第18話
時間は流れ、最後の学芸会の日――。
シンデレラの舞台にあがる彼女の娘を体育館の観覧席で見る日が来た。
俺は一昨年の経験を活かし、満員になると席が取れなくなるので、彼女の娘の劇でなくても、最初から他の学年の演劇も観覧し続けることにしていた。周りは我が子を見ようとする親達で溢れかえり、小学生の体育館は満員御礼状態。やはり、始めから見やすい席を確保していて正解だった。
上演は一年生から始まり、最後のプログラムであるシンデレラの劇が始まるまで二時間半掛かった。
そして、最後の劇、開始のベルが体育館に響く。
彼女の娘の登場は物語どおりなら、最初から出番があるはずだ。さて、シンデレラの登場が先か、継母の登場が先か?
ナレーターの子のセリフが終わり、シンデレラの劇が動き出すと、幕の袖から最初に姿を現わしたのは彼女の娘だった。継母のドレスを着た彼女の娘を見て、観覧席は俄かに騒ぎ出す。派手に目立つ金髪は、主役のシンデレラと逆ではないかということなのだろう。俺も、そう感じる。
しかし、主役のシンデレラの女の子と彼女の娘が揃って立つと、その違和感は直ぐに吹き飛んだ。外国人の母親の血を引いている彼女の娘の背は、同じ学年の女の子よりも飛び抜けて高かったのである。
『もしかしたら、そういう気遣いが彼女の娘には出来るのかもしれない』という風にも感じたが、その考えもさっきの違和感を吹き飛ばしたように、直ぐに吹き飛ばされる。
「シンデレラ! これで掃除をしたっていうのかい?」
彼女の娘が眩いばかりに光り出した……悪質な継母として。
「こっちの手摺りには指紋が残っているわよ? こっちの窓枠には埃。そして、暖炉には薪が用意できてないじゃないか!」
シンデレラに、そんな細かいことを言うシーンはあっただろうか?
これが彼女の娘の提案で、アドリブが追加されたなんてことがないと信じたい。
「お前は、くだらない子だねぇ……。こんなことも満足に出来ないのかい?」
彼女の娘は首を振って、両手をあげる。
そこに継母の夫が現われる。
「仕方ないじゃないか。シンデレラは、この家に来たばかりなんだから」
う~ん……。この夫の役の子、『仕方ないじゃないか』の言い方が、某ドラマのラーメン屋の息子にそっくりだ。よく考えれば、あれも昼ドラと似たような展開だったような……。このアレンジは意図的なものを感じる。
その後も、継母の出番は続き、執拗にシンデレラいびりが続く。そして、遂にはいびる対称はシンデレラを庇う夫まで拡大し、『この甲斐性なしが!』と継母役の彼女の娘が一喝すると、夫役の男の子はしゅんとしてしまった。あれ、本気で凹んでないか?
まあ、何というか、本当にネチネチとした継母の言い回しが昼ドラっぽい……。
「あ」
継母がシンデレラに足を掛けて転ばせた。更に転んだシンデレラの手を踏みつけて行った。
「昼ドラ全開だな」
しかし、そういう彼女の娘の趣味ばかりを気にして見てしまうのは、身内だからなのかもしれない。周りの反応は、俺の反応とは明らかに違う。小学生の学芸会にも関わらず、シンデレラに対する継母の酷い仕打ちを嫌悪しているのである。
一昨年は低学年を恐怖のどん底に落とし、今年は親達をイライラさせるのか……。
この二年半、ずっと録画した昼ドラを見続けてきたため、彼女の娘は大人の女の嫌がるツボというものを知り尽くしている。俺は周りの母親達の嫌なオーラを感じながら、舞台で継母を演じ続ける彼女の娘に苦笑いを浮かべてしまった。
とはいえ、シンデレラの話は、ヒロインのシンデレラがどん底から王子の妃になるサクセスストーリーである。どん底をどれだけ見せるかにより、最後のどんでん返しのギャップで観客は盛り上がる。
「彼女の娘は、最後にどういう演技をするのかな?」
あの完ぺき主義者の彼女の血を引く娘が、いびりのシーンが終わったから手を抜くということは考えられない。小学生の劇でありながら、俺は最後のシーンに期待をさせられていた。
…
物語は進み、一人だけ城の舞踏会へ行けないシンデレラの前に魔法使いが現われ、城からの去り際にガラスの靴を落とし、ガラスの靴から持ち主を見つける最後のシーンへ……。
彼女の娘は、ツンとそっぽを向いていた。
「奥様、奥様もお試しください」
王子の使いの役の子が、ガラスの靴を差し出すと彼女の娘は言い放つ。
「わたくしが履いて、踏み潰してもいいなら履くわよ。そもそも、こんなに背の高い女が履けるサイズじゃないことは分かるじゃない」
「お、奥様?」
「わたくしの娘が履きます」
憎き継母の役は、尚も継続中。彼女の娘は、最後の最後まで継母という役目を楽しむつもりなのだろう。娘達がガラスの靴が履けない怒り、シンデレラが履いてしまった悔しさ、それを体一杯に表現していた。
劇のクライマックスは、継母がシンデレラにした仕打ちがあまりに酷すぎたせいか、シンデレラがやたらと伸し上がってしまったサクセスストーリーに見えたが、体育館の反応は悪くない。シンデレラの劇が終わると、体育館は割れんばかりの拍手が響いていた。
小学校高学年最後の年にやるには簡単な内容の劇だったが、その分、質の高さを見せつける内容だった。アドリブで追加されたであろうシーンは随所に見られ、大人が見ても喜怒哀楽の感情の表現を面白いと感じさせる演技だったと思う。
何より、この劇のカタルシスを作り出していたのが継母という悪役を演じた彼女の娘であるのは、誰の目から見ても明らかだった。
「さすが、彼女の娘だ」
最後まで手抜きがない。まるで彼女自身が娘にしてきたことのようだった。
「…………」
だからなのだろうか、この演技は嬉しいはずなのに少し寂しい……。
まざまざと彼女から受け継いだものを見せつけられて、彼女の娘の中にしっかりと彼女が残したものが分かってしまった。
それは彼女にはやり残したことがないということであり、別れの準備を済ませたということだった。きっと、彼女が彼女の娘に伝えきれていないことはないのだ。
彼女の娘が演じた最高の劇を見て、彼女との別れが近いことを感じてしまった。
俺は、こんな形で彼女との別れを強く認識するとは思わなかった。
…
学芸会が終わり、体育館の外で一息ついていると、衣装姿の彼女の娘が現れた。いつも通りの笑みを浮かべ、今日の笑顔の中には達成感も混じっている。
「良かったよ。周りの人も、継母に嫌悪感を持っていた」
「そう思う。ママが『あの視線に覚えがあるわ』って、わたしの中で言ってたから」
それは最高の賛辞になるのだろうが、彼女は『あの視線』とやらをいつ体験したのかが妙に気になる一言だった。だけど、今は置いておこう。彼女に妙な疑問が付き纏うのは、日頃から分かっている。
俺は彼女の娘の全体に目を向ける。
「まだ衣装を着たままなのか?」
「これから記念撮影があるからね。撮影の真ん中でシンデレラを演じた子と並んで撮るの」
あの迫真の演技を見た後では、何とも違和感バリバリなものを想像させてくれる。
その俺の微妙な顔つきを読み取って、彼女の娘は声をあげて笑っていた。
「先生がね、保護者に配るDVDの最後に、その記念写真を入れたいんだって」
「随分とユニークな先生だね?」
「アフターケアらしいよ」
「何の?」
「モンスターペアレントの」
「は?」
彼女の娘は右手の人差し指を立てる。
「つまり、『この物語はフィクションです。シンデレラを演じていた子と継母を演じていた子は仲が悪いわけではありません。普段は仲良しの友達です』っていうアピールを入れるの」
この国の常識は、どんどん腐敗していくな……。
「今の親っていうのは、そんなことも分からないのか?」
「そうみたい。だから、これがないと、おじさんだって呼び出されるかもしれないよ?」
「それは御免被りたいな」
まあ、既に君の作文のせいで、何度か呼び出されているんだけどね……。
とりあえず、今は切ない現実の報告は置いておこう。そのフィクションをアピールする記念撮影すら、彼女の娘は何かに変えるに違いないのだから。
「で、その記念写真では、どんなことをするんだい?」
「……どうして、わかったの?」
やっぱり、何かする気だ。
「付き合い長いから、君のことなら何となく」
「おじさんごときに見透かされるとは」
「俺は、どれだけ格下に見られてるんだ?」
彼女の娘は笑って誤魔化すと、話を続ける。
「まあ、その……。こっちもアフターサービスまで、きちんと楽しみたいだけなんだ。シンデレラの子と熱く腕を絡ませてガッツポーズをかますだけ」
「いいな、それ」
「でしょ!」
まだ小学生で、これだ。中学、高校と進学していくにつれて、この子は、どれだけ面白い生物になっていくのか。
「家に帰ったら、それを彼女と語り合いたいね」
「わたしも混ぜてよ!」
「ああ、君が主役だ」
もう少しで彼女の居ない未来が始まる。その分かり切っている未来の前に、俺も彼女達との思い出を少しでも多く残したいと思っていた。
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