4.慌ただしい日 ~紅い鱗と飾り布~

 娘はいつも笑みを浮かべている。しかし今は、これと言える表情がない。

 沈黙が続くかと思われたそのとき、ふっと、娘は相好そうごうを崩した。


「果実と湧水を持ってきました。どうぞ」


 娘は普段と変わらぬ様子で、兄竜と男の前に果実の籠と水瓶、杯を置いた。

 兄竜はなんとも言えない顔で娘を見たが、男はかまわず籠から桃色の果実をひとつ取って、皮ごとかじりつく。


「懐かしいなー、これ」

「でしょう? この時期の果実といったらこれですよね! ちょうど熟れどきですから美味しいですよ。お兄さんも、どうぞ」

「あ、ああ」


 促されるまま、兄竜も前脚で抱えられる大きさの果実を受け取った。

 兄竜は、後ろ脚で体重を支え、前脚を手のように扱える体型をしている。

 男と同じように皮ごとかじりつこうとして、


「待ってください」


 娘に止められた。


「これは皮をむいて食べるものでした。失念していましたね」


 たいていのことはそつなくこなす娘にしては、珍しいことだ。

 しかし、先程の会話を聞いていたのなら、動揺して然るべきだろう。


「娘、お前……」

「ちょっとしたうっかりです。師匠も言ってくださればよかったのに。産毛がちくちくしませんか?」

「食えなくはねーよ? 俺の相棒も竜だし、普段はそのままいってると思うけどな」

「クラノ、オレの主食は魔力や花の蜜だよ。果実の場合はそれなりに手間かけて皮むくよ」

「お兄さんは聞けば聞くほどかわいら……失礼。聞かなかったことにしてください」


 娘は小さく咳払いをした。当たり前だが、竜のように炎が出たりはしない。

 兄竜は色々と複雑そうな顔をしている。


「皮をむいてきますね。中身は甘くて柔らかくておいしいんですよ」

「お、ありがとな」


 娘は兄竜から果実を受け取る。


「師匠は……」

「必要に見えるか?」

「いいえ」


 苦笑しながら、娘は果実の皮を、小刀で引っかけて剥がすようにむいていく。


「なあ愛弟子」


 果実をかじりつつその様子を見ていた男が、何でもないことのように娘の左腕を指さして、


「その飾り布、魔法布だろ?」


 娘の手が止まった。


「ぱっと見は趣味のいい刺繍飾りだよな、それ。実際は封印の魔術紋様なんだろ、砂漠の方の。こまけーこたぁ俺じゃわかんねーけど、何を封じてんだよ」


 娘は最後の皮をピッとむいて、何も言わずに果実を兄竜に手渡す。

 竜に背を向ける体勢のため、その顔は見えない。


「みなさんお気づきなんですか?」

「正直、色々怪しいとは思ってる。オレは人間の魔法は詳しくないけど、今のクラノの言葉で……なあ?」


 そう言って、兄竜は竜を見る。

 竜はゆっくりと息を吐いた後、口を開いた。


「それは流行病はやりやまいがおさまった後からだったな。ざっと半年前か。麓の娘らの間でまた妙なものが流行っているとばかり思っていたが。娘、その下には何がある?」

「……ここが潮時ですか」


 娘は観念したように、左腕に巻いた刺繍入りの布を解く。

 露わになった娘の左腕を見て、竜たちは目をみはった。

 娘の左腕が、手首から肩まで鮮やかな紅玉の鱗で覆われていたからだ。


「はぁー、またエラいことになってんな」

「いやー、オレもけっこう長く生きてるつもりだけど、初めて見るよ。こんな、なあ?」


 男はなぜか楽しげに、兄竜は果実を落としそうになりながら。

 竜はまたひと呼吸置いてから、娘に問う。


「これはどういうことだ」

「古い鱗で遊んでいたら取れなくなりました……」


 脱力しそうになるのを、竜は寸でのところで堪える。

 それなりに重要な質問の返しとしてはあんまりだが、この娘ならむしろ一番妥当な理由と言ってもいい。

 竜は眉間にしわを寄せ、目を細める。


「しかし娘、古い鱗と言ったな。ならば、腕のそれは何だ? それではまるで」

「お母さんの鱗そのもの、ですよね」


 娘が、竜の言葉を引き継ぐ。


「いえ、最初はほとんど黒い鱗だったんです。それが、腕に付いて……付けて、でしょうか。それからどんどん色鮮やかになっていって、今では見てのとおりに」


 隙間なく鮮やかな紅の鱗が並んだ腕を、娘が上げて見せる。

 異様ではあるが、元からそういうものであるかのように、鱗は娘の腕に馴染んでいた。


「オレがさっき言ってたのはこれだよ、妹。このお嬢さん、このとおりお前とそっくりな魔力を纏ってる。つまりだな」


 兄竜は一旦言葉を切る。


「お前の側で魔力的に変質したお嬢さんの身体に、お前の鱗の首飾り。加えて長期間お前の魔力を浴び続けた結果だ。そのお嬢さんの身体に触れて、朽ちかけた鱗が復活したんだよ」

「たしかに、日に日に鱗が成長というか、大きくなっていきましたね」

「……私の側に私の魔力があってもおかしなことはないから、ということだな」


 それならば、兄竜が言ったように、竜が娘の異常に気づかないのも無理からぬことかもしれなかった。


「ところで愛弟子。それ、熱くねぇのか? 熱持ってるだろ」


 男が娘の鱗を指差す。

 竜がよくよく注意して見てみると、娘の鱗も熱を帯びているようだ。


「平気ですね。首飾りの効果かと思いましたが、そうでもないようで。加護もいくらか宿っているようです。たしかにこれでは、人間とはいえないかもしれませんね」


 少し困ったように笑う娘を前に、竜は言葉を失った。


「まあ、これってさ」


 兄竜が果実をひと口かじって咀嚼し、飲み込む。


「こまめに魔力を散らさなかったお前の怠惰からきてる面もあるよな。昔からそういうところはあったけども」

「そうですね。お母さんは、実はけっこう面倒くさがりなんです。以前からだったんですね」

「そういや生贄いけにえも、この山から動くのが面倒だからやってたんだって? な、相棒」


 当の竜を目の前にして、三者が好き勝手に話を始める。気が合うのだろうか。

 しかし話されている内容は、竜にとって頭の痛いことに、ほぼ事実だった。


 竜はこの棲家をそこそこ気に入っているから、人間が来るからだとかうるさいくらいでは、明け渡してやるつもりはない。そして、麓まで出向いて殺し尽くすほど精力的に動くつもりもなかった。

 だから、時折命知らずどもがやっては来るものの、ふた月に一度の生贄たちとのやり取りを、面倒ながらに続けていたのだ。

 そこから娘が「紅き竜の巫女」として山に居つき、「紅き竜の娘」となってしまったのだが。


「……私が怠惰だということは認めよう」


 竜はため息交じりに瞼を閉じる。

 そして目を開け、竜を見上げている娘と目を合わせた。

 竜はぎょっとした。


「なんだ、今度はどうし……うおっ!」

「おー」


 兄竜が背中の小さな翼で飛んでいき、娘の顔を覗き込んでのけ反る。


「どうしたんですか?」

「お嬢さん、ちょっとこれ見てみろ」


 兄竜が、娘の顔の前に魔力を集中させる。

 空中に小さな水滴が現れ、だんだんと大きく平たい形を作っていく。

 娘の前に、水の鏡が出来上がった。


「まあ。これは」


 娘は兄竜の魔法に感心し、次に鏡に映った自分を見て、わずかに表情を険しくする。

 鏡には、縦長で、まるで蜥蜴のような娘の瞳が映っているはずだ。明らかに人間のそれではない。


「いえ、でも。これくらいなら」


 娘はそう言うと目を閉じる。

 しばらくしてから、目を開ける。娘の瞳は、人間のものである円い形に戻っていた。


「気をつけていればなんとかなるようです、はい」

「ううーん?」


 兄竜は首をひねっていた。


「ま、まあ、それはともかくとして」


 強引に話題を変えようと、兄竜は小さく咳払いをする。


「思った以上に影響を受けすぎてる。お嬢さんとお前はしばらく離れた方が良さそうだ」


 兄竜は言いながら、男と目を合わせて頷き合う。


「オレたちでお嬢さんを預かるから、その間、お前はのあたりの魔力を散らせ。お嬢さんは、できれば今すぐにでも旅支度をした方がいい。そうだろ? クラノ」

「そうだなぁ。んで、お前は俺の相棒に魔力の扱い方を指南してもらえ。俺に弟子入りしたときみたいに」


 兄竜と男はどんどん話を進めていく。

 お互いだけで。


「待ってください、いくらなんでも急です。せめて麓に知らせを回して、山の出入りを緩めないと村々の生活に支障が出ます」

「別にいいんじゃねえ? ここに来る途中にも何人かノしたけどよ、『紅き竜』だけじゃなく『娘巫女』も狙われてるぜ? 少しくらい不便をかけた方が、やつらも頭冷えるだろうよ」

「ですが」


 男に諭された娘が、さらに何か言いかけたとき。



「しんぱいにはおよばない」



 洞穴の方から、幼い声が聞こえた。

 竜たちが一斉にそちらを見る。

 視線の先には小さな人影があった。


 紺碧の夜空に砂金の星を散らしたような虹彩に、腰まで届く藍の髪。いつぞや娘がまとっていた生贄時代の青い衣をその身に巻きつけて。

 四、五歳くらいの幼い女の子が、両手を腰に当てて仁王立ちしている。


「わたしが『紅き竜の巫女』のやくめをひきつごう」


 女の子が堂々と言い放った。


「今、迎えに行こうとしていたのですよね」


 娘が、眉間を指で押さえていた。

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