第2話居場所

 あの日、実の母親に刺されたあの日。俺はどんな顔で迎え入れたのだろう? いや、そもそも刺された時はいきなりだったからわからない。その前に、母親が話しに来たあの時に、俺は何と答えたんだっけ? 自分の言葉は何一つ覚えていない。ただ、母親の言葉だけは鮮明に覚えている。


 ――そう、あれは信じられない言葉だった。


『もう、道はないの。ごめんね。ごめんね。ごめんね……』

 あの時の言葉と顔は、今でも決して忘れない。でも、やっぱり俺が何と答えたのかわからない。


 三浪して落ち込んでいたけど、俺には別の生き方があった。


 別に医者だけが人生じゃない。負け惜しみじゃないけど、医者なんて職業は、なりたいものがなるものじゃない。なるべくしてなるべきだ。人間が人間の命を左右する。それも、表向きと裏側の両方の事情で。院長の父親を見ていればよくわかる。


 俺は、それが嫌だった。


 しかし、俺たちの家は古くから続く医者の家系だ。だから、俺が何度も浪人していることが、親戚の間で噂になっていることも知っている。


 俺が噂されるのは事実だから仕方がない。繕ってみたところで、何かが変わるものでもない。

 だが、親戚たちはそれを母親のせいにしていた。


 それを知った時には、正直面食らった。

 結婚のときも反対されたそうだが、いまだにそのことを引きずって、それを俺の事情に押し付けてきたことも……。


 俺の居場所があの一族とやらにないのは知っている。だが、それが母親の居場所を奪っていい理由にはならないはずだ。

 

 でも、追い詰めたのは親戚だが、その原因を作ったのは俺だ。

 そう、俺の三浪が母親を追い詰めるところまで追い詰めた。

 だから、俺は母親を恨むことはできない。


 ただ、親戚たちは一つだけましなことをしてくれていた。世間体を気にした行動だったとしても、あれを俺の自殺未遂として届けてくれたことだ。

 それは、自分たちの事を考えての行動だろう。でも、そう思い込むことで、母親と俺はかろうじてつながっていられる。少なくとも、俺が母親という意識を切らなければ……。

 いくら刺されたとしても、あの時母親は泣いていた。何度も何度も謝っていた。そうすることしかできなかったのだろう。


 だが、その考えだけは許せなかった。


 ――勝手に『それしかない』と決めつけるな!――


 いつか俺が母親に言える時があったなら、俺はそう言ってやる。だから今、俺はこうして生きている。同じような顔をして現れた弟と共に……。


 そうか、そうだった。だから俺は……。


 今、俺の返事を待っている弟に、俺がかける言葉はそうだった。

 あの日、突然俺を訪ねてきた時に見せた顔。それが今ではすっかり変わったその顔に。


「お帰り、サトシ。また、何か見つけたか?」

 それしかないを埋葬し、新たな自分を見つけた子供たち。新しい自分を、自分たちの力で生み出した子供たち。それを見続けているサトシもまた、十二人の子供の一人だ。


 振り返り見たその顔は、また何かが違っていた。


「はい。色々と想定外の事はありましたが……。今日は本当に、色々と……」

 普段感情を表に出さないが、この時だけは別だった。


「そうか、細かいことは聞かない。それはお前達が共有すべきことだ。それに、お前の好きにすればいい。また、サイトの立ち上げだけはしておいてやる。だが、最近この手のモノを取り締まる動きもある。注意しろ」


「こんなことを言うのもなんですが、いつもすみません、兄さん」

 改めて丁寧にお辞儀する弟を、俺はただ何となく眺めていた。


「兄さん……?」

 何も言わない俺を訝しんだのだろう。サトシは首をかしげて俺を見ていた。


「何でもない。居候らしく、自分の事は自分でしろよ」

「はい、ありがとうございます」

 もう一度丁寧にお辞儀して、サトシは部屋に入ってきた。何もない、六畳一間のボロアパート。家具のない大人一人と、荷物のない子供一人で生活するには問題はない。


 だが、そのうち引っ越す必要がでるかもしれない。


「サトシ、明日ちょっと付き合え。お前の住民票をこっちに移しておく」

 よほど俺の言葉が意外だったのだろう。普段見せない表情を、今日はよく見せてくれる。


「お前が死んだときに、空き地が住所というのもな……。まあ、一人暮らしもできない年齢だ。死ぬまでは俺が面倒を見てやるよ。あと、死んだ後も結局俺が面倒見るから、俺の手間を増やさないためだ。大人の事情みたいなものだ」

 それ以上見ていても仕方がない。っていうか、俺自身がどんな顔していいか分からない。


 死を望んで生きていく弟と、望んでもない死を与えられても生きている兄。そんな兄弟がどう生きていくのか?


 それもあってもいい事だろう。


「はい。ありがとう、兄さん」

 背中越しに聞く感謝の言葉は、これまでとは違った息を伴っていた。


(了)

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望死望生 あきのななぐさ @akinonanagusa

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