天使の伝説

 騎士団長の語る伝説は、オーランドにとって驚きに満ちたものだった。


「アフェクの古い言い伝えでは、ノーデンの守護天使ウリエル様は、ノーデンで最も天に近いアフェクに降り立たれたそうです。だから、アフェクには領都アセルと同じように城が建てられたのです。その時に、自分が降り立つべき場所として、ウリエル様はアフェクを知恵に満ちた地として祝福し、アセルは地上の国の民を養うため、麦と魚の豊かな実りに満ちた地として祝福なさったそうです。これは領主の家に伝わる言い伝えとして、今は亡き現領主様の姉、シグルド様のお母上様が仰っていたことでもあります」


「父上から、そんな話を聞いたことはない」


 騎士団長は一瞬驚いた後、堰を切ったように話し始めた。


「ナント・ガ―ディン様の晩年にお生まれになったのが現領主ローレンス様ですからね。領主の家だけに伝わる言い伝えは、ご存じなくても不思議ではありません。ナント・ガ―ディン様――次期領主様の御祖父様は、公式には30歳で病死したとなっています。しかし、本当のところはゼントラムの政争に巻き込まれて、暗殺された可能性が高いです。それが、シグルド様と奥様、そしてハロシェテ伯ルーシ・デレウリャーネ様が出した結論です。ハロシェテ伯の奥様も、ゼントラムに居ては命が危ないので、政争が無く、一番暗殺されるリスクが少ないノーデンに降嫁こうかを決めた、と伺っております」


「待て。では、質実剛健はノーデンの伝統ではなかったのか?」


「現領主、ローレンス・ガ―ディン様の方針です。ローレンス様は成人前の若い頃、ゼントラムに居て、今でも当時の知己ちきと文通をなさることはあるようです。しかし、成人と同時に第一夫人ジュリエッタ様――子供がいないことを理由に、フレーデグンデ様に追い出され、失意のうちに亡くなってしまいましたが――を迎えられてからは、華やかなことをすっかりやめ、ゼントラムとの関わりもほとんど絶ってしまいました。その後、亡くなった兄上の後を継いで、ノーデン領主の御位おくらいに就かれた、と私は存じ上げております」


「初耳だ」


「ノーデン領主に即位してから凶作きょうさく続きで、その対策の為にローレンス様はノーデン中を飛び回っていらっしゃいましたからね。ここ十年は落ち着きましたが、食い詰めた民が夜盗や山賊になってしまうことも、多々ありました」


 騎士団長は下を向いて黙る。アフェクは小麦がとれない。畑にできない山地と、石だらけの草地があるばかりだ。だから、明日の食事のたくわえを無くした民は容易に山賊になり、他者から奪うことでしか生きられなくなる。オーランドも、成人前に何度か山賊制圧に出た。きっと彼は、手にかけるしかなかった、罪を犯さねば生きられなかった民の事を考えているのだろう。オーランドは目を閉じ、息を吸い込んだ。


「今までの働き、大儀であった。騎士であるという事は、その分だけ殺生もする。その代わりに、騎士しかできない働きという栄誉がある。そう、気を落とすな。汝は騎士の本分を全うしただけである」


「……そのお言葉が、何よりの栄誉です」


 そう言って、オーランドの部屋から騎士一行は去った。数日騎士たちは技術解説の為にアセル城に滞在し、それからアフェクに帰って行った。彼らと入れ替わりに、オステンからルーシの手紙がオーランドの下へやってきた。


 ――楽器と引き換えに、燃える水の泉の採掘許可を得た――


 この一文を読んだ瞬間、オーランドは躍り上った。今まで読まされていた、子供と会えない寂しさの事など忘れ、椅子から勢いよく立ち上がった。衝撃で椅子がひっくり返り、大音響を立てる。彼はそれさえかき消すような大声で叫んだ。


「これで交易の品が確保できたぞ!」


『本当にね! 力織機りきしょくきで、布もたくさん作れるし!』


 嬉しそうなカーラの声。カーラが嬉しいと分かると、オーランドは喜びで全身がいっぱいになった。歓喜は留まることを知らず、オーランドの言葉となってほとばしり出た。


「布が安くなれば、貧しいものが凍えずに済むようになる。工場を作れば宿無しの貧民に仕事と寝床を提供できる。そして、輸出した糸はノーデンの蓄えになる! きっと、これから何もかも良くなっていくに違いない!」


『ええ。きっと。きっとね』


 半身も同然のカーラが言うのだから、自分の予想は正しいのだろう。前祝いとして踊りたい。思わず、オーランドは真面目に言ってしまった。


「踊ろうか、カーラ」


『どうやるの? 私、蚕なのよ?』


 カーラの声は笑いを含んでいた。そうだった。カーラには体が無かった。オーランドは今更その事実を突き付けられた。


「すまない。調子に乗りすぎた」


『気にしなくていいわ。石油を手に入れられて、それを精製する技術もある。私だって、体があったら大喜びして町中踊り歩くわよ』


「ありがとう。カーラは、優しいんだな」


『どういたしまして』


 明るい未来に向けて、その夜は二人でいろいろなことを話し合った。いつ寝たのかは定かではなかったが、オーランドが翌朝思い返すと、一度も母親の事を思い出さなかったことに気付いた。

 カーラとなら、あの色欲の獣の幻影にも勝てる。きっと二人でどこまでも進めるのだろう。オーランドは、その確信を胸に新たな朝を迎えた。


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