12.妖精竜と少年

 元魔王討伐隊の面々と別れ、娘とカナリヤ、ヒスイは砂漠を歩いていた。

 人気ひとけがないので、カナリヤも擬態を解いて、妖精竜ほんらいの姿をとっている。


「よし、魔力の制御法はこんなもんだろ。シラユキのやつ、口ではああ言いながらも親切だな」

「ええ。とてもわかりやすかったです」


 娘は、手の中の白い鱗を指先でなぞる。

 雪の結晶模様が刻まれた「永遠とわの雪」は、ひんやりと冷たくて気持ちがいい。

 紅き竜の末娘が知識を詰め込んだそれは、言わば変わった形の魔導書だ。

 カナリヤが魔力を使って読み出し、娘に内容を伝授することで、娘は魔力の制御法をものにすることができた。


「もう少し早ければ、それもなんとかなったのにな」


 カナリヤは娘の顔――顎にできた、小さな紅のかけらを見つめている。

 クラノとラニの挙式後、砂漠の国に滞在中半年で成長した娘の鱗だ。


「これは仕方ありません。でき始めたのは魔王戦のすぐあとでしたから。むしろ、この大きさで留められたと言うべきかと。リッカさんの知識と、カナリヤさんの教えがあってこそです」


 この程度なら、華やかな装飾だ。むしろ、「紅き竜の巫女」に箔がつくと、娘は前向きに考えている。


「ところで、よかったんですか? 師匠の元に残らなくて」

「オレ?」


 カナリヤはきょとんとした顔で自身を指す。

 その様子はあどけなくてかわいらしいのだが、そう思っていることを娘はおくびにも出さない。

 カナリヤも、永きを生きる立派な雄竜なのだから。


「師匠はついに、魔法をまったく受け付けなくなってしまいましたし。治癒術は魔法とはまた異なるようですが、キララほどの使い手はそうそういないでしょうから」


 その点、カナリヤが操る多彩な「竜の息吹」は、そんなクラノの体質を無視できる。仮にクラノが傷を負ったとして、カナリヤなら治癒が可能というわけだ。


「あいつがそんなタマかよ。大怪我したとして自力で治るような奴だし、そもそも魔王からかすり傷しかもらわなかったんだぜ?」


 カナリヤは半眼で、当時のことを思い出しているようだ。


「それにさ。クラノとはそれなりに長く旅してきたけど、これからずっと一緒にいないといけないわけでもないし。うら若き乙女といとけない子供ふたりで砂漠を歩かせるほど、オレは薄情じゃないんだよ。な、ヒスイ」


 急に話を振られて、ヒスイは驚いたあとにふんわりと笑みを浮かべる。

 魔法の手ほどきなどをはじめ、ヒスイはカナリヤに面倒を見てもらう機会が多い。なので、母であるクレナイに対するのと同じくらい、カナリヤに懐いているのだ。


「あの……。コハクさまとクラノさんは、いつおしりあいになったんですか?」


 ヒスイが、ふと思いついたといったように口を開く。


「そういえば、私も聞いたことがありませんね」

「そうだっけ? じゃあ、あそこで休憩がてら昔話でもしてやるよ」


 カナリヤはそう言って、少し先に見える、陽炎かげろうの中のオアシスを前脚で示した。


「二十年くらい前だったかな。オレもまだ今ほど丸くなくてな――」



 ◇ ◆ ◇



 カナリヤは妖精竜だ。

 妖精竜とは最も小さい竜の一種で、ありとあらゆる魔法を自在に使いこなす。

 カナリヤの身体は黄玉おうぎょくの鱗に覆われ、大きさは大人の猫ほど。


『妖精竜は雲霞を食べて生きる』と言われることがあるが、あながち間違いでもない。必要な魔力は、花や魔力濃度の高い霊泉などといったものから取り入れる。

 花の蜜を吸っている様子は、人間の子供から見れば好奇心を刺激されるものなのだろう。

 だからカナリヤは、


「食事の邪魔だ、人間」


 喜色満面で走り寄ってきた人間の少年を、風の魔法で遠慮なく吹き飛ばす。

 少年は宙を舞い、草花を巻き込んで地に落ちた。


 手加減はしなかった。人間に手心を加える理由などない。

 死にはしないだろうが、かなりの痛手を負ったはずだ。これに懲りて、誰もカナリヤの邪魔にならぬよう、人間たちに竜族の恐ろしさを広めればいい。

 そう思っていたのだが。


「いってー。びっくりしたなー」


 のん気なその声を、カナリヤははじめ、聞き間違いだと思った。

 しかし、妖精竜の魔法をもろに食らったはずの少年は、むくりと身を起こす。

 転倒した際についた擦り傷などはあるが、魔法によるものは、見た限り皆無だ。


「おー、やっぱ竜だ! 俺初めて見た!」

「うるさい!」


 少年が言い終わる前に、カナリヤは小さな竜巻を起こす。

 土と草花を巻き上げて少年の視界を閉ざし、その隙にさっさと立ち去った。

 追い払う方が手間がかかるかもしれない、という判断からだ。


 この辺りは、普段から人間たちの立ち入りが滅多にない。場所を変えれば、二度と会うこともないだろう。



 次の遭遇は三日後だった。


「竜、見つけたぜー!」


 妖精たちの遊ぶ泉で翼を休めていたカナリヤは、眉間に思い切り皺を寄せる。


「……泉の周りは迷路になっているはずだが」


 ここでは、妖精と泉に蓄積されたふたつの魔力が絡み合い、幻の迷路が絶えず現れる。人間は惑わされ、泉にたどり着くことは叶わない。

 はずなのだが。


「え、そんなんなかったけどな?」


 少年は無神経な明るさで言い放つ。

 よく見てみれば、少年の身体に触れた魔力がぱちりぱちりと弾け、薄れている。


「破魔の体質か……」

「なにそれ?」


 気づけば少年は目の前にいた。

 カナリヤは思わず頭突きをする。


「いってえっ!」

「寄るな人間!」

「俺はクラノだよっ!」

「お前の名など聞いていないっ!」


 齢三百を超える妖精竜と、対する十歳程度の少年は、しばらくやかましく騒ぎ立てていた。


「ええい、埒があかない!」


 カナリヤは、魔法で泉に氷柱つららを立てる。

 巨大なそれは、細かな水の粒となって一帯に飛散した。

 陽の光が差して薄い虹模様が広がり、あらゆるものの輪郭をぼかす。


「おー、すっげー!」


 少年は目前の光景に歓声を上げている。

 カナリヤはまたも、その隙を突いて姿を眩ましたのだった。



 二度あることが、三度あってたまるか。

 と思っていることほど起こってしまうのは、何の因果か、はたまた呪いか。


 一頭とひとりが再度顔を合わせたのは、人里から離れた断崖絶壁。魔力を糧に咲く花たちの自生地だった。


「あ、竜だ! 久しぶりだな!」


 カナリヤは、深く大きくため息をつく。

 泉での遭遇から半年。ようやく顔も忘れかけていたというのに。


「よかった、俺道に迷っちまってさー」


 少年はずかずかと歩いてくる。

 その身体に触れるたび、花の魔力が「ぱきり」と小さな音を立てて壊れ、薄れてしまう。


「待て、待て待て止まれ人間! 魔力が散る!」

「え? 俺クラノって名前があるんだけど」

「止まれクラノ!」


 カナリヤが自棄やけになって叫ぶと、少年クラノはようやく足を止めた。その顔には満面の笑みがある。


「へへへ。相棒に名前呼ばれるってのはいいよな!」

「誰が誰の相棒だ!」


 反射的に放った雷撃の魔法は、クラノに当たる寸前でほとんど散ってしまった。


「何かビリビリしたぞ」


 驚異的な体質だが、全く効かないというわけでもないようだ。しかし、魔法の扱いに長けた妖精竜の一撃をほとんど無効化してしまうというのは、驚嘆に値する。


「あまり気は進まないが、仕方ない……」


 カナリヤは息をいっぱいに吸い込み、『歌った』。

 まとめて「竜の息吹」と呼ばれるそれは、竜の個体によって効果が異なる奥の手だ。カナリヤの場合は「息吹うたごえ」である。

 クラノの身体が、ふわりと浮いた。


「お、おお?」

「人里まで送ってやるから、二度と目の前に現れるな!」


 カナリヤは、締めの一音を歌い上げる。

 クラノはさらに上昇し、かなりの速度で飛んで行った。さながら流星のようだ。

 カナリヤは再度、ため息をつく。

 毎度毎度、相手にしている時間はわずかなはずなのに、どっと疲れてしまう。


「旅に出るか……」


 今の場所に移ってから、それなりに経つことだし。別天地を目指せば、さすがにあの少年と会うこともないだろう。

 カナリヤはその考えに、微塵も疑いを持たなかった。



 三年ほど経った。

 カナリヤは別大陸に渡り、魔力の豊富な秘境をめぐっていた。

 竜族を狙う旅人と鉢合わせたこともあったが、取り立てて驚異でもなく。

 永き命を持つ者として、時が流れるにまかせて日々を過ごしていた。


 だから、油断していたと言えば、そうだとしか言いようがない。


「あ、竜だ! こんなところにいたのか!」


 そのひと言で、カナリヤの平穏は打ち砕かれた。


「お前は……」

「久しぶりだな! 俺はクラノだ!」


 最後に見たときよりも成長し、いくぶん精悍さを増した顔立ちのクラノがそこにいた。


「……どうしてここにいる」

「あ? 姉貴にこどもが生まれたから、何か贈り物しようと思って。かわいいんだぜ、俺の姪っ子!」


 もう一年くらい旅してんだ、とクラノは笑う。


「いやでも、戻る頃にはもうひとりふたり増えてるかもなー。義理の兄貴がさ、死んじまった前の奥さんとの間にたくさんこどもつくったんだけど、懲りてなさそーだからさー」

「そんな事情までは聞いていない……」

「んでさ、俺仲間と旅してたんだけどな。そのおっさんたち俺を置いて竜退治に出て、大怪我しちまったんだよ」


 竜退治。

 そんな無謀なことを企てていた輩に、カナリヤは心当たりがあった。


「なんか悪かったな、俺の仲間たちがちょっかいだして。だから俺の宝探し手伝ってくれよ」

「お前、本当は悪いと思っていないだろう?」


 カナリヤは思わず突っ込んだ。


「大体、お前に付き合ってやる理由がない」

「そっか。じゃあしゃーねーな。俺が勝手についてくよ」

「ついてく?」

「そう。俺が、竜についてく。珍しいもん見つかりそうだしな」


 クラノはうんうんと頷き、自己完結した。

 カナリヤは考える。

 妙な耐久度と破魔の体質を持つこの少年が、魔力に満たされた憩いの場に踏み込んだらば、と。

 間違いなく、荒らされる。


「……何か適当なものを見繕ってやるから、それを持って帰れ」

「え? やだよ。そういうのは俺が見つけないと意味ないだろ」


 もっともらしい顔でクラノは反論する。

 そういう、人間の「気持ち」はカナリヤにはわからない。が、それを堂々と口にする者たちの融通のきかなさは、経験則として知っていた。

 カナリヤはうんざりと、ため息をひとつつく。


「……今回だけだからな」

「やった! よろしくな、相棒!」

「誰が相棒だ! コハクと呼べ!」


 どうせこれきりだと、カナリヤは自分の名乗りを教えた。

 クラノは目を大きく開き、


「コハクか! あれだよな、虫とか入ってる石だろ? その鱗も虫しまう用なのか?」

「泣かすぞ」


 こうして、一頭とひとりの奇妙な道連れができたのだ。



 それからの道のりも、カナリヤにとっては散々だった。


「お、これ良さそうじゃねえ? 色がきれいだ」

「普通に考えて、お前の故郷まで生花は保たないだろう……。それに、お前が触ったら魔力が散って崩れ去る」

「それも俺の体質のせいか。今までもったいないことしたなー」

「何をやらかしてきた!」

「『水面みなもの岩』っていう、表面に波紋が広がるきれいな岩があったんだけどな。俺が触ったら濁った」

「……。その体質との付き合い方を教えてやる。ものにしたら、むやみやたらと魔力が宿るものを荒らすなよ」


 カナリヤは、常時垂れ流しになっている破魔の力の制御法を教えてやった。

 クラノは、自分から触れたものの魔力を壊さないすべを身につけた。



「むしろ、こういう石を加工したものの方が良さそうだな」

「それは構わないけど、呪われた品を女子供に渡すつもりか」


 クラノはカナリヤに教えられて、思いのままに曰わくある品々の呪いを解く方法を覚えた。

 たいていの品は、呪いを解くと崩れ去ってしまったが。



「ところでコハク。お前歌得意だしきれいな色してるし、『カナリヤ』って鳥に似てるよな」

「!?」


 カナリヤは、思わぬところで真名を知られてしまった。

 他言無用ときつく言い聞かせることで、クラノに呼ばせることを許した。



 そうこうしている内に、クラノは無事目的の品を手に入れ、故郷に帰ったのだ。

 カナリヤを伴ったまま。


「なあカナリヤ」

「そろそろ人里が近いだろ」

「っと。なあコハク」

「何だよ」

「お前だいぶ砕けたよな、言葉遣いとか」


 途端、カナリヤの目が半分ほどに細められる。


「誰のせいだよ……」

「ああ、俺か」


 クラノは納得したように手を打つ。


「お前が散々オレを巻き込んだせいで、突っ込みが忙しくってな。三百年生きてる中でこんなにしゃべったこともそうそうないよ」

「そうか。貴重な体験をしたな!」

「お前な……」


 悪びれず笑うクラノに、カナリヤは弱い雷の魔法を投げる。

 それはいつものように、クラノに当たる寸前でほとんどかき消えた。


「やっぱちょっとビリビリくるな」

「少しくらいなら身体にいいんじゃないのか」

「そういう考え方もあるか」


 カナリヤは一瞬閉口する。

 しかしすぐ頭を振って、


「じゃあ、オレはここまでだ」

「お、そうだな。姪っ子と、多分増えてる姪だか甥だかの分まで助かった。ありがとうよ」


 クラノはにかっと、白い歯を見せて笑う。


「旅をする時はもう少し計画的に動けよ」

「おー、そうする。また頼むぜ、相棒!」

「!?」


 カナリヤの驚愕をよそに、クラノは生まれ故郷への道を意気揚々と歩いて行った。


「頼まれてやらねえよ」


 ぼそりとつぶやいて、カナリヤは踵を返す。

 今度こそもう会わないだろうと、思いはしたものの。妙な予感が胸に残った。



 ◇ ◆ ◇



「とまあ、これが始まりでさ」


 カナリヤは半眼で、首をひねりながら話し終えた。


「そのあとのことは、クレナイもいくらか知ってるかな。オレは、旅という旅にことごとく連れ回されたよ。……話してて思ったんどけど、何であいつにいちいち付き合ってやってたんだろうな……?」

「師匠らしいといいますか、何といいますか。生みの母が聞かせてくれた話の背景がわかりました」


 娘も苦笑する。

 ヒスイはうまく言葉が見つからないのか、娘とカナリヤを交互に見ている。


「クラノのそういうところは才能だよな。ああ、この先も何だかんだ振り回される気がしてきた!」


 カナリヤは投げやりに叫ぶが、娘にはその様子がどこか楽しげに見えた。


「ところで……」


 ヒスイが、遠慮がちに口を開く。


「おかあさまのおかあさま……、『紅き竜』のおばあさまは、どういった竜なんですか?」


 途端、娘とカナリヤは固まった。


「……覚悟しないといけませんね」

「ああ。少し言い訳を考えておこうか。ムダかもしれないけど」

「?」


 紅き竜が、山頂で炎の咆哮を上げるまで、あと一週間。

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