七、妥協

 危険度乙の作業はやらせてくれない。香織は危険な範囲を見積もると、その外から見ているようにと指示した。


「いつもそうだけど、特に乙以上を処理する時はまず、危険範囲をはっきりさせる。で、作業者以外は範囲内には立ち入らない」


 車内での説明を繰り返す。道路工事中に見つかったこの有害遺物は危険度乙と判定された。生命に関わるような重大な危険性はないが、呪いに加え、接近した対象への攻撃を行う可能性がある。発見者は腕を二箇所刺され、腐臭を放つそら豆大の腫れができた。今は協会で治療中だ。


「虫刺されくらいだけど、目とかやられるとたまったもんじゃないから。健ちゃんはそこから近づいちゃだめ」


 二人は肌をすべて覆う型の作業服と抗魔法マントに加えてゴーグルをつけている。ただでさえ暑いのにマントが発熱を始めると耐え難くなってきた。しかし、耐えなければならない。それが仕事だ。


 有害遺物は石でできた祠のように見えた。学校にある百葉箱のようでもある。中に虫をかたどった崩れかけの木像があり、コンパスにはっきりと検知されるほどの邪な魔法がそこらにあふれていた。


「300B.A.だって。領地の境に置いたんだろうって。警告用に」

 マントの熱から少しでも気をそらそうと、健一は資料のあちこちを拾って読んだ。香織は答えない。


 札を貼りながら浄化棒を立てていく香織の作業服が、時々、動きによるしわではなく不自然にくぼむ。明らかに攻撃を受けていた。


「大丈夫?」

「平気。押されてる感じだけど、満員電車に比べたらなんでもない」


 健一は札と棒の位置関係を頭の中のメモに取った。教科書通りだが、それをほんのわずかな狂いもなく正確に、かつ素早く行っている。やはり修行に出ただけはある、と素直に舌を巻いた。


 香織が手を振り、健一が点火する。しばらくして有害遺物が消滅すると涼しくなった。


「お見事」

「あったりまえよ。さ、帰ろ。報告まかせる」


 窓を開け、風に吹かれながら、報告を仕上げて送信する。仕事の復習にもなるので報告書作成は嫌いではない。


「父さんからメール来てる」

「聞かせて」


 合成された声は滑稽に聞こえたが、内容はそうではなかった。

 先生が動いてくれ、仕事の境界についての話し合いが決定した。社長として母と、専務として父が出席する。きちんと取り決めを行い、今後の憂いをなくすのが目的だった。そのために先生自身が立ち会うという。

 しかも、先生はさらに影響力を行使した。今後東西区で発見される有害遺物の認定につき、公正を保証するため、話し合いの場には協会の魔法使いの出席も予定されているとのことだった。


 健一はグローブボックスのカバーに貼り付けられ、メールを淡々と読み上げるスマートフォンを見つめた。香織は運転しながら、信じらんない、とつぶやいている。

 協会が出てくる。不干渉のはずだが、遺物認定に関わるからと理屈をつけた。先生のおかげらしいが、本当だろうか。

 健一には分からない。


「魔法使いが出てくるなんて」

 香織が風で目にかぶさった髪を払った。健一は窓を閉め、音声出力を切ってため息を付いた。前に母の言った『それなりのもの』が思い出された。

 これほどのことを実現するだけの『それなり』とはどのくらいだろうか。

 考えたくなかったが、健一が大学進学できる経済的可能性を広げるものではないのは確かだった。


 翌週の月曜日、健一が学校に行く前に両親は出かけた。香織が留守番をする。現場が好きなので一日中帳簿付けと書類整理は嫌そうだった。


「行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 今日の話し合いでこれからの方向性が決まってしまう。そのくらい重要なのは理解していた。でも、自分には何もできないとも分かっていた。


 木島はいつも通りだった。ポスター発表についてクラスの他の者も交えて簡単に打ち合わせただけだった。お互い今日行われていることを知っているはずなのに表には現さない。一日が長いような短いような、妙な時間の進み方だった。


 健一が帰宅して着替えると、誰も何も言わないのに会社側に集まり、打ち合わせが始まった。


 母がまとめて話し、時々父が補足する。できるだけ感情を抑えていた。


 境界線は旧の区境ではなく、大川が基準になると決まった。旧東一区を流れる川だった。これにより、こちらの区域が一割弱減ってしまう。香織が不満そうに声を上げる。


「何でうちが損するの?」


 魔法使いの強い要望だった。協会は歴史的、政治的に作られた区境などの境界ではなく、魔法の分布に基づく合理的な地域の分割を行いたいらしい。そのため、このような機会に順次改変していくとのことだった。


「補償として、その地域での報酬の一割がこちらに支払われる。先生がまとめてくれた」


 母が嬉しくもなさそうに言った。


「川沿いだと甲とか乙が多いから、それでも損」


 香織はまだ不満そうだった。人が集まり集落ができやすい川沿いは有害遺物も多い。ざっと試算して失う利益を口にした。父が頷く。


「それでも、ずっと揉め事を抱えるよりはいいと判断した。それに、こちらが損を飲むので、先生と協会に借りを認めさせた。金だけじゃない。そういうのも隠れた利益だからな」


 父の目に病気の前の鋭さが戻っているのに健一は気づいた。今日一日全開で精神を働かせた残滓だと思うが、大丈夫だろうか。


「何でこれまで話し合ってくれなかったか分かった?」


 健一が話を変えた。境界については決まった以上あれこれ言っても仕方がない。それより、この機会にキジマ浄化システムズの不可解な態度の理由を知りたかった。

 しかし、母は首を振り、父は肩をすくめた。


「合併後の手続きに間違いがあって後始末してたのと、そこに社内体制の変更が重なって時間が取れずに申し訳ないと謝られた」


 母はまったく納得していない口調だった。白けた空気が漂う。香織がそれを払いのける。


「じゃ、うちは境界が変わった以外は大きな変化なしね。たまたまだけど今は大川沿いの仕事受けてないから調整もいらないし」

「そうだな。でも、さっき香織が言ったように予想される利益はいくらか減る。経費についてはもっと厳しく見ていこう」

 父の言葉に、健一は前に自分が使ってしまった余分な浄化棒を思い出して反省した。小さな無駄のようだが、こういうのが後々効いてくるのは分かっている。


 それから今後の予定についていつもの確認と報告をして打ち合わせは終わり、四人ともすっかり冷めた茶を飲んだ。この日ばかりは淹れ直そうかと言う者はいなかった。

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