第11話 年末

 短大の勤務も十二月二十八日で終わり、年末年始の休暇に入った。二十九日、俺は自分の家を簡単に掃除したあと、同市内の実家の母親に電話して「明日から帰る」と伝えた。両親とも、すでに定年退職していて、今は近所に住んでいる俺の兄の子供二人――両親にとっては孫の世話を見るのが、いちばんの楽しみらしかった。


「そうか、お年玉がいるな、ポチ袋、去年のあったっけか」


 俺はひとりごとをつぶやきながら、廊下にある押入れの中の引き出しから、使いかけのポチ袋の一式を見つけ出す。


 料理はあまりしないが、掃除や整頓はそう嫌いでもないので、普段からの片付けも効き、安心してこの部屋で正月を迎えられるくらいには、きれいになった部屋を見て俺は満足する。


 翌日は、スーパーに寄って菓子折りを買い、自分の車を運転して実家まで行った。普段はめったに寄り付かない実家だったが、お盆と年末年始だけは別だった。大人しくその時期は帰り、父と酒を飲み、母のつくった食事を食べる。なんにも親孝行らしいことをできない俺にとって、少々気が張るものの、少しだけ、心やすらぐ時間だった。


「ただいま」


 実家の引き戸を開けると、玄関の三和土には、兄の子である朔と凛の、小さな靴が並んでいた。もう兄一家も帰ってきているのだ。


 すぐに玄関まで母が走り出てきて、俺を出迎えた。


「順、お帰りなさい。もう啓たちは来てるわよ」


 啓というのが五歳上の兄の名だ。俺が客間に入ると、五歳の甥の朔と、三歳の姪の凛が、


「順ちゃん! 遊んで!」

「お菓子あるー?」


 と口々に言いながら飛びついてきた。俺が菓子折りの袋を朔に「ほら」と渡すと、すぐに凛との間で取り合いとなり、「こらこらこら」と兄の啓が二人の間に割って入った。


「二人とも、お菓子はご飯のあとで! 美味しいばあちゃんのメシが食べられなくなっちゃうだろ」


 はぁい、と二人は素直にしおれて、俺に「じゃあ何して遊ぶ?」と聞いてきた。


 朔と凛と、彼らのおもちゃで遊び疲れた頃に、夕食となった。母と兄嫁の梓さんが腕をふるった御馳走が、テーブルの上に所せましと並び、庭木の手入れをしていた父も、戻ってきて、総勢大人五名、子供二名で料理を囲んだ。


 母も父も宴席で俺の仕事のことをいろいろ聞きたがったが、結婚については、いい人はいないのかなど、一言も触れなかった。


 もちろん両親は六年前に自死するまでに俺と三年の間付き合っていた光希のことを知っているから、俺の気持ちをおもんばかり、光希のこと、そして、新しく誰か結婚できるような相手はいないのか、などは、口にしなかった。そんな優しい両親だった。


 思えば、俺がこの家にあまり立ち寄らなくなったのも、光希が亡くなってからのことだったのだが、両親はそのことも、責めたり恨んでいる風はない。よくできた両親で、俺にとっては、そのことそのものが、ありがたくも心苦しくもあった。


 父がそうそうにつぶれ、母も洗い物を片付けて寝てしまい、梓さんも朔と凛を寝かしつけに二階の寝室に上がり――そうして、宴席のあとには俺と啓だけが残った。


 年末で騒ぎかえるテレビのバラエティーを見ながら、酒とつまみの応酬を繰りかえすうちに、兄がようやく、俺のことについて触れた。


「順は、無理しなくていいからな」

「ん」


「順には、幸せになってほしいと、俺も、父さん母さんも、月並みのことを思っているが、それでも、時間がいちばんの薬だから。あまり、平気なふりばかりするなよ。たまには頼れ」


「啓兄、ありがとう」


 言葉少ないながらも、啓が俺を気にかけていてくれることが伝わり、俺は啓のさかずきに、またすこしぬる燗を注ぎ足す。


 テレビは天気予報に代わり、画面には雪のちらつく夜の風景が映し出された。海も雪だな、そう思い、俺は母の漬けた沢庵をつまむと、口に入れて噛んだ。


 静かな、静かな年末だった。来年は、どんな年になるだろう。そう思いながら、俺は酒の回った頭をゆっくりと振った。

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