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 ロックバンド ケラウノスのRaioの名前を知らない者はいない。渡米渡英のツアーをも繰り返す超有名人。

 けれども俺にとっては、日本から輩出された本格ロックミュージシャンである以前に、昔なじみの友人だ。

 本名、八神雷男。

 雷男と初めて出会ったのは、小学校三年生の秋だった。彼は、父親の仕事の都合でロンドンから日本へ来たばかりの帰国子女だった。

 それだけでも好奇の的だというのに、雷男は長い英語圏暮らしのせいで、最初の頃は日本語よりも英語の方が口から出てきやすかったし、イントネーションもところどころ不自然だった。

 東京の公立小学校で、地方出身の方言を使う生徒すらいないなかで、雷男が目立たないほうがおかしい。

 サノバ。

 これが、雷男のあだ名。雷男がしょっちゅう罵っていた言葉が由来だ。英語圏で放送禁止用語の罵り言葉を、小学生男子が知っているわけがないが、いまならわかる。

 Son of a Bitch!

 雷男ときたら、大人しく虐められているようなかわいい性格ではなかったのだ。言われた分は、きっちり言い返したし、しかもそれが流暢な英語だった。

 なに言ってるかわかんねぇよ、と当然言い返されると、小ばかにした笑いまで浮かべて見せる。そうすると、まだ十歳かそこらなので、すぐ手が出る。

 実を言うと、雷男が来るまで、学年でいちばん喧嘩っ早くて、なおかつ喧嘩が強いのは俺だった。雷男との違いで言えば、俺はわりあい社交的で、友達も多かったところだ。友達がやっている喧嘩に助っ人を頼まれることもあれば、おもしろそうだと思えば、自分で参戦していったこともある。

 だけど、友達がとりかこんで雷男をからかってみるのは、なんか違うな、と感じていたから一緒にはやらなかった。大人になったいまその気持ちを言語化するなら、雷男自身ではどうしようもないところにつけこむやり方が、気に食わなかったのだと思う。こういうと、正義漢ぶっているような気もするけど。

 子供同士の喧嘩なんて、たいていどれだけ早く、多くその気になれるかどうかで勝負が決まる。腕力や体格は、よっぽどの差がなければ、あまり関係ないのだ。

 卑怯を承知で言えば、雷男のぷっつんのいき方に、こいつは喧嘩したらやばい奴だ、と直感したので、俺は手を出さなかったのだ。

 遼、助けてくれよ! といつものように助けを呼ばれても、加勢しようとは思わなかった。自業自得だと言って、雷男がいきすぎになりそうになったら、しぶしぶ間に入るのがせいぜいだった。

 どうにかおさえつけた雷男の、敵意むき出しの目には、毎回ぞっとさせられた。

 そのうち、雷男が手の付けられない乱暴者だと知れ渡ると、からかう奴らはいなくなった。俺は始終遠巻きに見ていたので、どうしてその日、雷男が声をかけてきたのかわからない。

 エンピツ、かしてくんない?

 昼休みが終わるチャイムが鳴り、教室にかけこんだところをつかまった。まず話しかけられたことに驚き、その次になぜ鉛筆? と思った。

 お前、筆箱どうしたの? と訊けば、しらない、なくなった、と言う。それでだいたい察しがついたけれど、さっきまで一緒に校庭でサッカーをしていたうちの一人が、にやにや顔で近付いてきた。

 義道、なんでサノバなんかと話してんの?

 ほかのやつらもはやし立てに集まってくる。そいつ、鉛筆持ってたって、漢字書けねーじゃん。それから、遠慮のないけらけらと馬鹿にした笑いの大合唱。

 次の瞬間、一人が吹っ飛んで派手な音をたてて机に突っ込んでいた。

 自分で突き飛ばしたんだと気が付いたとき、あ、やっちまった、と思ったけど、もう後には引けなかった。

 お前ら、そういうのやめろよ。きたねえよ。

 喝破した俺に、友達全員が裏切られたような、信じられないような顔つきになったのを、よく覚えている。

 そりゃそうだ。俺は、どちらかというと、今まであちら側の人間で、雷男は転校生のよそ者だと感じていたのには間違いないのだから。

 よそ者と、裏切り者に対して、集団が引き起こす排除意識はとてつもない。こういうと大仰だけど、簡単にその後を言えば、教室中での大乱闘だった。

 向かってきた一人を、遠慮のない拳でぶん殴った雷男が、ちらりと一瞬俺を見たとき、すごく嬉しそうに笑っていたのに、はっとさせられた。

 遠巻きに見ていた女子たちは、文房具が舞い、机や椅子が、がたがたと倒れていくのに驚き、おびえて教室を出ていく。

 まあ、たいていそういう女子の中には、一刻もはやく先生に言いつけようとするやつがいるわけで。

 向こうに一人か二人、鼻血を出した奴が出たところで、わざわざ駆けつけてきた男性教師に俺たちは押さえつけられた。

 そうしていまいましい、「生徒相談室」という名の説教部屋へ、強制送還。教頭がやってきて、いまから君たちの親に連絡するから、そこで待っていなさい、と言われても、雷男ときたら憮然とした表情で、生意気なことこの上なかった。

 俺だったら、ここで少しは神妙にして、表面上だけでも取り繕うとは思うのに。

 それから驚くべきことに、教頭が出ていくや否や、雷男は手近な窓をがらりと開けて、窓枠に足をかけた。

 Run away!

 言葉は分からなかったけれど、言われた意味はすぐにわかった。幸いなことに部屋は一階で、ためらう必要はなかった。

 雷男に続いて窓から飛び降りたとき、空があんまり明るくて、目がくらんだ。そして、急に雷男が笑い出したので、二人して笑いながら、学校を抜け出して走り続けた。

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