遠乗り

 オリヴィエに見送られ、オーランドとブリュンヒルドは遠乗りに出発した。ひとしきり二人で無心に馬を走らせ、適度に疲れてきたころ、野原の真ん中でブリュンヒルドは馬を止めた。オーランドも彼女にならう。


「オーランド、確かお前の名前の綴りは、Orlandで合っていたか?」


「はい」


 ブリュンヒルドは何を言いたいのだろうか。オーランドはいぶかしんだ。


「一文字足らんな。Orlandoなら古の詩の騎士そのままなのだが……」


「オルランドゥ?」


「ふふ。シャルルマーニュ十二騎士最強の男、オルランドは絹の国から来た美女、アンジェリカに恋して、国土防衛をほっぽり出して大陸の反対側まで行ってしまったというぞ。そして、その罰として神から理性を取り上げられ、裸で国中放浪したそうな」


 絹の国から来た美女、という言葉に、オーランドはカーラを思い出した。美しい白い蛾。過去の世界と、外の世界について教えてくれた存在。ブリュンヒルドと情報共有すれば、彼女は見つかるかもしれない。オーランドはそう思ったが、カーラの事をブリュンヒルドにはなんとなく言いたくなかった。


「なにを言いたいのですか」


「あまり外来の技術に心を奪われるな。他国に足元をすくわれるぞ。お前が意図的にやったかどうかは分からないが、ウェステンにしたようなことがノーデンにも起きるぞ。向こう側がしてくる提案も、本当にノーデンにとって利益になるのか、しっかりと考えることだ。目先の利益と甘言にたぶらかされ、国の為にと思い込んで国土や国民を売ったものは、旧世界には掃いて捨てるほどいる」


「確かに、外交交渉に忙しくて、内政は部下に任せきりになっています。至りませんでした」


「まずは領地の人心を重視しろ。技術革新に溺れるんじゃない。歌の英雄の如く、本分を無視した報いで狂うかもしれんぞ。お前が目指すべきは、乳と蜜が流れる地、とまでは行かなくとも、ノーデンで最も貧しい民であっても、貿易と技術の恩恵を受けて凍えず、飢えず、ちょっとした楽しみを得られる暮らしができるようにする事だ」


「慧眼に、感服致します」


「そうかしこまるな。妾は夫の連れ子にふしだらに振る舞う姉を殺さねば止められなかった非力な人間よ。あれさえなければ、オーランド殿も今頃美女と子供に囲まれて、人並みの夫としての幸せを気楽に楽しめていたろうに」


 さらりとブリュンヒルドは天地が引っくり返るような事を口にした。彼女の言葉は、デリックに自分は領主の子ではないと聞かされた以上に、オーランドを揺さぶった。母親だと思って育っていた淫魔のような女が、俺の実の母親ではない。オーランドは自分と世界が崩壊するのではないかと感じられる程の衝撃に、しばらく口がきけなかった。


「母上は……実の母では無かったのですか?」


「ああ。オーランド殿の実の母が誰かは知らないが、妾の姉、フレーデグンデ=ソアソンはオーランド殿が二つの時にローレンス殿に嫁いでいたぞ」


「そう……なのですか」


 自分は近親相姦の罪を犯していないのだ。わずかにオーランドの記憶の痛みが軽くなった。


「ああ。妾がシグルド様と出会ってすぐ結婚して、一年目だ。忘れるはずがない、あのくそ姉貴と二度と顔を合わせたくなかったから田舎貴族に嫁いだのに、な。よりにもよってあの野郎の好みでもないジイさん……失礼。ローレンス様に嫁ぐとは。ゼントラムと繋がりがある貴公子など、幾らでもいるというのに」


 ブリュンヒルドはぶつくさ続けたが、オーランドの耳には入っていなかった。

 自分は近親相姦の罪を犯していないし、フレーデグンデは狂った人間だった、と信頼できる人に言ってもらえて、自分は間違っていなかったことが証明されたのだ。この嬉しい気持ちを、ブリュンヒルド以外の誰かに話したくなった。しかし、この気持ちを共有できる相手――彼がフレーデグンデから性的虐待を受けていたことを知っている相手――はカーラしかいない。彼の明るい気分はすぐにしぼんでしまった。彼女はここにいないのだ。しかも自分は彼女を怒らせてしまった。そうだ。カーラに謝る方法を聞きに、アフェクまでやってきたのだった。オーランドは話題を変える。


「つかぬ事を伺いますが、女性には、どのように謝ればいいのでしょうか」


「贈り物が一番だ。普通の女なら、彼女が好きな色のドレスか宝石を贈れ。さもなくば、菓子だ。美しい物と甘い物が嫌いな女は滅多におらんぞ」


「ブリュンヒルドさんも、ですか?」


「ああ。世界一の美男子シグルド様と、彼の甘い愛の言葉に勝るものなどないぞ」


 オーランドはブリュンヒルドを二度見した。ブリュンヒルドは真顔だ。鳩が豆鉄砲を食らったようなオーランドの顔を見て、ブリュンヒルドはいたずらっぽく口角を上げた。少女のような一面を見せられて、オーランドは耳まで赤くなった。

 軽い気持ちで質問したら、とんでもないノロケが飛んできた。オーランドは混乱した。ブリュンヒルドは並みの男騎士では倒せないほど強く、行動力は自分を上回っているかもしれない。冷徹な人物眼も、旧世界の知識の応用も、自分がブリュンヒルドに勝る日が来るとは思えない。そんな人が、愛などという甘い気持ちを持っていることが、信じられなかった。


「どうした? 生娘でもあるまいに」


「ブリュンヒルドさんが、そういうことを言うのは、予想外で……外交交渉は大胆不敵で、騎士としても並みの男よりも強い方なのに、浮ついた娘が好むような、ありふれた愛の歌のようなことをいうのが、意外で」


 ブリュンヒルドは噴き出した。おかしくてたまらないとばかりにくすくす笑い、更に大声をあげて笑う。


「堅苦しいのが妾だと思っていたわけか。真顔で愛を語るなど、外交と武芸に長けた武者らしくない、と? 妾はシグルドリーヴァだ。シグルドの恋人だ。ならば、シグルドが愛し、守る土地のために全力を尽くすのは何の不思議もなかろう?」


「その通りですね」


オーランドもつられて笑った。


――愛しているわ、オーランド。


あの幼い頃の、地獄のような夜に、しつこく何度もフレーデグンデはオーランドにささやいた。そのせいで愛は色欲につながっている、忌むべきものだと思っていたが、そうではないらしい。

愛を持った女でも、きちんと自分を律せるのなら、優れた人間になれるのだ。オーランドは過去の自分を振り返った。女はすべて淫乱なものだと思って遠ざけてきた日々。カーラと出会って、女は淫乱なだけではないと知ったあの頃。あの時、自分はカーラと居られて、楽しかったのだ。そして――ハーヴィーの出産と、カーラの過去の夢。


「男も女も、己を律することが大切だ、ということなんですね」


「そうだ。特に、ノーデンの未来を背負うオーランド殿は」


あのとき、俺は衝動のままにカーラを捨ててしまった。オリヴィエに言われたように、今の自分は変化していて、あの時の自分とは違うのだろうか。そして、変わった自分を、カーラは認めてくれるのだろうか? オーランドは空を見上げた。日が傾き、西の空が赤く染まり始めていた。ブリュンヒルドとアフェクの教会に行った日の夕焼けに、よく似た色だった。


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