向日葵少女と最期の夏

玄時くろの(前:クロノス)

悲しき悲しき向日葵の

【はじめに】

 この短編小説は、絵師の「くそねみ(現:布団くれ)」さんがTwitterに投稿された「向日葵少女」のイラストをもとにして書いたものです。まだそのイラストをみていないという方は、どうか一度検索して、儚く美しいそのイラストをみてから読まれることをお勧めします。


それでは、どうぞ本編へ。

────────────────────




 ──もう、夏が終わる。

 校内の一角。私は中庭の花壇に咲く一輪の向日葵ひまわりを、既に枯れてしまった、その姿を眺めていた。

 かつては美麗に、燦然さんぜんと咲き誇っていたこの向日葵にはもう鮮やかな黄色の花弁は存在しない。私の身長を超えていたはずの茎は哀れにも折れ曲がり、茶に枯れた花弁は悲しくも夏の終わりを物語っている。

 ちょっと前までは元気だったのになあ。

 少し気分が暗くなる。

 そう、今から数週間前は、

 ──『君』と出逢ったあの時は、まだこの向日葵は力強く咲いていたはずだ。しかし、今はもう、そのかつての面影は残酷なことに残ってはいない。

 私は、この夏に何が出来たのだろうか。私の求めたものは……


 ──、少しは幸せに生きることが出来たのだろうか。


 記憶に、短いたった数週間の『思い出』に意識をせる。記憶に一番残っているのは、やはり、『君』のことだ。私が追い求めて、求めた、君は……

 ──あぁ。私は、君に、君に会えて……

 君と出逢って言葉を交わしたい。一緒に同じ笑顔を浮かべたい、と願い、そして、


 ──姿を偽り、声をかけたあの時から。


 私は、知ってしまったのだ。

 自分の『好きな人』と過ごせる日々の、その温かさを。幸福感を。

 君は、暑さに苦をもらさずほぼ毎日のようにここへ、向日葵の花壇へと来て、私のことを気にかけてくれた。その時、


 ──を、今でも確かに覚えている。


 それで、私はこの人と話してみたい、と。一緒の時を過ごしてみたいと、君とはたがえた存在にして傲慢ごうまんにも願ってしまった。

 そして私は君のもとへと赴き、


 ──君のことが好きだ、と声をかけた。


 君は突然のことに頬を赤くしていた。でも満更でもなさそうに、どういうこと? 君とは初対面だよね? と、おどおどと私に返してくれた。

 それを見て、何故か、理由はわからないけど私も顔が熱くなる気がした。

 でもなにより、


 ──初めて君の声を聞けて、ひどく困惑していたみたいだけど君に声をかけられて、私は……私はその時、胸の奥がぎゅっとなるような、不思議な、とても心地の良い胸の苦しさを感じたのだ。


 それからは、まだ納得がいかないと、意味がわからないと首をひねる君の意は気にせずにいろんな所へ行ったものだ。

 初めてもと居た場所を離れて、街へと足を踏み出した私はいろいろと分からないことだらけだったけれど、仕方ないなぁと困ったように頭を掻いた君に連れられ、様々な経験をした。

 最初は突然声をかけてきた私に困惑していたようだけれど、だんだんと君は私に心を開いてくれているような、少しずつ私にむける笑顔が増えていっているような気がして、そのたびに恥ずかしいというか、不思議な気持ちになったものだ。

 大好きな君と過ごす夏休みは本当に楽しくて、幸せで、私は……


 ──私は、ついぞ自身の終わりに気がつくことは無かった。


 少し話は変わるが、どこかの知識人が言うに、自身の『死』を生前から知っている生き物はどうやら人間だけだという。

 他の動物たちは自身に死が訪れることに気づかないまま、その最期を迎えるらしい。


 ──当然だが、可憐な花々も。


 私は気づけなかった。だから、君とずっと一緒にいられると、これからも幸せな時間を過ごせるのだと、信じてやまなかった。


 ──夏の終わりに枯れるらしい。


 知って、私は頭の中が真っ白になるような、何も考えられなくなるような不思議な感覚におちいったのだ。


 そして……そして私は今、ここに戻ってきたのだ。

 全ての事の原点に。君という存在を知り、そして君に触れてみたいと願った、あの私の物語の始まりの地へと。

 独り。誰の姿も無い。

 この場で私は孤独にして最期を迎えるのだろう。でもその運命を恨んだりはしない。だって夢は叶ったのだから。君と、短くはあったけれど幸せな時間を過ごすことが出来た。そう。もういいんだ。満足なんだ。

 だから、もう私は……


 ──でも……


 君ともう会うことが出来ないなんて。君と一緒に食べたものの味も、君と触れ合ったときの心地よい香りも、君の声を聞くことも、君の笑顔を見ることも、君の手に触れることも、私は、もう二度と知覚することは叶わない。

 そんな、そんなのって……

 

 ──知らず、涙がこぼれた。


 やっぱり、嫌だ。君と離れたくない。もう二度と会えないなんて誰が望んだか。私はずっと、ずっと一緒に……!

 涙を零す私は、まともにその場に立っていられなくて、セーラー服が汚れるのもいとわず枯れた向日葵の前に泣き崩れた。絶望?悲哀?なんなのだろう。その両方だろうか。どっちにしろ、私は、もう心身共にたないのだろう。だって、ほら……

 ちょうどその時、その向日葵が些細なそよ風に半ばからへし折られ、朽ちたその姿が下向けた私の視界に力なく横たわった。

 そう、もうすぐ私は最期を迎えるのだから。

 直に、全て、本当に全部が全部、消えて、過去の記憶へと成り下がってしまう。

 そう思うと、ひどく心地の悪い胸の苦しさを感じた。

 嫌だ、嫌だ。やっぱり君と離ればなれになるだなんて、そんなの、


「嫌ッ……ずっと一緒にいたいのに……!」


 抑えられず、涙の滲むしゃがれ声で痛切に吐露した。


「それくらい、いいでしょ……私が幸せに生きることくらい、なんで、なんで叶えてくれないの! どうしてッ!」


 感情の決壊。心の痛さに叫んだ。

 どうしようもなく苦しくなって、目の前に落ちていた向日葵を胸に掻き抱く。

 痛みに嗚咽を零し、涙にぬれた目をつむる。最期は、せめて最期は大好きな君の笑顔を思い浮かべて短き生に終わりを告げたい。だってもうどうしようもないんだ。尽き往く天命をくつがえすことなんて私に出来るわけがない。もはや甘んじて受け入れるほか私に運命は残されていない。全てを諦めて、私は抗うことをやめるしかなかった。

 嗚咽をもらしたまま、そっと閉じたまぶたの裏に、君の笑顔を幻視する。走馬灯、というものなのだろうか。君の眩しい笑顔と、君と駆けた街並みに、君と見た茜の夕焼け空……

 その時の様子をはっきりと思い出す。

 影絵のように建物や街路樹の黒い影が浮かぶその夕焼け時、君は私に伝えてくれた。

 ずっと私が待ち望んでいて、それでもなかなか言ってくれなかったその言葉。その気持ち。それを、思い出す。


 ずっと言われっぱなしで答えてあげられなくてごめんね。

 僕も……僕も、君のことが、


 ──大好きです。


 事細かに思い出した。君は確かに好きだと伝えてくれた。そうだった。私はその時、得も言われぬ幸福感を感じたのだ。

 だったら、私はやっぱり幸せ者だったんじゃないか。今はこうしてむなしくも最期を迎えようとしてはいるが、私は大切な人を見つけられ、あまつさえ仲良くなることも叶い。


 ──君に、大好きだって言ってもらえて。


 ……そうか、私は幸せ者だったのだろう。

 君が言ってくれたその美しい響きを口のなかで反芻はんすうする。

 君にそう言ってもらえたんだから、大好きな君に大好きだって言ってもらえたんだから、確かにこれから会えなくなるのは残念だけど、それなら、もう、悔いだなんて感じる必要はないじゃないか。だって、こんな短い人生において、長命な人間たちですら得ることが出来るかも分からないような、そんな確かな幸福を味わえたのだから。

 私は、考えながら、深い、深い水の中に沈んでいくような不思議な感覚を感じた。体は言うことを聞かず、ゆるやかにその水の中へと落ちていく。

 水面にて生死を別つ、その片方へと、落ちていく。

 私は、もう最期の時を迎えるのだ。


 それでも、私のこの夏だけの短い一生を彩ってくれた君は、君のことはきっと忘れないから。

 私がいなくなっても、どうか悲しまないで。でもそれは、難しいことなのだろうか。

 これからも、ずっと、君は……

 少しずつ息が苦しくなってくる。枯れた向日葵わたしを胸に抱いたまま沈む死の水のなか、それでも私は精一杯の笑顔を満面に浮かべて……


 私は、君に逢えて本当に良かった。

 逢えたのが君で、本当に良かった。


 もうとっくに息は出来なくなって、体の感覚も怪しい。

 死へと沈み往くなか、それでも必死に喉を震わせて、私は君に言葉を遺そう。


 そんな掛け替えのない君のことが、私は、私は……


 死へと背中が触れた。もう戻れない。でもやっぱり、最期にこの言葉だけを。私の心の底からの感情を。

 最初に、私の物語が確かに彩りを持った、その始まりの言葉を、君に遺そう。

 私は……





 ──君のことが、大好きです。

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