第27話 栃木新聞編集部

27 栃木新聞編集部

 

 黒元哲也は宇都宮にある本社の編集部に呼ばれていた。高野編集局長は、黒元が栃木新聞に席を置いたときの、デスクだった。なにかと口やかましい上司だったが、まがりなりにも黒元がルポライターとしてやっていけるのは、彼の下で厳しい記者修行をさせてもらったからだ。


「黒ちゃんよ。啓介はざんねんだった。あんな死にかたをしたのだから、よほど辛いことがあったのだろうな。それでだ、おれは黒ちゃんに戻ってもらいたい。黒ちゃんさえ、ソノ気があるのなら、どうだ、返り咲かないか」


 そういって局長は黒元の顔をのぞきこみ、コーヒーカップをとりあげた。むかしのように、一気に飲みほした。高野は死可沼が吸血鬼の侵攻を受けていることをしらない。しらされたところで、信じないだろう。


「それにしても、啓介も主観的な言葉をいれちゃうんだな。まあ、最後の原稿だから、許容の範囲内と思い――、あまり直さなかった」


 オレにあのころいっていた言葉だ。主観的にかくな。客観に徹しろ。

 

 栃木新聞――川上啓介の書いた原稿。

 帝国繊維の東工場から西工場へのかけ橋、通称幸橋に北中学の生徒安堂ミホさんがつるされているのが発見された。「一目で死体だということがわかりました」発見者の河川敷をねぐらとしている大門進さんは証言した。「薄暗い外灯をあびてロープのさきでゆれていましたから」

 残酷な死体だった。猟奇事件といっていい。こんな田舎町でこのような事件が起きたのははじめてだった。血をぬかれ、内臓もどうようにぬかれて、薄っぺらになったミホさんは春の風に揺れていた。


「まだ主観が入っている。一応朱を入れたが、原文に近いままで載せたのは啓介の最後の原稿だからだ。どこに朱をいれたかは、わかるよな」

「ありがとうござします」

「まあいい。それより、なにが起きているんだ。どうも死可沼がキナ臭い。大スクープとなるような事件になっていくようだよ、この事件は」

 

 啓介は吸血鬼に噛まれた。その存在を身をもって体験した。そのために主観的な原稿を送った。


 あのときもそうだつた。

 哲也が記者をやめる直接の原因となったことは、記事に主観が入り過ぎると叱咤されたことにあった。高野がいまもあいかわらず、啓介の原稿に同じような指摘をしている。ごていねいに朱を入れた原稿までみせられても、むかしのようには反発しなかった。

 

 これでおれが反抗しなければ、本気でおれの復帰をかんがえてくれている。ありがたかった。フリ―であれ以来仕事をしているので、黒元も人の情というものを少しは理解できるようになっていた。高野の温情がうれしかった。


 哲也が退職をきめた、あのときは、たしかに主観的になったはずだ。妹の自殺の記事を書かなければならなかったのだから――。


「動きにくかったら、書きにくかったら、他のものに変わってもいいぞ」

 と編集長だった高野はいってくれた。身内のことをかくのは辛いだろう。

「いや、ぼくが預からせてもらっている死可沼で起きた事件ですから」

 そういって取材をつづけたのは黒元だった。でも、実の妹の絞首による自殺を記事にするのは苦しかった。妹が自殺する原因はなにもなかった。警察に黒元は食ってかかった。


「他殺の線でも捜査するべきでしょうが」


 無視された。


「身内だから、そう思うのはもっともだが、あれはどうみとも自殺だよ、黒ちゃん」


 担当の岡部刑事にいわれた。いまは定年で退職している岡部。そうだ岡部さんを訪ねてみよう。

 妹のときのように、ミホはロープに吊るされていた。黒元はおどろいた。臨時の記者として復帰したのもなにかの因縁だ。妹の死因を追求したい。会社に再就職するかどうかは、死因を解明してからでいい。あれから、ずっとこだわっていたことだ。これで、なにもでなかったら、きれいさっぱり諦める。


 それまでは妹の死因は自殺だなんてかんがえたくない。

 岡部は坂田山団地のてっぺんに居をかまえていた。定年になってから5年はたっている。一別以来の挨拶がすむと、黒元はずばりきいた。


「あのとき、プレッシャーをかけてきたのはどの辺だったのですか」

「妹さんが中学教員だったからな……」

 この期に及んで公務員の守秘義務を盾にとるつもりだ。


「新聞社にまで圧力がかかった。おかげで、わたしはデスクと衝突。記者を止めました」

「聞いている。気の毒だった」

 ただそれだけの言葉だった。


「よほど上のほうからですか」

「妹さんは、中学の教員だったから」

「それで」

「那須の中学女子教員刺殺事件から、いくらもたっていなかったからね」

「北中の女の子がたて続けに襲われているの、聞いていますか」

「新聞は読んでいる」

「なにか事件解決の糸口だけでもつかめないかと……」

 訪問した理由を告げる。


「職員名簿をしらべたら。妹さんの当時勤務していた中学の職員名簿だ」

 青天の霹靂だった。

 そうか。

 そうなのだ。

 どうして、こんな簡単なことを思い浮かばなかったのか。


 犯人は身近にいる。黒元は脱兎のごとく岡部の家をあとにした。

 

 

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