次期領主

 命令していただけるだろうか、というブリュンヒルドの言葉は、オーランドにはただのおためごかしのようにしか思えなかった。もしくは、責任逃れの生贄か。

 俺は女に運命を操られる、嫡男でもないのになぜか次期領主の位にいる男だ。オーランドは、自分がここにいる必然性さえあやふやになりつつあった。


「ある。オーランド殿と情報を共有できなかったことは謝罪する。今のノーデン領主はローレンス殿だ。争いも変化も好まぬ。旧世界についての知識も浅い。ローレンス殿に我らの情報を知られた場合、オーランド殿に何も伝えなければ、我らだけが異端として処刑されるだけで済む。オーランド殿が処刑されるなら、それはノーデンの危機だ」


「俺は、現領主の嫡男じゃない」


ブリュンヒルドは歯切れよく言い切る。オーランドは気後れした。俺に彼女のような自信は無い。ついでに言うなら血筋もない。デリックの、自分はノーデン領主の嫡男ではない、という言葉は、貿易が出来るかもしれないという興奮が去ってから、ずっとオーランドの脳内で響き続けていた。昨日、ちょうどこの場所で言われたのだ。ノーデン領主の血筋を引くものは他にいる、とも。ブリュンヒルドは言葉を重ねる。


「偶然だとしても、現在次期領主としての立場にいるのはオーランド殿だけだ。そして、次期領主としての教育を受けてきたのも、オーランド殿たった一人だ」


「ルーシが、情報を伝えないのは、主人をリーダーだと認めていないからだ、と言っていた」


ふてくされたオーランドの言い草に、ブリュンヒルドは目を伏せた。


「オーランド殿を次代のリーダーとして認めたが故に、オーランド殿に災いが降りかかる可能性を減らすため、このような行動に出るしかなかった。我らとて隠し続ける気はなかった。オーランド殿が領主の位に就いた際に全てをお伝えしようと考えていた。しかし、事態が急変した」


「フォーサイスが来たからか」


ブリュンヒルドは頷く。


「そうだ。今、ノーデンは岐路に立っている。教会との関係を悪化させる代わりに、ノーデンを富ませる可能性がある、危険な道。もう一つは現状維持だ。教会に客人を差し出して、今まで通り平穏に過ごす道だ」


「教会にフォーサイスを突きだしても、今まで通り平穏に過ごせるはずがない! 爆撃機だって来た。人間が、外から来ているんだぞ!」


オーランドは反射的に噛みついた。ブリュンヒルドは子供に言い聞かせるように、ゆっくりと口を開いた。


「今までも、それは同じだ。教会が密かに異人を殺すことを黙認し、今まであった事全てを無かったことにして過ごせる可能性はある。ノーデンを富ませられる可能性と同じくらいな」


「どういうことだ?」


「オーランド殿、ウェステンに貴殿が何をしたのか分かっているのか? 外国との交易は、ノーデンがウェステンと同じ目に遭う可能性が十分にあるのだぞ?」


「それは――」


オーランドは絶句した。反論しようとしたが、考えてみればブリュンヒルドの言うとおりである。

貿易は国を富ませることもあれば、国の富を根こそぎ奪い去ることもある。だからこそ民の暮らしぶりに気を配れ。幼いころ、父に叩き込まれたことだ。どうして今まで忘れていたのだろう。オーランドは思い出した。カーラだ。


――「ウェステンが糸に関税をかけてきました!」


――「関税など多かれ少なかれ、かけるものだろう。もしや、法外な関税なのか?」


――「はい。元の値段の千倍の関税だそうです!」


――『安いものはよく売れるからなあ。ウェステンはノーデンの糸の方がよく売れるのが面白くないから、恨んで法外な関税をかけたのかな?』


――「そうなんだろう、な」


 カーラの解釈なら正しい、と思考を止めてしまったが、あの時自分はウェステンの意図に気付けたはずなのだ。

 やせた土地と鉱産資源しかないため、民を富ませようとして早織り機を作ったウェステン。布を作って民を食べさせようと、麦畑をつぶして放牧地にし、羊の数を増やした。結果、ウェステンの中では麦が足りなくなる。だからウェステンの民は、ノーデンに麦を買いにやってくる。ノーデンが布を買うなら、元は取れるとウェステン領主は思ったのだろう。

 だが俺は、製糸機械を開発した。そして、安さを武器に糸をウェステンに売りつけた。更には蒸気で動く早織り機を導入した。ノーデンの技術革新によって、布で民を富ませるというウェステンの希望は叩き潰されたのだ。ウェステンは目減りする富を少しでも減らすための方策を取っただけなのだ。千倍の関税であり、硫酸銅の価格つり上げであり、ウェステン領主によるクリスマスパーティーでの抗議だったのだ。


――「布を大量に売りつけ、貧しい農家の収入源を潰し、生きていけなくさせたのはノーデンだ! ノーデンの富は、すべてウェステンの民が流した涙と言ってもいいだろう!」


ノーデンの富は、すべてウェステンの民が流した涙と言ってもいいだろう、というウェステン領主の言葉も一つの真実だったのだ。ウェステンを守るために彼が取った行動の是非は置いておいて。オーランドがやったことのせいで、意図はしていなかったとはいえ、ウェステンの女たちは体を売るしかなくなった。ノーデンでも、製糸工場は物乞いに仕事を与えた一方、糸紡ぎ女の生活の糧を奪い、彼女たちを娼婦にしてしまった。民と対外交渉に気を配っていれば、こうはならなかったかもしれないのだ。

――これは、俺が招いた、悲劇だ。カーラに判断を丸投げしていたがゆえの。

 オーランドは痛みとともに現実を突き付けられた。カーラは技術をよく知っている。しかし、ハーヴィーは救えなかった。全知ではないのだ。カーラは政治についても無知だった。


――『領主としての政治的なことはさっぱり分からないから、最近の書類には助言が出来ないの。ごめんなさい』


 政治やノーデンの地理については、俺の方がよく知っている。それなのに、カーラは自分よりものを知っている。カーラは世界で最も頼りになる、カーラは自分を裏切らない――その証拠に、カーラは俺と夜の秘密を共有できる。そう信じ込んで、思考を止めてしまったのは、ウェステンとの貿易だけではなかった。

 工場建設で、凍傷で足の指を失ってしまった職人。あの年は特に寒さが激しい年だったのだ。死人が出てもおかしくなかったのに、工事を強行してしまった。

 石油採掘の使節として、ルーシと、彼の愛してやまない子供を引き離してしまった。それに対する詫びもしていない。ページが何度も擦り切れるほど絵本を読み聞かせていたのだ。数カ月の間引き離されて、寂しくなかったはずがない。実際に、手紙には彼が家族を心配する気持ちが切々とつづられていた。石油が採掘できるようになったということだけに気を取られて、気にも留めなかったが。

 酷い事をしてしまった。カーラの言うことだけを気にかけていたせいで、それ以外の人々に気が回っていなかった。その結果が、大小さまざまな悲劇の山だ。


「ノーデンの未来を決められるのは、オーランド殿だけだ。どうかご命令を、次期領主様」


 よく言えば誇り高く、悪く言えば高飛車たかびしゃな口調で話すのがブリュンヒルドではなかったのか。今までにない丁寧で真摯しんしなブリュンヒルドの態度に、オーランドはたじろいだ。


「俺は、俺が民にとって最良の未来を選べるとは思わない」


過去を振り返れば振り返るほど、自分の過失ばかりが目につく。ブリュンヒルドに任せてしまったらいいのではないかとも思える。ブリュンヒルドはオーランドに逃げを許さなかった。


「最良の未来につながっていると思う方をお選びください。次期領主様。教会に頭を押さえられたままの現状維持か、大成功か大失敗のどちらになるかは分からないが、全く新たな可能性である対外貿易か」


 ブリュンヒルドはひざまづく。オーランドは目を閉じた。


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