなオレの思惑を中断するように、電話がかかってきた。

「七時半頃になるから先にファミレスで待ってて!」とカワベさんは言い、オレは指示通りにした。指示に従うか、もしくは帰るしか選択がない。


 そして七時半になっても連絡がこない。こっちから電話をかけても電波が悪くてすぐに切れたり、はたまた圏外だったりとイライラする。彼女は『もうすぐ着く』とメールをよこすばかりでなかなか来ない。


 ドリンクバーにて、コーラのお代わりも6杯目……オレの怒りも爆発しそうになった。


 八時一五分……ようやくカワベは到着した。グレーのスーツスカートで、化粧のセンスがちょっと古い。でも顔そのものは悪くない。なんだか嫁にいき遅れた地方局の女子アナみたいな雰囲気だった。

 でも、ありだ。

 彼女の容姿のせいか、オレの機嫌も少し回復した。


 カワベさんは席に着くなり

「ねえ、今の生活に満足してる?」と聞いてきた。


「いや、まあそれなりに幸せやけど……なんで? それよりとりあえず、なんか注文したら?」


「アルバイトだっけ? 月にいくらもらってるの? 東京だと家賃払ったらほとんど残らないでしょう? もっと収入があったらいいなんて思わない?」


「あのさぁ、初対面やのに失礼やない? まあ確かに金は欲しいけどさぁ……」


「電話で話したときにね、一人暮らしって言ってたじゃない? だから生活に困ってるんだろうなって思ったのね。どう? 私たちの仕事、手伝ってみない?」


「どんな仕事?」


「私の口から説明すると誤解が生じると思うの。ちょうど九時からこの近くで説明会がやってるからよかったら来てみない?」


 これはおそらくマルチ商法の勧誘だ。前にもこういうことが一度あった。彼女のほうから時間と場所を指名してきたのもそういうことか。


「いや、これから女とセックスする予定があるから無理やわ」

 バッグの中のコンドームを見せ、千円札をテーブルに置いてオレはファミレスを出た。


 駅に着いてそうそうトイレに行きたくなった。待ってる間ジュースを飲みすぎた。小便が大量に出た。そのせいで電車を一本見送った。


     ★

 

 池袋に着いたのは夜九時すぎ、楽しそうに歩く恋人たちの姿が目に入るたびに、自分が負け組に属してる気がした。


 誰かの声が聞きたい。それもオレのことをよく知っている人間の声だ。


 久しぶりに彼女の声が聞きたい。オレは携帯電話をいじる。液晶には『ナツミ』の三文字。少し緊張しながらオレは電話をした。


 ………………。


 留守番電話におつなぎします。発信音のあとに……


 たぶん仕事だ。最近ナツミは忙しいと言っていた。病院でナースをしている彼女は仕事時間が不定期なのだ。患者相手に頑張っている彼女に比べ、オレはいったいなにをしているんだ? 昼間は雑居ビルを掃除するバイトをしている。ほとんど一日、誰とも接することのない仕事だ。そして夕方以降は不特定多数の女性と会ってばかりで、人間としてまるで成長していないではないか。


 発信音が沸騰したヤカンのようにピーと鳴った。


「あぁ、オレやけど……元気してますか? なんとなく声が聞きたくてさ……」


「あれ? ユウちゃんやん? どうしたん、久しぶり」

 突然、聴こえるナツミの声。オレは一人じゃなかった。


「いや、ちょっと落ち込むことがあってさぁ」


「なに、どしたん?」


 セックスをしようと知らない女に会ったら、マルチ商法の勧誘をされたんです。そんなダサいことは言えない。上手く話をそらし、適当に無駄話をする。人混みを歩くとき、携帯電話を耳にあてていることで、孤独がすこし薄らいだ。

 いっそ、電話の相手にこの場に来てもらい、腕でも組んでもらえれば、周りにいる恋人たちと互角に戦えるのに……それは無理な話だ。

 ナツミは関西に住んでいる女なのだ。『今から来てくれ』と本気で頼めば来てくれたかもしれないが、そこまでオレは傷ついていない。

 

 すこしヒリヒリしただけだ。


「あ、ごめんね、そろそろ夜勤に行ってくるから……じゃ!」

 ナツミは電話を切った。オレみたくヒマじゃなく、彼女は忙しい。電話が切れるとよりいっそう淋しくなった。会いたい時にあなたはいない。


 姿形が欲しい、触れることのできる体に慰めてもらいたい。誰かの肌を感じたい……もうかけるつもりのなかったユリに電話をかけた。六回のコール音のあと、留守電に繋がった。


「オレ、ユウジやけどさぁ。なんて言うんかなぁ、また君とヤリたくなってさぁ……もしよかったら電話ちょうだい」


 留守電を聞いたユリから電話がくるかもしれない。そう思って池袋をブラブラしていると、五分後に電話はかかったきた。


「あの、ユリだけど、さっき電話くれた?」


 最悪のオレに最高の女神が現われた。


「うん! かけた!」


「留守電に声いれたでしょ? あれ聞き取りにくくってさぁ、なんていれたの?」


 本当に留守電は聞こえなかったのだろうか? あのセリフを直接言えと?


「いや、また君のことを抱きしめたくなってさ……」

 『ヤリたい』から『抱きたい』へとマイルドな表現になおした。


「抱きたいって、別にそれは私じゃなくてもいいんじゃないの?」

 たぶん、そうです。なんてさすがに言えないし、とっさに気のきいた言葉が出ない。オレは黙りこくってしまった。


「やっぱり誰でもいいんだ! そんなの私も傷つくよ! 他の女をあたってよ!」

 電話を切られてしまった。


 バカだオレは。嘘も方便と言うじゃないか。


     ★


 家に帰ってからすぐにシャワーを浴びた。


 あぁ、ユリとはもう会えないんだなぁと感傷的になる。


 あんなにエロい雰囲気だったのに。もう一回くらいヤリたかったなぁ。


 よくよく考えてみれば感傷とは違う。


 シャワーを終え、体を拭いていたら電話が鳴った。非通知番号だったのでオレは急いで電話に出る。


「雑誌見たんですけど、今だいじょうぶですか?」

 そう、雑誌に電話番号が載ってるかぎり、過去をふりかえることもままならない。都会には数えきれない人間が住んでいる。


「うん! 全然だいじょうぶ! 名前はなんていうの? どこに住んでる人? あ、仕事は?」


 よく出来ました。と太鼓判を押していいくらい、オレの声のトーンは高くなっていた。濡れた髪のまま一時間も話した。そのせいで湯冷めをした。


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