国を支えた虫

 カイコ。絹を作る虫、とカーラが以前言っていたことをオーランドは思い出した。いまだに信じられないが。



『……資源のない、技術もなかった頃の日本でねえ、輸出できた数少ないものが絹だったの。カイコを飼うのも、まゆから糸をつむぐのも大変な労働だけど、力がいる作業かっていうとそうでもないから、子供でも女の人でも出来たのよ。日本を豊かにしたもの』

「虫から絹を作るというのが未だに信じられんが……虫ならそのへんで捕まえてくることは出来ないのか?」

『無理。野生じゃいないもん。人間が世話しないと生きていけない虫なのよ。家畜かちく昆虫だもん』

家畜かちく?」

『真っ白いからすぐ鳥に食べられちゃうし、捕まる力が弱くて枝から落ちるし、敵を攻撃するためにむってことをしないから生きたままアリに食べられるし、成虫になっても飛べないし』


 オーランドは驚いた。虫は捕食者ほしょくしゃに見つからないよう、自然にまぎれるために木や葉の色に似た色合いをしているものだ。真っ白な虫ならあっという間にやられてしまうだろうことは簡単に予想できる。それだけでも生存に不利なのに、力が弱くて反撃もできないとは。


「そんなひ弱な虫がちゃんと育つのか?」

『人間が飼うにはすごく都合がいいの。狭いところで大量に飼ってもケンカしないし、お腹空いても餌探しに逃げないし』

「大人しいのか」

『野生の虫からおとなしくてたくさん絹を吐くのを選抜し続けてカイコが生まれたのよ、人類の英知の結晶』

「何でお前が自慢げなんだ」

『そんなカイコが忘れ去られてるなんて私はとても悲しい』

「まあ、少なくとも旧世界時代では神が授けてくれるものじゃなかったことはわかった」

『特別な虫であることに変わりはないけどね。でも、なんでカイコは何で神様の授け物ってことになっちゃったの?』


カーラが不思議そうに聞いた。


「ヴァレリヤンの聖伝を知らないか? 不死の娘たちと、不死の娘の一人を食い殺した女の話だ」



『何それ? 初耳だわ』



カーラは本当に知らないようだった。こいつが知らないということは、こいつが生きていた時代よりあとに起きたことだったのだろうか。オーランドは、聖書の次に流布している聖伝を話し始めた。



「氷河期より前に、神が敬虔けいけんな娘達を選んで奇跡を起こしたんだ。その娘達は、決して老いることなく、どんな怪我や病気をしても死ぬことがなかった。人々は驚き、おそれ、彼女たちを敬った」

『へえー』

「彼女たちの一人が絹糸を授かった。それを織り上げたのが、今教会の保存している絹の布だそうだ」

『絹の人はなんで食べられちゃったの?』

「老いないその娘の一人に嫉妬しっとした女がいたんだ。絹を授かった不死の娘を見出した男の、恋人だったらしい」

『ふむふむ』

「その女は、絹を授かった娘を亡き者にしようとしたんだ。だが相手は不死の娘だ、怪我でも病気でも神の奇跡でたちどころに治ってしまう」

『それで?』

「その女は『食べて己の血肉にすれば、生き返ることはない』と思ったらしい。そして、実際にやった」

『……そう……どうなったの、その人』

「罰を受けた。その死体は永遠に腐ることなく、その魂は天国にも地獄にも行くことなく、今も彷徨さまよっているそうだ」

『ふうん……』

「ということで、人間は絹を作る方法をなくして今に至ると、そういうわけだ」

『……教えてくれてありがと』

「絹以外に何かないか、植民地にならずに済む方法は」


オーランドは話題を変えた。


『うーん、豊かで統率とうそつの取れた国になることが一番かなあ、他にも植民地にならなかった国にタイがあるんだけど、当時の王様が出来た人で、豊かな国だったのが大きいんだって』

「豊かに、か……」



領地を豊かにすること。それは領主としていつも考え続けていることだ。そのためには、自分がこの領地をちゃんと管理できているかどうかが重要になる。



「いつも通りのことをより励むしかないが……それ以上に何かできることがあればな」

『私に出来ることなら協力するから』



 それが何よりも心強い言葉だったとオーランドが思い知るのは、もう少し先のことになる。


「そうか。それなら、さっそく麦の奇病きびょうの解決に力を貸してくれないか?」

『ニール君のことね』

「ああ。自分で自分の望まないことをするようにさせられる子供は……もう見たくないんだ」


 自分よりも強く、抵抗できない存在に犯されるのは嫌だ。誰だって。オーランドの脳裏に、巻き毛の少年の気弱そうな表情が浮かび上がる。ニールは、助けを求めることができた。過去の自分とは違って。ハーヴィーという親友の有無という違いはあったとしても、声を上げることができた。その点でニールは自分より強いのだろうとオーランドは思う。そして何より。


「領民を助けるのは、次期領主の務めだ」

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