恵み


 オーランドが力織機工場の建設を指揮しているうちに、気づけば3月になっていた。冬真っ盛りにノーデンを痛めつけていた寒波は去り、わずかに日差しに温かさを感じるようになった。オーランドは激務の気分転換に、城の近くの森へ散歩に出た。まだ雪の残る地面に、一筋小川が流れている。


「だんだん暖かくなってきたな。春が近いぞ」


『よく、分からないわ』


「そうか」


 カーラには体がない。雪解けの水のにおいも分からないし、春風を感じることもないのだ。残酷な真実に気付いたオーランドだったが、彼に感傷に浸る暇は与えられていなかった。

 城に戻ると同時に、力織機りきしょくき工場に加えて製油所の建設計画の確認、農家に配給するボルドー液の原料の硫酸銅りゅうさんどうの確保に向けた打ち合わせという大仕事二つが彼を歓待した。

 カーラが来る前の二倍にも増えた仕事を、オーランドがどうにかこうにか捌ききっているうちに、気づけば復活祭は過ぎ、初夏が来て麦の収穫の頃を迎えていた。彼の下に、領地中から大豊作の知らせが次々に届いた。


「麦の消毒と大麦と小麦の作付さくつけ場所転換のおかげで、麦の病気はほとんど出ず、十年ぶりの大豊作だぞ! カーラ、君のおかげだ!」


『本当に!? よかったわ。まずはここにいる人間の食料が無いと、貿易も何も始まらないわ! 食料が余れば、輸出もできるし』


 嬉しそうなカーラの声。さらなる良い知らせはないかとオーランドが封書を破ると、丁度貿易についての情報が書かれていた。


「国内だが、もう輸出の話は出ているらしいぞ。村の蔵に収まりきらなかった麦を、ウェステン系の商人が相場の三倍くらいで買い占めているらしい」


『ウェステンだけ?』



「いや。オステンやゼントラムの商人も来ているが、特にウェステンの商人が高く買うらしい」


『ウェステンって、ノーデンから糸も買ってたよね。お金持ちなのかな』


 オーランドは記憶をたどった。幼いころ、デリックに教えられたことしか思い出せなかった。


「鉱産地帯だ、と聞いている。畑地は少ないが、金銀銅が出る山と、たくさんの羊がいるらしい」


『アフェクみたいな所なの?』


「多分、そうだろう。行ったことが無いから分からないが」


『国の中を旅行したりとか、しないの?』


「俺が物心ついてからは、どこも凶作ばかりで、よその領主に使節を出すこともほとんどしなくなっていた。俺も、父上の仕事の手伝いでノーデン中を回るのに忙しくて、ノーデン以外に行った事は無い」


『……そうなんだ。なんかごめんね』


「旅に、出たいのか?」

『ううん……私が生きてた頃は、実家が豊かなら、海を渡って勉強に行ったりとかもしてたから、ずいぶん違うな、と思ったの』


「旅、か……ブリュンヒルドさんは、若いころ国中放浪していたという噂があるが」


『オーランド、ブリュンヒルドさんの話をするよね。事あるごとに』


 不機嫌そうなカーラの声。それに動揺している自分を発見し、オーランドは戸惑った。


「あの人は……行動力の化身みたいな人だからな。あの人なら何をやっていてもおかしくない。そう、アフェクでは信じられている。俺に言わせれば、ブリュンヒルドさんがズーデンからノーデンに嫁いだ事に、尾ひれがついただけ、だと思う」


『そうですか。行動力の化身がお好きですか』


「そんなんじゃない! 人間として、勝てないと思うだけだ」


『まあ、オーランドがそう言うなら、そうなんでしょう』


 妙な空気になった。カーラはなんだか不機嫌だ。


「カーラは、ブリュンヒルドさんの事が嫌いなのか?」


『いいえ。別に。……でも、ちょっと苦手、かな。あーもう! このもやもや、めちゃくちゃ苦いコーヒーに、馬鹿みたいに甘いチョコレートを食べればすぐ吹っ飛んでいくのに!』


「カレーは、要らないのか?」


『覚えてたんだ。私の好物。カレーもいいけど、もやもやには辛い物より甘い物よ!』


 カーラの好物はチョコとカレーとコーヒーだ。どれも今はこの大陸には、無い。俺はこいつに好きなものの1つも食べさせてやれないのか。残念だとオーランドは思う。

 彼女には沢山の物をもらってきた。

 彼女のおかげで町を焼く飛行機を追い払えた。

 彼女のおかげで糸を量産できた。

 彼女のおかげで麦が豊作になった。

 そして何より――悪夢の事はだれにも話さず、自分を楽しませ、有用な助言をくれる。四年前に出会ってから、二人三脚で進んできたといってもいい。だが、俺は彼女に何一つ報いてやることができていない。オーランドはなんだか切ない気持ちになってきた。


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