第2話 鬼との対決


 ◆

 故郷には、暗雲が立ち込めていた。

 陸に上がった浦島太郎は、目の前に広がる光景に衝撃を受けた。

 鬼だ。

 熊のような巨体で、頭に角が生えている。赤鬼と青鬼の二匹が、笑いながら浜辺で、村人たちを殺戮しているのだった。彼らは素手で、鋭い爪と牙、恐ろしい腕力で、歯向かってきた村の男どもを叩きのめしているのだ。

(討伐隊だ……遅かった)

 浦島太郎は自分の手足が震えてくるのを感じた。血を吸った砂浜、金臭くなった磯の匂いで胸が悪くなりそうだ。立って、武器を構えているのは五人程度だろう。村にいた男衆は三十人程度だったから、ほとんどが倒されてしまったのだ。

「む、村を、村を返せ!」

 それでも震える声で声を張り上げる声の主を見て、浦島太郎は総毛立った。

(親父!)

「黙れ、下等生物が」

「おお、まだ我らに歯向かうか。笑わせてくれる」

 嘲笑とともに、赤鬼が父に手を伸ばす。思わず、浦島太郎は駆け出していた。

 爪が届く寸前、浦島太郎は父親に体当たりをしていた。赤鬼が、ぎょっとして動きを止める。

「たっ、太郎?!」

 もつれるように転んだ父が、驚いて叫んだ。浦島太郎は身を起こし、父を後ろ手にかばいながら鬼たちを見据える。

「親父、皆も逃げてくれ! ここは俺が何とかするから!」

 苦労して鞘から刀を引き抜く浦島太郎を見て、ほう、と鬼たちが残忍に笑った。

「ずいぶん威勢のいいことだ。この惨状を見て、逃げない勇気は褒めてやる」

「で、どうするつもりだ青二才。刀の持ち方からして、まるでなってないぞ」

 浦島太郎の背中を、冷たい汗が伝い落ちた。いまだに自分の手足は、みっともないほど震えている。その様子に、さらに鬼たちは笑い出した。

「その様子じゃ、戦えまい。安心しろ、全員あの世に送ってやる!」

 そう言って青鬼が、浦島太郎に向かって拳を繰り出した。

(姫様、すみません)

 浦島太郎は一瞬きつく目をつぶり、玉手箱のフタを開けた。そのとたん、光が玉手箱からほとばしり、周囲を金色に染め上げる。

「な、なんだ?!」

 鬼たちがあまりのまぶしさに目を覆い、たたらを踏む。光が消えた。目を細めながら、鬼は、人々は、光の大元となった若者の姿を見て、思わず息を飲んだ。

 姿は、浦島太郎のままだ。だが、刀を正眼に構え、切っ先を鬼の喉元に向けるその目には、鬼の背筋を凍らせるほどの殺意がみなぎっている。

 鬼たちがごくりと、つばを飲んだ。口角を広げ彼が笑うと、血に汚れた牙が覗いた。

「どうした、青二才……。急に、調子づいたようだな。楽しめそうだ」

 一歩、青鬼が浦島太郎に足を踏み出す。浦島太郎も、足を踏み出しながら、乙姫の言葉を思い出していた。


《玉手箱の能力。それは》


 足が、地を蹴った。

 ひと呼吸のあいだに、浦島太郎は鬼に距離を詰めていた。青鬼がかっと、目を見開く。


《あなたの体に、一時的に武神を降ろすこと!》


 切っ先が、青鬼の鎖骨に触れた。浦島太郎はそのまま力ずくで、刀を振り下ろした。

 鮮血が散る。鬼が断末魔を叫ぶ暇すら与えず、浦島太郎は青鬼を一刀両断したのだ。人々から、悲鳴とも歓声ともつかない叫びが上がる。

「小癪な……!」

 赤鬼が、目を釣り上げて浦島太郎へ向かってきた。さっと周囲に目を走らせ、浦島太郎は人がいない、崖に向かう道の方へ駆け出す。

「俺が相手だ、鬼め! 倒せるものなら倒してみろ!」

 赤鬼が怒りの唸りとともに、柵を引き抜いて投げつけてきた。一抱えもある杭が連なっている柵が、槍のように浦島太郎に迫る。

 浦島太郎は俊敏にそれをかわし、斜面を登る。赤鬼の背後で、加勢しようと追いかけてくる村人たちに、浦島太郎は声を張り上げた。

「皆は村にいろ! また鬼が戻ってこないように、村を守れ!」

 村人たちの足が鈍ったのとほぼ時を同じくして、赤鬼が浦島太郎に追いついた。振り上げられた赤鬼の腕に斬りつけ、浦島太郎はさらに斜面を登る。

 浦島太郎は歯を食いしばりながら、刀を振るった。斬りつけては距離を取り、繰り出される拳をかわす。赤鬼は機敏で、強大だった。

 何度か爪がかすり、浦島太郎は自身の血に塗れながら、上がる息の音を聞いていた。

「ふん……疲れたか、小僧」

 赤鬼の嘲笑が気に障る。浦島太郎は首を振って流れてきた汗と血を払い、再び刀を正眼で構えた。いつの間にか二人は、崖の上まで上り詰めていた。

 浦島太郎はなんとか笑い、じりじりと足幅を広げる。

「お前だって、息が上がっている」

 赤鬼はぎらついた目を細め、口角を上げた。鬼もまた、上半身は斬りつけられた血が止まらず、半身を赤く染めていた。鬼は笑いながら、口を開く。

「正直驚いた。我らと同等に戦える人間がいるとはな。……だが」

 そう言うやいなや、赤鬼はいきなり、拳を地面に叩きつけた。

 その瞬間、崖が弾むように唸り、浦島太郎は体勢を崩す。まともに立っていられなくなった彼のもとへ、ひび割れた地を、赤鬼が笑いながら突っ切って距離を詰めてきた。

「これで、いなくなったぁあああ!」

 勝利の雄叫びを上げる赤鬼の拳が、目前に迫る。浦島太郎は転がって拳から逃れる。が、再び赤鬼の拳が地面に叩きつけられた瞬間、自分の体が浮くのを感じた。

 驚愕する浦島太郎と、笑うのをやめた赤鬼の、目が合う。

 動いたのは浦島太郎の方が早かった。衝撃を利用し、赤鬼の肩を蹴り、さらに跳躍する。

 構える。切っ先は既に、鬼の額に触れている。

 赤鬼が拳を突き出すより先に、浦島太郎は赤鬼を真っ二つに斬り伏せていた。


「やった……」

 つぶやき、フラフラと座り込んだ瞬間――。

 今まで立っていた崖が、崩壊した。悲鳴を上げる間もなかった。落下が始まる。浦島太郎は、遠ざかる空を、声も上げずに見つめた。


 ◆

 浦島太郎は、急速に、自分の体から力が抜けていくのを感じた。

 喉が干上がるような感覚が、体中を締め付ける。体中の水分が、蒸発して消えていってしまうような、気味の悪い感覚。

 ただ、それとは裏腹に、心は晴れやかだった。風に暗雲が吹き飛ばされ、太陽が見えてくるのが見え、その思いは一層強くなった。乙姫の言葉が、脳裏に蘇る。


《この力には、代償があります》


 風が頬を切る音が強くなっている。海に落ちる。そう悟り、浦島太郎は天に手を差し伸べた。その手は、今までの彼の手とは違っていた。

 乙姫の声が、記憶の中で響いていく。


《代償は、あなたの生命力》


 あなたの生きる力を武神に捧げ、戦う力を得られるのです。

 ああ、と浦島太郎は記憶の声に相槌を打った。視界に入る黒だった髪は真っ白になっているのが見えたし、手は皺が寄って骨ばった、老人のものに変わっていた。


《でも、私は待ってるわ。どんな結末になっても――あなたが、老人に変わってしまっても》


 浦島太郎が唇を緩めた瞬間、風が完全に雲を取り払い、青空が見えた。波の音が迫るのが聞こえる。彼を招き入れるように、波がせり上がる。水をかぶり、意識とともに、浦島太郎は海に飲み込まれていった。



「やっぱり、あなたは玉手箱を使ってしまったのね」

 頭上で声が聞こえた。まぶたを上げると、乙姫が相変わらず泣き腫らした目で、微笑んでいた。竜宮城の門で浦島太郎は仰向けに寝そべり、彼女の膝を枕にしていたのだった。

 もう一度、浦島太郎は年を経た、自分の手の甲を見て苦笑した。

「でも、あれがあったから、ここに帰って来ることができました」

 そうね、と乙姫はにっこり笑い、涙がひとしずく、浦島太郎の頬に落ちた。

「おかえりなさい」

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浦島太郎の真実 中梨涼 @ryounakanasi

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