神の言葉

「待て! 待ってくれ!」


 オーランドがいくら呼びかけても、ニールは振り返らなかった。彼はカツカツと足早に階段を上る。体が痺れて動けないオーランドを置き去りにして。


「お前に聞きたいことが! 話さなきゃいけないことが! 山ほどあるんだ! だから頼む、待ってくれ――」


 もしかしたらニールが戻ってきてくれるかもしれない。砂粒より小さな期待に縋って、オーランドはニールの姿が見えなくなっても叫んだ。しかし、彼の声が枯れても、ニールが戻ってくる事は無かった。


「オーランドさん、これから、どうしましょうか」


 叫び疲れたオーランドに、フォーサイスは声をかけてみた。オーランドは正気に戻った。


「まずはここを出よう。そして――」


「ここです! 騎士様! 次期領主様はここにいらっしゃるんですよ!」


 男の声がして、鎧がこすれるガチャガチャという音が地上から近づいてきた。新手か。とっさにオーランドは口をつぐんだ。同時に牢の外を警戒する。人影がこちらに走り寄っていた。


「次期領主様!」


 使者としてアフェク城に送った男が、こちらに駆け寄ってきた。彼の後ろから鎧に身を固めた騎士が十人ほど現れた。騎士の代表と思しき男が牢に足を踏み入れ、オーランドの目の前に膝をついた。オーランドはその顔に見覚えがあった。


「アフェクの、騎士団長、殿」


「ブリュンヒルド様の命にて参りました。よくぞ、御無事で。救護の用意を城でしております。歩けますか?」


「無理そうだ。まだ体が痺れている」


「承知いたしました。担架を用意いたします」


 ブリュンヒルドの騎士たちは、手際よく人々を地下室から運び出した。オーランドとフォーサイス、そして捕らえられていた民はアフェク城へ搬送された。幸いにも死者はいなかった。フォーサイスが回復してから、ブリュンヒルドは自分とフォーサイスとオーランドが話し合う場を設けた。ブリュンヒルドの執務室で、居心地の悪そうなフォーサイスと、女王の風格を漂わせ、後ろに影のように侍女を従えたブリュンヒルドに挟まれ、オーランドは緊張した。ブリュンヒルドが鼎談の口火を切る。


「時にフォーサイス殿。なぜ新グレートブリテン王国ノーデン領に来たのか? どのような答えであっても、アフェクにいる限りフォーサイス殿の生命は私が保証しよう。宜しいか、オーランド殿?」


「ああ」


 フォーサイスは深く息を吸い込んだ。


「ぼ、僕はこの国と貿易がしたくて来ました。できれば対等な取引がしたいと思っています」


「貿易……本当か!」


 興奮のあまり、オーランドは椅子から体を浮かせた。ブリュンヒルドは彼をなだめる。


「オーランド殿。落ち着きたまえ。時にフォーサイス殿。貴殿の出身国の名前を伺いたい」


「西部アメリカ共和国、です」


 フォーサイスが共和国と言った途端に、ブリュンヒルドは顔をしかめた。


「国王がいない国か。統治形態の違いを理由に不平等条約を結ばせられるのだけは避けたい」


「そんなことには、させません! 僕の国はこの国の資源がほしいと思っています。その為に、この国の近くまで船団を派遣しています。ただ――」


 語気鋭くブリュンヒルドの懸念を否定したにもかかわらず、フォーサイスの口調はどんどん弱くなった。


「ただ?」


 ブリュンヒルドは穏やかに促した。


「船団の中で、貿易のあり方について対立があります。対等貿易派とそうでない派です」


「フォーサイス殿はどちらなのだ?」


 フォーサイスは即答する。


「僕は対等貿易派です。リーダーみたいな立ち位置にいます。自分なら一目見てこの国の人間でないとわかってもらえるし、様子見のために船より先に小舟で上陸しようとしました。だけど嵐で難破してしまって。その後の事は、オーランドさんの知っている通りです」


「それは反目する派閥に陥れられたんじゃないのか? もし、こちらであんたが殺されるようなことになったら一気に非平等貿易派が勢いづくだろう?」


 オーランドは口を出さずにはいられなかった。フォーサイスは鳩が豆鉄砲を食らったような顔になっていた。


「……思い至りませんでした」


 フォーサイスは深々と頭を下げた。


「僕の命を救っていただき、ありがとうございます。オーランドさん」


「しかし、貿易をするとなると教会が黙ってはいないぞ。妾も次期領主殿も、教会関係者をノーデンから追い払うだけの力は無い。教会が不道徳なことを行い、自滅でもしていない限りな」


 ブリュンヒルドが現状を分析する。不道徳。オーランドは思い出した。ハーヴィーは神父の色欲によって殺されたようなものだった。


「教会の不道徳なら、心当たりがある。中央の神父は、少年を性的に虐待していたらしい。その証拠があなたに預けた赤子だ。男装して教会で暮らしていた少女が暴行され、妊娠して逃げ出したんだ。お産で死んでしまったが」


 ブリュンヒルドは目を閉じた。外の情報を遮断し、深く思考を巡らせる。


「それを教会が証拠として認めるとは思えん。しかし、お前が嘘をつくとも思えん。教会が不道徳を行っているという確実な情報は手に入った。教会へ打撃を与えられる形ではないが」


「教会に打撃を与えられる形の情報があれば、ノーデンから教会関係者を追い出せる、と?」


「ああ。神父どもが自分の悪行を認めざるを得ないような証拠があればいい。おそらくウリエルには、それができる」


 ブリュンヒルドは言葉を切り、息を吸う。


「教会に行こう。いくら皇女でも、女である限りは教会には入れぬから、私はアフェク騎士団教育隊副隊長、サイファーとして行く。シルフィード、私とお前の装備を持ってこい。着替えるぞ」


「承知しました。サイファー」


 部屋の隅に控えていた下女が、廊下へと駆け出す。女が、教会に、はいる。オーランドは衝撃で頭が真っ白になった。


「女が教会へ入るのは、禁じられているじゃないか! 神への冒涜だ!」


 激高したオーランドを、ブリュンヒルドは睨みつける。


「神への冒涜? 神罰が下る? 神の代弁をするなど、お前の方がはるかに思い上がっておるぞ! オーランド」


「それは……」


 ブリュンヒルドの語気は勢いを増す。


「旧世界では女も教会に入れた。修道女という、神に仕える女もいたそうだ。今、教会に女が入ってはならないのは、単に今の聖職者が【男の頭は神で、女の頭は男】という聖書の語句を拡大解釈しているだけだ! 女は神の家に入ってはならぬという神の言葉は、無い!」


「しかし、腐りきった聖職者が間に入っているとはいえ、神の言葉を信じないという事は、神の加護を失いかねんぞ!」


 ブリュンヒルドは椅子を蹴倒し、オーランドに詰め寄った。


「妾は、神の加護などいらぬ! シグルド様が妾を助けてくださったあの日の記憶だけで生きていくと誓ったのだぞ? シグルドリーヴァシグルドの恋人の名こそ、妾であり、妾の覚悟だ」


 オーランドは気圧された。何も言えず、ただただブリュンヒルドの目を見返していた。まるで、緑色の烈火を必死に外へ出さないよう抑えているかのような激しさがあった。

 この目は、神に頼らないと言えるほどの地獄を見てきた、とオーランドは直感した。オーランドの心を読んだのか、ブリュンヒルドは険しい表情を解き、ふわりと笑った。


「すまない。少し取り乱した。オーランド、甲冑を着て、兜を被れば男も女も無いぞ。教会まで出かけよう」


「僕も、ついていきます」


「フォーサイス殿。これは我が国の国内問題だ。客人の手を借りる必要はない。今は長旅の疲れを我が城で癒してくだされ。その上で、フォーサイス殿は貴国と本国の外交交渉に全力を尽くしてくだされ」


「ありがとう……ございます」


 フォーサイスの感謝で、鼎談は終わった。


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