九、暗雲

 九州、中国地方の大雨は災害となり、多数の死傷者と被害を出した。ニュースでは早速出動した協会のボランティアが現地の医療、土木などの専門家集団と協力して救助、復旧にあたっている様子が報道されている。

 まだ降り続く雨の中、排熱で湯気を上げながら、瓦礫や土砂を片付け、水の流れを変えている魔法使いは頼もしく見えた。

 解説者は、単に片付けるだけではないと説明する。水を含んだ土砂を移動させるにしても、ただ持ち上げたり、凍らせてどかせたり、水分を抜いてから運んだりと、取り残された人がいるかどうかや、その場の状況によってやり方を変えると言う。そのため、魔法使いだけではなく、他の専門家と協力し、相談しながら作業を進めていた。


 その雨雲がこっちにも来たらしく、午後から雨になった。健一はうっかり傘を忘れたので、帰るまでに止むか弱まってくれるとありがたいのにと、授業を受けながら、窓の外を眺めてぼんやりしていた。

 しかし、終礼が終わる頃には大粒になり、走って帰るにも困るような大雨になった。仕方ない、後でおごらされるけど、姉に迎えに来てもらおう。

 さっさと帰っていく皆を横目で見ながらそう考えていると、木島が近寄ってきた。


「ちょっといい? 画像の件、相談しときたいんだけど」

「いいよ。何かあった?」


 発表に使う図版や画像について、権利関係をきれいにしておかないといけないが、そういう面倒な作業は結局二人に回ってきていた。というより、クラスの中でそういう書類仕事をまともにできるのは二人しかいなかった。

 先週のうちに出しておいた依頼に対して返事が帰ってきはじめていたが、学校の名前で出したこともあってか、ほとんど全て快く無償許諾してくれている。条件をつけられる場合もあったが、権利者の表記などをきちんと行ってほしいという程度だった。

 だから、特に話し合わなくてもいいのだが、健一は断るつもりにもなれなかった。どうせ雨だし。話しているうちに小降りになってくれたら迎えを頼まなくても良くなるだろう。


「博物館の図版ね、許諾は出たけど、もう一度撮っときたい。ちょっと暗いでしょ」

「修正できるよ、あの位なら」

「やってくれる? その手のアプリ、苦手なのよ」

「分かった。いくつか候補作って選ぼう」


 その場で数枚補正の程度を変えた候補を作った。その中であまり明るくしすぎず、かつ、内容が明瞭に分かるものを選んだ。


「じゃ、これで」

 指さされた画像に説明をつけ、クラスの共有保存場所に入れた。

「ありがと」


 雨はまだ同じ勢いで降っている。木島は健一の視線に気づいた。


「どうする。弱まりそうにないし、帰る?」

「実は傘忘れた」

 木島は同情を混ぜた顔で笑った。

「迎えに来てもらうよ。プリンおごらされるけど」

「なら、一緒に帰ろっか。入れてあげるよ」


 健一は、ありがと、と言った自分に驚いた。


 傘から出た側の肩は濡れるが、全身ずぶ濡れよりはましだった。それより、自分が傘を取りすぎていないか気になる。それと、同じ傘の下にいると、木島さんは思ったより背が低いなと思う。頭頂を見下ろせるほどだった。

 分かれ道まで早く感じた。健一はここからはすぐだから走るよと、お礼を言って傘から出ようとした。


 その瞬間、手を握られた。

 はっとしたが、すぐに硬い感触がするのに気付いた。


「それ、後で見て」


 爪の先ほどのカードだった。黒くて、ブランド名も何もない。濡れないようにすぐポケットに入れ、健一は思いっきり走った。振り返らなくても木島さんが見送っているのが分かった。


 部屋で濡れた服を着替え、カードをスマートフォンに挿した。仕掛けていたのも忘れていた安全チェックが働き、なんの異常も検出されなかったと通知が表示された。


 中身は文書と動画、画像だった。あの遺物についてだった。


 健一は、自分は父と似ていると思っている。揉め事が嫌いで、何かする時には、穏やかに済ませられる道があればそちらを選択する。そうしてやってきた。これは、どうしようか。


 文書から目を通したが、よく分からなかった。いや、分かりたくない種類のものだった。書いてある内容をそのまま理解すると、あの遺物は当初保護対象として認定されていたが、その後、危険度甲として浄化が許可されている。そのためにキジマ浄化システムズから協会の担当者に金品が渡る。そういう覚書だった。

 動画は浄化処理の様子だった。無編集で三十分ほど。画像もそうだった。依頼主に報告するときにつけるようなものだ。

 作業は健一が見ても分かるほどひどいものだった。未熟さからくるものではなく、経費をかけないためにわざとそうしたと思われた。完全な浄化ではなく、遺物の魔法が一部分残ってしまう。再生時間が短いのが不審だったが、こんな粗い仕事ならその程度だろう。


 再生を終えたスマートフォンをベッドに投げ出し、自分も寝転んだ。こんなものをなぜ?

 木島さんに連絡しようかと考えたがやめた。今は頭の中がまとまらない。話をしてもめちゃくちゃになりそうだった。まずは落ち着こう。

 そのためにはこのことを誰かに相談したほうがいい。この事実は一人で受け止めるには重く、大きすぎる。


 相談相手として最初に浮かんだのは父だった。母と姉に隠すつもりはないが、順番としては後がいいだろう。


 健一は父宛に一時間かそこら時間がほしいとメッセージを送った。十分ほどしてノックの音がした。


「どうした?」

 健一は入手の経緯を説明してからカードの内容を見せた。父はベッドに腰を下ろし、目を通すに従って表情が険しくなったが、見終わる頃にはいつもの顔に戻っていた。

 椅子の背もたれに腕を組み、顎を乗せた健一は、そういう父の頭の中を読もうとしたがまったく分からなかった。


「これを、キジマさんとこの子が?」

「理由は分からない。突然渡されて、説明ないし」

「連絡したか」

「まだ。相談してからのほうがいいと思った」

 父は頷いた。

「そうだな。それがいい。うかつに動くと大変なことになる」

「でも、動かないわけにもいかないでしょ」

 健一にスマートフォンを返しながら、また頷く。

「母さんと香織にも教えなきゃだけど、健一、何でまず俺にだけ言った?」

「揉め事があった時に、穏やかに済ませられるから。うちの女連中はまず燃やそうとするし。だから、話しするのは任せる。俺苦手」

 立ち上がりながら父は笑った。

「お前も最近ちゃんと消火できるようになってきてるよ。俺の息子だ」


 父の考えで、二人に見せるのは夕食後にした。腹が膨れていれば怒りは鈍る。

 それでも母と香織は感情を隠そうとはしなかった。怒りと不快感が混ざっている。しかし、香織の顔にある驚きが母には欠けているのに健一は気づいた。


「これはもう公にするしかないんじゃない? 告発するしか」

 母がそう言い、香織が同調する。

「犯罪を知りながら隠すのも犯罪だしね」


「でも、キジマの娘さんがこれを健一に託した気持ちも考えなきゃな。単に告発してほしいなら渡す必要はない」

「そういや健ちゃん、なんでさっさと見せなかったの」

 香織が火を吐いてきて話がそれかけたが、父が今はその話じゃないと元に戻した。母は健一がそうした理由を察したようで、次に口を開いた時には普段の口調になっていた。

「健一、どうしてほしいのか聞いてみたら」

「聞いてどうするの。木島さんがこうしてほしいって言ったらその通りするの? それじゃ俺たちただの道具だよ」

「じゃ、どうするのよ」


「父さん、母さん、なにか隠してることない? 前に来た魔法使い、遺物の認定が変わったってことだけ言いに来たの?」

 二人は顔を見合わせる。父が口を開いた。

「いや、嘘は言ってない。あの二人は認定変更と資料の引き渡しの要求をしに来ただけだ。でも、魔法使いだって人間だからね。口が滑ったり、つい顔に出してしまったりするから」

 健一と香織は黙って話の続きを待った。

「どうやら協会内部で対立があるらしいって感じだった。この文書でそれが裏付けられた。協会全部が腐ってるわけじゃない。対立してる勢力の一部が焦ってるんだろうな。活動資金を手っ取り早く調達しようとしてるんだ」

 母が頷き、父は言葉を続けた。

「これ、相当まずい。なりふりかまわず金を集めようとしてるってのは」

「なら、なおさら今すぐにでも告発しなきゃ」

 香織が言うが、父は首を振った。

「でも、誰が味方で誰が敵だ? 厳しいことを言うようだが、このカード自体が罠って可能性もほんの少しはあるし」

 鋭い目をしている。健一は、罠というのだけは否定したかったが、感情的でない反論はできそうになかったので黙っていた。


「これからどうするのか決めなきゃならない。ちょっと時間もらうぞ」

 そう言うと父は皆の茶を淹れ直した。

「まず香織の言う通り、告発するっていう道がある。法に従った、市民として当然の行為だな」

 母が後を続ける。

「でも、その後の混乱にわたし達が耐えられるか。告発して裁きが確定するまでの長い間、こっちは裏切り者扱いされかねない」

「そういう観点から見ると、久美子ちゃんが自分で告発しなかったのは卑怯っていう見方もできるね」

 母に続けてそう言った香織に、健一はまた何も言い返せなかった。


「もう一方の端には放っておくっていう道がある。頭を低くして知らない振りをし、事態が勝手に進むのを見てるだけ。手は出さない。これは市民としてはどうかというやり方ではあるけれど、安全で、今まで通り静かな生活を送れる」

 父の言葉に三人とも黙った。

「俺たちだって真っ白じゃない。先生への献金や、一地区一社原則とか、区境超えた時の利益のやり取りとか、近接地区同士で価格やサービスの協定結んだりするだろ。全部合法なようにしてるけど、黒に近い灰色の行為だよな。だから、今さら正義の味方にならなくってもお天道さまは見逃してくれるさ」


「他の道はないの」

 香織がそう聞いた時、健一は父がどこへ話を誘導しようとしているのか分かった。もしそうなら、それに協力しよう。穏やかで、ある程度の正義が保たれ、公には誰も恥をかいたり損したりしない道だ。


「さっき、誰が敵か味方か分からないって言ったけど、それさえ調べがつけば、それぞれにこの証拠を示せば静かに矛を収めてもらえると思う」

 そう言って健一の方を向く。

「それは俺がやるけど、その前に健一、木島の娘さんに確認とってほしい。どういうつもりでこれを渡したのか知りたい。できれば皆立ち会いたいけど、呼び出せるか」

「できる、と思う。ていうか、そうするしかない」

 香織が妙な表情をしている。母がそれに気づいた。

「どうしたの。なにか言いたいことある?」

「うん。健ちゃん、分かってると思うけど、成り行き次第では友達なくすよ」

「それは、あっちだって分かってるだろ。それでもこれ渡してきたんだから。動かなきゃ」


 雨はまだ窓を叩いている。

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