十、波濤
翌日、雨は上がり、埃が叩き落とされて洗われた空気は澄んでいた。気温はかなり下がって肌寒い。登校時はシャツのボタンを上までとめた。
木島は休みだった。体調不良だと、朝礼の時に先生が説明した。健一には連絡はなかった。少し考え、昨日の今日でもあるので一応家族に教えておいた。今日は何も進まない。
翌日も休み、翌々日も休んだ。お見舞いのメールには返事はない。クラスの他の子も同様だった。先生には親から連絡が来ていた。
四日目、少し疲れた様子の木島が現れた。喉に布を巻いている。心配する友人たちに、ちょっとひどい風邪を引いたみたい、と出しにくそうなかすれ声で返事をしている。薬のせいでぼんやりしてメールとか一切見てなかったと言った。
健一は、友人たちに取り囲まれている木島を遠くから見ていた。あの輪には入りづらかった。
「ごめんね、仕事ほったらかして」
放課後、作業の進行具合を確認しながら小さな声で謝ってきた。
「もう大きな仕事はないし、大丈夫だから。もっとゆっくりしなくていいの?」
「休み過ぎもだめだからね」
「あれ、皆で見た」
人がいなくなってきたので小声で言った。
「ごめん。あんな厄介事押し付けて。ほんとならわたしがどうにかしなきゃならないのにね」
「どうしてほしい? いや、木島さんはどうするつもりだった?」
「分からない。馬鹿みたいでしょ。ううん、馬鹿なんだけどね。わたしは」
木島はあれを手に入れた経緯を話し始めた。言葉が散弾のように散らばる。聞いているだけでも苦しくなるようなかすれた声。健一は何度か止めようとしたり、もっとゆっくり話すよう言ったりしたが聞かなかった。
独学で浄化を学んでいること。そのために会社の端末に無断で入り、仕事のデータを盗み見ていたこと。危険度甲の作業を見つけ、いつものように自分のスマートフォンに転送したこと。
「そしたら、あんなだった。ちょっと探ったら覚書が出てきた。汚い文書。今でも何かの冗談だったらいいのにって思う」
健一は、汚い、という部分に同意した。その上で、穏やかに済ませたいという考えを伝えた。
「本気? 犯罪なのよ」
「でも、木島さんも告発してない。今からでも遅くないけど、公表する気ある?」
首を小さく振った。
「やっぱり、わたしって馬鹿ね。勢いだけで、早乙女くんやご家族まで巻き込んで」
「そうだね、相当に馬鹿だね」
木島は健一を軽く睨んだ。無視して続ける。
「じゃあ、深い考えは無かったんだね。ただ見たものに驚いて、話の分かりそうな奴に押し付けたってこと?」
力なく頷いた。
「ごめん」
「うん。実は父から木島さんを呼べって言われてる。どういうつもりなのか、この事実をどうしたいのか聞いてみたいって。どうかな。今言ったみたいなことでも、うちの皆なら別の方向から意見を言ってくれるかも知れないよ」
黙ったまま首の布をいじっている。
「別の方向って?」
「馬鹿っていう以外の評価があるかも」
「間抜け?」
「今じゃなくてもいいよ。決まったら教えて」
その夜、来週末の学校帰りに寄りたいとメールが着信した。皆に見せ、都合を合わせてもらった。
健一は木島の隣りに座った。四角いテーブルの同じ辺だ。少し肩が触れる。他の三辺に皆がついた。お茶とケーキの香りがする。
最初は雑談から始まった。香織が健一の小さい頃の失敗を持ち出してからかう。意図的にそうしているのが分かるので、姉にやられる弟、を演じておいた。でも、演技じゃないのも少しは混じっていた。
ケーキがなくなり、ポテトチップスやクラッカーのボウルが置かれ、お茶のお代わりが注がれると、父が口を開いた。
「健一に渡してくれた情報。皆で見ました。大変なものです。法的には即公表しなければならないでしょう。時にはそれが最善の策である場合もあります。でも、我々はそうではないと判断しました」
木島は吸い込まれるように聞いている。
「愚かな行動をとった者たちは静かに退場してもらいます。誰も、何も表には出しません。それが我々の目標です。そのためにこの情報を持ってきたあなたにいくつか聞いておきたいのです。よろしいですか」
もう布は巻いていない首筋を撫でながら、木島は首を縦に振った。
父は情報を入手した経緯について再度話させた。健一にしたのと同じ話だった。渡した理由も同じだった。すべての行動が衝動に基づくもので、論理性や計画性は無いと言った。
「渡した翌日から学校を休んだ理由は?」
「風邪です」
「正直に。浄化サービス会社なら必ず精密なコンパスを持っています。あなたから邪な魔法の痕跡が検出されています」
そう言って茶を飲んだ。
「なんで?」
「その位の準備ができなくてこの商売やってられないよ。健一、少し黙ってなさい。話をするのは木島さんだ」
父の目が鋭くなった。母と香織は椅子に深く持たれ、腕を組んだ。
木島は少し口を歪め、また首筋をなでた。それから話を始めた。
情報の内容に混乱し、同業の同級生に渡して自分は楽になろうとしたが、まったく楽にならなかった。知ったということはもう取り返しがつかないと分かり、それならその現場を見てみたくなった。
そう考えると我慢できなくなり、仮病で学校を休み、そこに行って呪いを受けてしまった。
父にはどうしても仕事を継ぎたくて、一番最近の仕事を見てみたかったとごまかした。ひどく叱られ、呪いのせいで本当に体調不良になり、影響が弱まるまで休む羽目になってしまった。
それから、自分の話を証明しようとでもしたのか、現場の画像を撮影時の情報を残したまま、健一に転送した。
「あれ、何これ」
受け取った画像を確認した健一が声を上げ、大画面に映し出した。香織が画面を指差して声を上げる。
「調査用の道具じゃないの。あ、違うか。こんなの見たことある?」
遺物にそって機器が並べられている。健一もよく分からなかった。母が言う。
「これは見たことないけど、並べ方とか模様からすると増幅器じゃないかな」
その言葉に父が同意する。
「そうだな。増幅した力を特定の方向に発信してるみたいだ」
話しながら別画面に地図を開き、画像の情報を見ながら大雑把に扇形を描いた。
「向きは東京の方だけど、弱すぎてまったく届いていないな。東西区からちょっとはみ出る程度か。どういうつもりだろう」
その扇型から東京へ指を滑らせながら健一は聞いた。
「仮に、届いたとしたら何が起きるの」
「分からない。単純な呪いじゃないのは確かだ。いずれにせよこの程度の遺物の力を増幅したところで東京の防御は突き破れない。下手すりゃ返り討ちだよ」
四人とも木島を見たが、本人はただ驚いているだけで声も出せずに首を振った。
「落ち着いて。本当に心当たりないんだね?」
穏やかな声で健一が聞くと、また首を振った。
「どっちの意味?」
「知らない。分からない」
「もう遅い。今日はこのくらいにしておこう。健一、送って上げなさい」
父は健一から木島の方を見て言う。
「ありがとう。有意義な話しでした。秘密は守ります。あなたが話したということはここからは出ていきませんから安心なさい」
木島は三人に挨拶し、健一と外に出た。夕日は指一本ほどの幅を残していたが、足元はかなり暗かった。
「ねえ、あれで良かったのかな。わたしの話」
「いいも悪いもないよ。木島さんはできることをやった。僕らはさっき話した通り静かな解決を進める。それでいいでしょ」
「早乙女くん、お父さん似だね」
健一の確認には答えず、微笑んで言った。
「そう? で、この件、任せてくれるってことでいい?」
小さく頷いた。
日は沈みきり、空き地の上をコウモリが円を描いて飛んでいる。虫をすくっているのだろう。
「ここでいいよ」
いつもの分かれ道まで来た。
「じゃ」
健一は手を振った。戻っていく途中で振り返ってみたが、木島はまっすぐ前を見たまま帰っていった。
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