悪夢の主

 嫌な音と同時に、ぶどうを踏みつぶしたような、皮が破れて中の柔らかい実が溢れ出す感覚が左足の裏に広がる。まずい。オーランドは箱を近くの棚に置き、しゃがんで左足の裏を見る。

 案の定、足の裏には白い虫の無残な姿があった。真っ白な体は押しつぶされ、中から黒みがかった深緑の内臓が飛び出していた。内臓ではなく、芋虫が食べた葉のなれの果てかも知れない。その気味が悪い液体は、オーランドの白い靴下にはっきりと染み込んでいた。


 ――おカイコ様を、踏み潰してしまった。


 女の後悔が、オーランドにも伝わってくる。靴下を脱ごうとオーランドが足へ手を伸ばしたとき、異変は起こった。

 緑色の体液らしきものが、ざわざわと意思を持ってうごめき出す。

 靴下についた色が少しずつ縮んでいき、黒みがかった肉の塊になり、弾けた皮に戻っていく。見る間にもとの白い虫の姿になり、何事もなかったかのように靴下の上をもぞもぞとい始めた。まるで時間が巻きもどったかのようだった。聖書に載っている『不死の娘』にそっくりだ。オーランドはそう思った。

 オーランドはその白い虫を小箱に入れ、別の虫とは分けて観察し始めた。虫は白い糸を吐いて白い塊になり、動かなくなった。しかしある日、白い塊を食い破って小さな白い蛾が出てきた。それは、オーランドが首に下げているにそっくりだった。――暗転。


「ねえあなた、大発見よ! 死なないカイコを見つけたの!」


 白いを男に見せるオーランド。


「ふざけたことを言うんじゃねえ!」


 男は白いを握りつぶす。しかし白いは無残な姿になったのも一瞬だけで、すぐに元の優美な白い姿になった。


「嘘じゃないでしょ? これから米軍基地に行って、博士に報告してくるわ。報告書とかも、もうまとめてあるの」


 信じられない光景を見て動けない男に、自慢げに自分の鞄を示すオーランド。男は白いを小箱に入れると、オーランドに殴り掛かった。


「なんでテメエが! 女の分際で、いい気になりやがって!」


「どうして? やめて!」


 オーランドはでたらめに殴られた。それでも起き上がろうとするオーランドを突き飛ばした。その先には火鉢があり、受け身をとることもできず、オーランドは右半身で火鉢に突っ込んでいった。髪と肌が焦げる匂いが鼻腔を襲った。かおが、あつい。目の前の陽炎にさえぎられて、現実が遠くなる。

 暗くなるオーランドの視界に、白いと資料が詰まった鞄を持っていく男がみえた。――暗転。


 右側がふさがれた視界で、オーランドは四角い文字が並んだ紙を読んでいる。オーランドには読めない文字だったが、不思議なことに意味は分かった。

 ――河原■■氏が不死のカイコを発見――

 ――世界的な科学誌、――にもこの発見は取り上げられ――

 ――現在不死の蚕は、■■基地の研究所に保管されている――

 オーランドは手に持った大判の紙を握りつぶし、腕につながれている管を引き抜いた。そのまま寝台から立ち上がり、白い病室から抜け出した――暗転。


 オーランドは走っていた。その右手には不死の蚕を握っている。暗い廊下に、熱を持たない赤い光が等間隔に並んでいる。


「侵入者はどこだ!」


「いたぞ!」


「蚕を取り返せ! 侵入者の生死は問わん!」


 濃い色の装束で全身を固め、円く飾りのないかぶとに、切っ先の無い槍を持った男が数人で彼を追っていた。渡すものか。オーランドは蚕を口に放り込んだ。触覚や羽根が舌に触れて不快だ。息を吸い込む勢いで、オーランドは蚕を飲み込んだ。

 兵士がいないほうへと逃げるうちに、オーランドは開けた場所に出た。屋上だ。追い詰められたか。非常階段を使えば逃げられるか? オーランドは低いフェンスの横を駆け抜ける。あと一歩。非常階段に踏み出そうとしたとき――背中に強い衝撃を感じた。体が宙を舞い、フェンスを乗り越える。錆びた手すりに伸ばされた手を、虚無がすり抜ける。

 オーランドは、なすすべなく地面に落ちていった。浮遊感はいやに長く感じられたが、おそらく十秒もかからずにオーランドは地面に叩き付けられた。

 びしゃ、ともぼき、ともつかない嫌な音が体から聞こえたのとほぼ同時に、吐きそうなほど濃密な潮の香りを彼はかいだ。

 全身が熱い。服が濡れてまとわりついて気持ち悪い。薄れる意識の中、オーランドはこう思った。

 ――ジェシーにカーラって呼ばれてた頃が、一番楽しかった。

 ――ああ、どうしてわたしは。

 ――女に生まれて、しまったんだろう


 ――暗転。


 オーランドは目を覚ました。

 普段の悪夢ほどではなかったが、吐き気がするほど嫌な夢だった。女が、男に暴力で捻じ伏せられ、すべてを失う様を見せられた。

 しかし、誰だったのだろうか。オーランドは夢で見た女に心当たりがなかった。話したことがある女は母親を除けばブリュンヒルドさんと天に召されたハーヴィーくらいだ。肌が黄色みがかった女など、見たことすらない。カーラは自分より肌が黄色っぽいと前に言っていた。


「今の夢は、カーラ、お前か? お前が見せたのか?」


 しばらく沈黙があった。


『……私の夢があなたに混線したみたい、昔の夢、バカだった私の昔の夢。ごめんなさい』


 と言われ、納得しかけるも、あることに気づいた。


 カーラの夢を自分が見られるということは。

 自分の夢をカーラが見られるということではないか?

 誰にも知られたくないこと。

 誰にも見せたくない記憶。

 気づけば、思考は口からこぼれ落ちている。


「カーラ、まさかとは思うが……俺の夢を、のぞくことが出来たのか?」


『……ごめんなさい』

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