3.慌ただしい日 ~二頭とふたり~

 娘と男は顔を合わせた途端、破顔一笑、態度が砕けた。


「二年ぶりですね。今度はどちらに出かけていたんですか?」

「外の国をあちこち気ままにな。そこのカナリヤと一緒に」


 男は兄竜を見る。

 兄竜は気楽な様子で、ひょいと片前脚を上げる。


「人間、お前はまた竜の真名まなを……!」

「大丈夫だって、落ち着けって! はい、どうどう」


 兄竜が竜の眼前でなだめてくる。

 竜は男を睨みつけたまま、仕方なく身を引いた。


「師匠、いきなり真名を呼んでは失礼ですよ。そちらの妖精竜は、お母さん……紅き竜のお兄さんなのですから」

「おー、話には聞いてる。しっかし、兄妹きょうだいでもほんっと似てないし、でっかいよなー」


 まぁ、竜族の顔ってどう判別つけるのかよくわかんねーけど。と、男は竜を見上げながら大きな声で笑った。

 竜は体温を上げる。


「あっつ! だから落ち着けって! お前がこういうノリ得意じゃないのはわかってるからさ!」

「お母さん、お兄さんが暑そうです。私からもちゃんと説明しますので、どうか」


 兄竜と娘から交互に止められて、竜は意識して体表の温度を下げた。翼を一度羽ばたかせて風を起こし、辺りの気温も下げる。

 一番どうにかしたかった相手が平気な顔をしているのが腹立たしい。


「……師匠と言っていたな、娘」


 男を無視するようにして、竜は娘に鼻先を向ける。

 娘は頷いて、一歩前に出た。


「はい、紹介が遅れました。こちら私の師匠で、生みの母の弟です。つまりは叔父ですね」

「名乗るのが遅くなったな。俺はクラノ。こいつの師匠やってる叔父で、カナ……あんたの兄貴の相棒だよ」


 男は、兄竜の名を言いかけて言い直した。先ほどよりは賢くなったようだ。


「クラノ。お前に姪っ子がいるのは聞いてたけど、師匠ってのはどういうことだよ」


 竜が口を開くより前に、兄竜が男に話しかける。ややこしいやりとりを避けるために、先手を打ったのかもしれない。

 同じように考えたのか、兄竜に答えたのも娘だった。


「師匠は若いころからあちこちを放浪していて、旅先ではけっこう勇名を馳せた人で。たまに村に帰ってきては、私たち甥や姪に、旅先で起こったことなどを話して聞かせてくれたんです」

「それに一番食いついたのがお嬢さんということか」

「はい」

「そうそう。男どもが霞む勢いでな。俺もおもしろがって、山歩きに狩りに、武術なんかも教えたよ」


 男の大きな笑い声は耳障りだが、いかにもこの娘らしい話だった。 


「お母さん。二年前、私が巫女を名乗った日に色々あったのを覚えていますか?」


 娘が巫女を名乗った日。

 あの日はたしか、娘がごろつきどもに妙な煙の出る玉を投げつけたり、得物の要の部品を抜き取ってバラバラにしたりしていたのだったか。

 あまり人間のやることに関心を払わない竜でも、娘の奇妙な行動の数々は記憶に残っている。


「あのとき、仕込みを一緒にしたのが師匠なんです。一緒にというか、ほとんど師匠が率先していたのですけれど」

「こいつがさ、生贄いけにえとゴロツキが来るのを止めたいなんておもしろそうなことを言うからよ。ちょっと強烈な煙玉のつくり方に武器の構造、そのバラし方なんかを教えたんだよ」

「彼らの部屋に忍び込んで、部品を緩めたのは師匠ではないですか」

「ノリノリであいつらを酔い潰してたのはお前だろ? 昔から、絡み酒のオヤジどもを潰し回ってたもんな」


 男は言いながら、ふと娘の姿を上から下まで眺めた。


「しっかしお前、育ったよなー」

「どこを見ているんですか」


 娘は苦笑しながら、赤い薙刀なぎなたの平で男の鎧をガツンと小突く。男はびくともしない。


「そんな肌も露わな衣装じゃな。どうしたんだそれ。あと左腕に巻いてる布は何だ?」

「旅の商人が、私にどうしてもと言うので。腕の布は私なりのおしゃれです」

「おしゃれ、ねぇ。まあ、いい趣味だけどよ」


 男は顎をなでさする。


「んで? 旅の商人で、砂漠地方の品を手にできるやつだろ? どれ、今度軽くシメてやるか」

「クラノ、お前……」

「成人してるとはいえ、この辺の若い娘にこんな衣装渡すやつぁ、一度しっかり『話』つけとくもんだろ?」

「軽くじゃなかったのかよ」


 竜を除く三者が好き勝手に話し出す。

 こほんと、咳払いの要領で竜は軽く火を吹いた。男の頭上高くを炎が通り抜ける。

 それを合図に、娘が軽く手を打ち合わせた。


「立ち話もなんですし、一度座りましょうか。何か飲み物をお持ちしますね」

「ついでに着替えてこい。やはりその衣装ははしたない」

「わかりました、お母さん」


 娘は男と兄竜を手招きし、兄竜が来るまで座っていた魔獣の毛皮の敷物を示した。

 その上に広げたままだった料理を片付け両手に持って、娘は洞穴方面へ下がって行く。

 兄竜と男が毛皮の上に座り、その場に二頭とひとりが残される。

 兄竜が何か言おうとする前に、竜は口を開いた。


「人間。お前はなぜあの娘のことを覚えている?」


 娘のことを覚えている人間はいないはずだ。竜が使う忘却と記憶操作の魔法は、それほどに強力なのだから。

 この男がいくら旅に出ることが多いと言っても、二年前のあの日に麓にいたならば、十分魔法がかかっているはずだ。

 そして、娘もこの男の様子を気にしていなかった。


「忘れていないからだな」


 男はあっけらかんと答えた。こういうところはどこか娘と似ている。


「あいつのことだけじゃないぜ。俺が物心ついてからの生贄たちのことは、ほとんど全部覚えてる。大体はそのまま戻ってきた。たまに他の村で暮らしてたり、逆によそからうちの村に加わってたりすることも知ってるし、見てきたぜ。本人たちも覚えてないし、周りが全然気にしてないもんだから、そういうもんだと思っていたんだけどよ。俺が成人するあたりで、なんかの魔法のせいだって気づいたんだ」

「よく喋る男だ」


 ふん、と、竜は鼻を鳴らす。

 男は竜の風を受けてもびくともしない。


「なぜだ? そう都合よく村を離れてばかりではなかっただろう」

「こいつは魔法がほとんど効かないんだよ」


 兄竜が口をはさむ。


「魔法が効かない?」

「ああ。魔法全般。特に記憶や精神にかかわるものに耐性があるみたいでさ。最初に会ったときはオレも化け物だと思ったよ。どんなに強力な魔法で攻撃してもほっとんど効かないときたもんだ。さすがに竜の息吹はそうじゃなかったけど」


 兄竜は、大袈裟にため息をついてみせた。


「俺の姪もさ、竜であるあんたの撃ち漏らしだと思ったらしくてよ。不意打ちで『まじない札』ってのを投げつけられた。まあ、効かないんだけどな。あとは相棒の言ったとおり。ああ、俺は口が固いから誰にも話してないぜ」


 竜は胡乱うろんな視線を男に投げる。

 そして、いくつかの忘却と記憶操作の魔法をいきなり男に向かって放つ。

 魔法は陣を展開しながら瞬時に男に向かったが、当たるか当たらないかというところで砕けるようにして消えてしまった。

 男はおどけた笑いを浮かべたままで、兄竜はやや呆れたような視線を竜に向けている。


「なるほど。口から出まかせではないようだな」

「オレもさっきからそう言ってるつもりなんだけどな」

「兄者がたぶらかされている可能性を考慮したまでだ」


 竜としては当然の行動だ。

 兄竜は小さなため息をついて、首を左右に振る。


「ところで、あのお嬢さんについて気になったことがあるんだよ」


 顔を上げて、兄竜は話題を変えた。


「娘か。何が気になる?」

「お前、本当に気づいてないのか?」


 兄竜は男と顔を見合わせる。そして再び竜の顔を見上げた。


「いや、逆に気づかない方が自然なのかもな。お嬢さんとは毎日のように一緒にいるようだし」

「ああ。狩りに出たり、麓にあきないに出かけたりする以外、娘は大体ここにいる」

「お嬢さんの名前を呼んだりすることは?」

「呼ぶこともある。私たちは互いの名を知っている。娘が私の真名を口にすることはないが」

「うーん」


 兄竜は前脚を顎に当てて何か考えている。その仕草が妙に人間臭い。この男の影響だろうか。


 そういえば、娘はまだ戻ってこない。

 ここで用意できる「飲み物」と言えば、山で採れる果実を絞ったものか近くの湧水だから、そう時間はかからない。着替えに時間でもとられているのだろうか。


 竜がそんなことを思い浮かべているうちに、兄竜は考えをまとめたらしい。


「なあ。お前、最近あんまり魔法を使ってないんじゃないか?」

「そうだな。娘がまじない札を使うようになってからは、複数の相手にかけるような魔法はたまにしか使わないな」

「やっぱりそうか……」


 兄竜が小さくため息をつく。

 今の言葉で、自身の考えに確信を持ったようだ。


「いいか、ひとつずつ話すからな。まず、オレたちは魔法生物だ。生きるために魔力がいるし、定期的に魔獣なんかから摂取する必要がある」


 竜は頷いた。そのまま無言で続きを促す。


「それと同時に、身体ん中の魔力を消費する必要もある。貯めすぎるとてられるんだな、難儀なことに。まー、何もしなくてもいくらかは自然と放出されるもんだが、それだけじゃ足りないわけだ。意識的に、魔法なり竜の息吹なりで使う必要がある」


 竜はまた頷いた。

 摂取した分、排出する。生き物にとって当然のことだ。


「で、だ。お前は火竜だから、この火山にいるだけで地熱を魔力として吸収できる。貯め込んだ魔力は、数年前までは生贄やらゴロツキやらの相手をしたり、記憶を消したりして適度に発散してたわけだ。そこで、あのお嬢さんが生贄として現れた」

「ああ。まさか三度も行くことになるとは思わなかったけどなぁ」


 男も笑いながら頷く。


「そのときにでも、お嬢さんの名前を呼んだんだろう。それで、お嬢さんの中にわずかながら魔力を蓄えられる下地ができた。魔力の高い竜に名前を呼ばれればそれくらいの影響は出る。それだけならまあ、問題はない。今まで生贄として来た娘さんたちは、多くても二度くらいしかお前と会うことはなかったわけだし。お嬢さんのときもそうだと踏んでいたんだろ」

「ああ。生贄に来る娘はみな美しいから、一度帰すと大体はすぐにつがいになるようだったしな」

「でも、あのお嬢さんは……。ほんと大したもんだと思うよ。我が妹とはいえ、こんな力のある竜相手に臆さず近づいてきたんだから。が、お嬢さんは少々出来が良すぎた。お前の代わりに、厄介な人間たちの相手をこなせちまったんだから」


 兄竜はひと息つく。


「お前は今まで、魔法で書き換える前の人間たちの記憶を喰っていた。そうだよな?」

「ああ。食事代わりにもなるし、記憶の書き換えが容易になる」


 以前娘から、麓で「悪竜は生贄たちの記憶も喰らう」という噂が囁かれていると聞いたことがある。それはほぼ事実だった。


「お前が喰った記憶を体内で魔力として取り込むのに、いくらか魔力を消費する。矛盾してるようだけど、生き物ってそんなもんだろう」

「食いもんを消化するようなもんか」


 男が口を挟み、兄竜が頷いて肯定する。


「それが、お嬢さんがまじない札を使うようになってから均衡が崩れちまった。体内の魔力消費が減ったんだな。その結果どうなったかと言うと」


 兄竜がいったん言葉を切り、あたりを見渡した。


「この辺もそうなんだけど、いささか魔力の濃度が高いんだよ。お前がうまく魔力を散らせてないんだ。山裾に向かって流れた魔力の影響で、山の魔獣はやや活性化してる。来るまでに少し手を焼いたよ」

「そうか? ちょうどいい手ごたえだったろーが。途中でかちあった男どもは、鼻息の荒さの割には腰抜けだったな」

「お前を基準にしたら何もかもがおかしくなる!」


 兄竜は半眼で男に反論してから、竜の方に向き直る。


「で、だ。クラノが直々に教え込んだ弟子だからと言っても、あのお嬢さん、強すぎるんだよ。魔獣についての知識があっても、熊型をたったひとりで定期的に狩ってくるとか異常だろ? もはや人間とは言いがたい」

「ああ。あの娘はかなり変わっているな」


 竜は目を閉じ、深く頷いた。

 竜が目を開けたとき、兄竜はがくっと、目立たない肩を落としていた。


「そういうことじゃなくてな……。最近、お嬢さんにわかりやすく変わったところがあったはずだ。それが、大きな証拠だよ」


 兄竜は今一度、竜の目をまっすぐ見つめる。


「あのお嬢さんはもう、人間とは言えないんだよ」


 竜は表面上、何の変化も見せなかった。

 その代わり、沈黙が訪れた。



「私は人間ではないのですか?」



 短い沈黙を破ったのは娘だった。山の果実を乗せた籠と水瓶を持っている。

 先ほどまでの露出の多い衣装から、リリアナという村娘に贈られた衣装に着替えている。

 左腕に巻かれた華やかな刺繍入りの飾り布が、妙に目についた。

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