思い出3:青い衣と紅い鱗

 青い紗を重ねた上質な衣。艶やかな黒髪に添える、金の髪飾りと透けるヴェール。

 それが、悪竜へ捧げられた生贄むすめの、華やかな死に装束となるはずだった。



 風変わりな『生贄』が、『紅き竜の巫女』へと転身していくらか経ったころ。

 娘は、纏っているヴェールと衣の、焦げた裾をつまむ。

 生贄として悪竜――今は『紅き竜』と呼ばれている――と話していたとき、呼気に混じった炎が燃え移った部分だ。


「気になるか?」


 山の主である竜が、娘に声をかける。紅玉のような美しい鱗で全身を覆われた、巨大で強大な火竜だ。

 娘は苦笑しながら首を横に振る。


「『紅き竜』へ捧げる生贄の衣装が青だなんて、よく考えれば喧嘩を売っていますよね」


 娘がその場でくるりと回ってみせると、焦げた青い裾とヴェールがふわりと広がった。首にかけた、紅い「逆鱗の首飾り」も一緒に揺れる。

 竜は目を細める。呆れているのだろう。


「だって、あなたの『紅』に対して『青』だなんて。正反対です。一緒に並んだら、目がチカチカするじゃありませんか」


 私に似合う色ではありますが。と続ければ、竜が娘のいない方向に向かって炎混じりのため息を吐いた。射線上にあった岩が赤くけ、転がる軌跡で地面にプスプスと黒い線を引いている。

 逆鱗の首飾りの加護があるため、娘にとっては寄せる熱波もただ暖かいだけだが。


「『悪竜』に対する意趣返しだろう。私は気にせんがな」

「『元悪竜』、でしょう? 今は山の頂におわす、強大な『紅き竜』です」

「大して変わらぬだろうに」


 ふん、と竜は鼻を鳴らす。生じた突風に圧された娘は、受け身を取りながら仰向けに転がった。そのまま勢いを利用してくるりと起き上がる。


「いつも器用だな……。その格好で動きにくくはないのか? 狩りや採集では村娘の服を着ているだろう」

「着替えるのは、巫女を装う以外に装束これを傷めないため、という理由もあります。それに、実用だけを考えても夢がないですし」

「お前も年頃の娘だからな」


 竜は、呆れとは違う視線を娘に向けた。


「今さら帰りませんよ?」

「何も言っていないだろう」

「まあ、いいですけれど。色は理由のひとつとして、巫女装束は増やしたいのですよ」


 いくら上質な衣とはいえ、毎日のように着ていれば劣化も早くなる。山での生活も落ち着いて余裕が出てきた今が、着替えを用意する頃合いと思われた。


「『紅き竜』の横に並ぶなら、やはり赤が欲しいですね。青と言えば水。火を消すものだと連想してしまいます」

「妙にこだわるな……。焦げているのはともかく、色など似合っていればいいだろうに」

「いいえ。むしろ、この焦げているのがいいんですよ。火竜にかしずく巫女として、雰囲気が出るじゃありませんか。そうそう、こういうのはどうでしょう」


 娘はこほんとひと息、かしこまる。そして、少しもったいぶりながら、竜に語り始めた。



 ――山のいただきには恐ろしい火竜がいる。火竜は美しい鱗に覆われていたため、『紅き竜』と呼ばれていた。

 紅き竜には、自身に仕える巫女がいる。しかしある日、巫女は青い衣を着てきてしまった。


「火竜である私に仕える巫女が、水の青を纏うなどどういうつもりだ!」


 火を吹き荒れ狂う紅き竜。巫女が必死に許しを乞うが、紅き竜は火を吹くことをやめない。

 そして、飛び散った小さな炎が、巫女の衣に燃え移った。

 紅き竜がはっと正気を取り戻したときには巫女が火を消し止めていたが、衣には黒い焦げ跡が残ってしまった。

 紅き竜はそれ以来、巫女の衣の焦げ跡を見ては自分を戒めている――



「……と、こんな感じでどうでしょう」

「またよくわからない作り話を……。まったく、お前という娘は……」


 竜が小言を言い始めたとき、カラカラと木の呼子よぶこが鳴った。『紅き竜と巫女の領域』に、何者かが侵入したようだ。


「人間か」

「おそらく。明日あたり麓へ下りようと思っていたのですけれど、待ちきれなかったようですね。お帰り願いましょう」


 山頂に生える薬草を探しに来たのだろう。娘は商い用の薬草籠と護身用の得物を手に取った。


「ついでです、村にいい布地があるか聞いてみましょう。『紅き竜』と、そばにいる私によく似合う、鮮やかな『あか』を」




 後世に、「真偽のほどはわからないが」と前置きされる、こんな話が伝わっている。


 ひとつ。

 青い巫女装束を見た竜が火を吹き怒り狂い、巫女がなんとか怒りを鎮める。その際、青い装束の裾は燃え焦げてしまう。正気を取り戻した竜が、それを目にするたび己を戒めたのだ、という話。


 そしてもうひとつ。「こういうものもあるのだが」と、対になって語られる、赤い巫女装束についての一節がある。


 巫女の装束には赤いものもあった。朝焼けを思わせる装束に身を包み、竜の美しいあかと寄り添うように並んでいるところを、迷い込んだ人間たちにたびたび目撃されていた。

 ……という、他愛のないものが。



 ◇ ◆ ◇



「そんなこともありましたね。でも、お話ししたいことはもっとあるんですよ。それからの私たちのことや、旅であった出来事ですとか。聞いてくれますか?」



 次章へ続く。

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