第12話 暗い海

 年が明けて、兄夫婦と、甥の朔と姪の凛、そして俺の五人で初詣に行った。朔と凛は、子供みくじを引いて、きゃあきゃあと騒ぎ楽しそうだ。子供の頃から、必ず正月には来た地元の神社で、柏手を打ち、礼をして、お参りをすると、さすがに新年らしい気分になった。



 母と梓さんの作った雑煮とおせちを元旦から食べて、一月二日の午後には、実家をあとにした。母が土産や食べ物をたくさん持たせてくれて、俺もう大学生じゃないのにな、と苦笑いした。



 俺はその足で、すぐにいつもの海に向かった。ちらちらと小雪が降っていて、積もりこそしないが、道は白い。冬が来る前にスタッドレスタイヤに替えているから、めったなことはないと思うものの、運転は雪のない時期よりも慎重になる。



 冬前に清掃を終えた浜辺は、一面に白く、海も波が高く泡立っていた。まだ、歩けないほど積もってはいないので、浜から波打ち際へと、歩みを進める。



 光希の遺骸は、六年前の二月、この海で見つかった。遺書が部屋から発見されたため、事故ではなく、自殺だろうということで、警察の検証が済んだ。俺自身も一番近しい身内として、長く取り調べを受けた。



 光希は長い間、母親との関係に苦しんでいて、俺自身も、光希が二言目には「もう生きているのがつらい」と言うのをわかっていながら、適切な解決策を見つけてやることができなかった。



『順ちゃんちの、仲のいい家族がほんとうにうらやましいよ。私も、順ちゃんのうちに生まれたかった。順ちゃんと姉弟だったらよかったのに』



 光希は泣きながら、また笑いながら、そう俺に何度か言うことがあったが、俺ときたら、



『姉と弟だったら、こうやって抱き合ったりできないし』



 などというような、くだらない返事しか返せなかった。



 光希が亡くなる一年ほど前に、彼女を俺の家族に「大切な人」として紹介もしていた。俺は光希と結婚したかった。高校生のときから、彼女みたいな存在はいたこともあるが、心底幸せにしたかったのは、あとにもさきにも光希だけだった。



 さく、さく、と雪のつもった浜辺を歩いているだけで、光希の気配がまだすぐそこに感じられる。本当にいなくなってしまうなんて、嘘みたいだ。――そう思いながら、泥に足をとられながら歩くように、この六年、なんとか生きてきた。



 今日の海は、波こそ立つが、鉛色の絵の具で一面にべた塗りしたように、暗い。



 歩いているうちに、頭の中が光希のことでいっぱいになる。



 周りには、どれだけふっきれたように見せていても、ふとした瞬間、そしてこの海に来るたびに、俺はまだ全然、一ミリも光希のことを忘れていないのだ、と思い知らされる。



 光希がまだどこかで寒さと孤独に苦しんでいるように思えて、とても俺だけ、ほかの誰かと幸せになるというヴィジョンは、見えなかった。



 雪の降りかたが少し強まってきて、このまま、立ちつくしていたら、雪に埋もれて、自分も凍え死ねるだろうか、と、魔が差したように感じて、はっとする。



――これじゃ、茉奈の発想と、まるで同じじゃないか。



 えらそうに茉奈に「死なないでほしい」と説教できる身分ではとてもない。



 歯が鳴るほどの震えが、ふいに足の先から顔までのぼってきて、俺は海に背を向けて、車の停めてある駐車場のほうへと、ゆっくりと歩き出した。



――光希。光希がいなくなっても、俺はとりあえず生きているよ。光希をどうしたら、失わずにいられたのか、今でもその答えは見つけられない。



 目の前が、降り積む雪で、真っ白に覆われてきた。俺の車も、薄く粉雪をかぶっている。ドアを開けて乗り込み、エンジンをかけながら、俺は海に――光希との思い出の海に、またすぐに来るから、と心の中で声をかけた。

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