家族

「勉強はしているな」

「はい、父上」

「鍛錬はしているな」

「はい、父上」

「何事もなかったな」

「……はい、父上」



「ならいい。引き続き励めよ」

「はい……」



オーランドは目を覚ました。日光が窓から差し込み、小鳥の歌う声が聞こえていた。



珍しくあの悪夢を見なかったが、苦い夢を見たな、とオーランドは思った。助けて欲しい相手に、助けてくれと言えなかった夢。



領地の視察ばかりでいつも疲れている父親に、子供のことは連れ合いに任せておけば大丈夫だと信じ切っている父親に、とても言えなかった。自分と母親の間に、何が起こっているかなんて。



……やり場のない気持ちは、体を動かして発散すべきだ。オーランドは寝室に持ち込んでいる剣を手に取った。今日は海に行く日だ。慣れない場所に雑念を持ったまま行きたくない。


 早朝、剣を振るのは小さい頃からの日課だった。千回を振り終える頃には息が弾み、やりきれない思いも、なんとか振り払えるまでになっていた。



オーランドが汗を拭っていると、カーラの声がした。



『あのう、おしゃべりしてもいい?』



「何だ」



『他所の国がないってことになってるのに、戦うことあるの?』



「領地の反乱の鎮圧が主だな……そもそも、そんなことが起きないよう、普段から視察をきちんとしておくべきなんだが」



『でも、あなたは大丈夫じゃない? 領地の人に慕われてるみたいに見えるけど』



「……凶作が続けば、どうなるかわからん。一番食料が不足しないのは城だからな」



この前も、麦の芽が腐る病気がずいぶん出た。これがこの春もだと、地主貴族のみならず、領主から援助を供出することになるかもしれない。



そこまで考えて、オーランドは不思議に思った。今よりも相当に人間が多かったという旧世界時代は、凶作にどう対応していたのだろうか?

「旧世界時代は、麦の病気はどうしていたんだ?」



『農薬……薬で予防したり治療したりしてたわ。人間と同じよ』



「薬? 麦にどうやって薬をやるんだ。だいたい麦の薬なんてあるのか」



『私の時代は色々あったわよ。種を浸けて消毒したり、植物体に直接撒いてかけたり。でも今の時代で使える農薬って言ったら、ボルドー液くらいかなあ……』



「ボルドー?」



そこへ、デリックがやってきた。どうにも浮かない顔をしていた。



「オーランド様、領主様がお呼びです。その……教会とのことについてだとか」



「……珍しいな」



現領主ローレンス・ガーティン。つまりオーランドの父親だが、膝を壊してからひどく老け込んでしまい、城の自室にこもっていることが殆どになった。オーランドとも顔を合わせない日が多い。周囲はオーランドの次期領主としての仕事ぶりを信用しているからだと思っているようだが、オーランドはあまりそう思っていない。



領主としての仕事だけしていたせいで、父親としての息子との向き合い方が、この年になってもよくわかっていないだけではないだろうか。





実践で使われることのない剣を振るのは、小さいことからの習慣で、父親の言いつけによるものだ。



オーランドは父親が五十になってから生まれた。遅い子供だったので、周囲にひどく大事に育てられた。道を外さないように周囲にひどく厳格に育てられた。



小さいオーランドに、領地の視察から戻って来た父親はいつも聞いた。



「変わりはなかったな? 勉強に励んでいるな? 鍛錬はしているな?」



と。



だからこそ言えなかった。変わりはないどころの話ではないなんて。近親相姦の罪を犯しているなんて。



父親はまめに領地に出向き、まめに領民の話を聞く領主だったが、それ故に城にいることが少なく、母親に城内のことは任せきりだった。



だから、余計に母親とのことは、周囲にもれなかった。





ガーティン家の暮らしは、質実剛健である。現領主の部屋も、華美な装飾とは無縁だった。樫製のしっかりしたテーブルと椅子。そこに、オーランドの老いた父親は座っていた。



「おはようございます、父上」



オーランドがそう言うと、現領主は顔をしかめた。



「デリックから聞いたぞ。教会の地下に押し入ったそうだな」

「…………」

「教会と揉めることだけはしてはならん。次期領主として、それだけは肝に銘じておけ」



オーランドは、父親の姿勢に、ひとこと言いたかった。



「そんなことよりも、教会を壊したあの大きな鳥のほうが問題です、父上」



しかし、現領主は首を横に振るだけだった。



「教会と揉めるな。何かあっても、教会がなんとかしてくれる。わしはそれしか言えん」

「しかし……」



反論しかけて、オーランドはふと思った。この国に危機が迫っているというのに、こんなことを言うとは、父は現領主として、何か知っているのではないだろうか。



「父上、爆撃機という物をご存知ですか?」

「ばくげきき?」



現領主は、きょとんとした顔を見せた。それを見て、オーランドは悟った。



この七十代の老人は、この世界のことを何も知らないのだ。少し前のオーランドのように。そう思うと、父親のことがひどく小さく思えた。



「……何でもありません。教会とは揉めないように努力します。失礼します」



この領地を、この国をあの爆撃機から守るために頼れるのは、どうやら胸元の白い蛾に宿る旧世界の女だけらしい。


「待て。オーランド」

「何でしょうか?」

「お前は、妹の見舞いに行かぬのか」

「私に妹がいた記憶はございませんが?」


母と父の間にできた子供は、オーランド一人だけのはずだった。いぶかしげな声に、現領主は大きなため息をついた。



「デリックもいらぬ気を回すものよ。ハロシェテ伯からの手紙が来ていたぞ。まあよい。我が妻はお前の母だけではない。前ハロシェテ伯の娘もそうだ。彼女の娘オリガ・ガーティンが先の冬に風邪をこじらせてな。ひどく患っているそうだ。お前が女の顔も見たくないという気持ちも分かるが、母親は違えど妹だ。せめて見舞いの品を部屋に運ぶくらいはしてやれ」


「承知しました。執務が落ち着き次第、見舞いにゆきます」


ハロシェテ伯はオーランドの親友だ。最近は仕事が忙しく、会えていなかった。あいつと会いに行くついでに薬を持って行くくらいなら、いいだろう。オーランドは父親の部屋を退出した。




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