ノーデンを照らす光

 大量の仕事をさばき終え、オーランドはやっと寝床に入れた。自分以外寝室に誰も入れない理由は、悪夢にうなされるさまを見られたくないからではなく、カーラとの密やかな語らいを独占したい、という理由に変わっていた。


「カーラ、今できる範囲で、何かやりたい事は無いか? うまいものは食べさせてやれないが、面白い話や美しい音楽くらいなら、何とか聞かせてやれるぞ」


 ベッドの中で思い切って聞いてみると、カーラはしばらく考え込んでいた。


『……いいえ。何も。何もいらないわ。ただ――』


「ただ?」


『――私を離さないで。私の声を聴いて。暗い場所で独りぼっちは、もう、嫌なの』


「ああ。離すはずがない」


 そう約束し、忙しく日々を過ごすうちに、オーランドはカーラと出会って4年目の春を迎えた。四年連続の大豊作に加えて、輪作りんさくを導入したことによって、畑の収量は過去最高を記録していた。また、ウェステン以外にも布の輸出先を増やしたことにより、城に入る収入が増えたので、ノーデン全体に減税を行う事も出来た。そのせいか山賊や物乞いの数は激減し、ノーデンの治安は向上していた。ウェステンやオステン、ゼントラムから貧民が流入していたが、紡績ぼうせき工場や石油採掘の労働者として雇うことで、ノーデンに本来いた民と雇用を奪い合うことないようにした。間違いなくノーデンは前へ進んでいる。オーランドは自信を持っていた。

 ――すべて、カーラのおかげだ。

 カーラの言うことに間違いはない。きっとカーラの知識があれば何でもできるのだろう。オーランドは根拠なく、無邪気むじゃきに信じていた。

 ノーデンが前に進むという事は、同時にオーランドが指示を出さなけらばならないことが増えるという事でもある。オーランドはその日も、多種多様な書類の山に埋もれていた。何とかすべてにサインと指示書を書くことに成功し、夕食を流し込んでオーランドは布団に倒れこんだ。


『お疲れ様。今日も頑張ったわね』


 柔らかいカーラの声。それだけで、一日を駆け抜けた疲れが消えていくように感じられる。悪夢におびえていた夜の始まりは、カーラによって一日の締めくくりに欠かせない、温かな瞬間になっていた。


「ありがとう、カーラ」


『領主としての政治的なことはさっぱり分からないから、最近の書類には助言が出来ないの。ごめんなさい』


 申し訳なさそうな口調に、オーランドは思わず笑ってしまった。カーラにはカーラにしかできないことがある。なのに、自分を手伝えないことを負い目に感じている。それが途方もなく甘くて、いじらしくオーランドには思えた。


「いいんだ。カーラ。君には君にしか出来ないことで、ずっと助けられてきた。お互いに支えあっていこう。君がそばにいてくれるだけで、百人力だ」


『ありがとう』


 カーラと一日の振り返りをしているうちに、オーランドは眠くなってきた。そのうちに、世界が変質する感覚があった。ずいぶん久しぶりだった。また旧世界の夢を見るのか。オーランドは少しわくわくした。

 視界がはっきりしてきたとき、オーランドは草で編まれた絨毯じゅうたんの上にひざまずいていた。


「――参りました。――に行ってまいります。お父様」


 オーランドの意志と関係なく口が動く。いつか見た夢だ。オーランドは思い出した。油田の知らせを聞く前にうたた寝で見た夢。


「来たか。お前は――家の跡取りだ。先祖代々の財産で勉強させて頂いていることをゆめゆめ忘れるな。――の身で学問をする以上は、かいこに無害な、桑に使える肥料や農薬を開発し、特許を取って来い。並みの男に負けることは、許さぬ」


 しぶい男の声が聞こえた。どうやら自分は家長の前にひざまずいているらしい。


「はい。お父様。実家を離れても、お家のため努力いたします」


「あれには挨拶せずに発て。あれは――の癖に、儂に楯突たてつきおった。お前が発つとなれば、座敷牢にお前を入れかねん。行け」


「はい。お父様。行ってまいります」


 オーランドは頭を上げ、奥にいる人物と顔を合わせないように立ち上がる。すり足で部屋を退出し、白い引き戸を閉める。

 そして廊下を数歩歩いた先にある急な階段を上り、その先の部屋の戸を開ける。雨が降っているようなざわざわという音がする。天井から床までびっしりと棚が取り付けられ、その一つ一つに引き出しのような箱が置かれている。オーランドは手近の一つを覗いた。


「お蚕様、行ってきますね」


 引き出しの中には、白くうごめく塊があった。

 その下には緑色の葉が敷かれ――いや違う。オーランドは塊の正体に思い至った。親指ほどの白い虫の大群が、雨音のような音を立てて葉を一心不乱に食べていたのだ。気味悪さにオーランドは引き出しを投げ捨てようとしたが、幸か不幸か体の自由がきかない夢の中だったため、オーランドは何もせず引き出しから離れた――暗転。

 オーランドは人込みの中を進んでいた。本が4冊ほど入りそうな鞄を斜め掛けにし、小さな車輪が4つついた大きな鞄を引きずっている。目の前には、巨大な一枚のガラスがあった。

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