ヒメツルソバのせい


「あのね? ママ、これおいしいの」

「……あなた、目玉焼きなんて作れたのね……」

「パパがおしえてくれたの。こんどはシチューおそわるの」


 女の子が、ママの前に置いた目玉焼き。

 殻は入ってしまったけど、おめめがちゃんとまあるくできた目玉焼き。


 お小遣いで卵を買ってきて、いくつもいくつも焼いて。

 ようやくできた会心の作を出したのに。

 ママは、また泣いてしまいました。


「ママ、これをたべればげんきでるの。なかないで?」

「……ほっちゃんばっかり、ずるい……。私は何も教えてもらってないのに」


 ずるいと言われて困ってしまった女の子ですが。

 でも、きっとママが泣いているのは風邪のせい。


 早くママに泣き止んで欲しくて。

 目玉焼きの上にお薬をいくつも乗せて。

 ママのお箸をお皿に置きます。


「これね! おいしいの! はい、いただきます!」


 女の子が薬を飲ませようとしてくれていることが分かったママは。

 もっと涙を流しました。


 優しい気持ちも。

 美味しそうな目玉焼きも。


 すべてが悲しくなって。

 どんどん涙が零れてきます。


「ママ? どうしたの? これ、たべてくれないとこまるの。ねえ、おいしいの」

「…………いいから、これはほっちゃんが食べなさい」

「いや…………」

「ほっちゃん?」

「いやーーーーーっ!!!!!」


 女の子は大きな声を上げて。

 ママのお腹にしがみついて、泣き出してしまいました。


 どうして急に泣き出したのか。

 ママには分かりません。



 ……目玉焼きを食べたりしたら。

 ママもお出かけしちゃう気がすると、女の子が感じていたこと。


 それも分からず。

 ただ、女の子の頭を撫で続けていました。




 ~ 十月十六日(火) 誕パ嫌? ~


   ヒメツルソバの花言葉 思いがけない出会い



「あれ? おばさん?」

「あら道久君、偶然ね。……ちょっと。ほっちゃんはどうしたのよ!」

「あいつ、なんか買い物して来るってどこかへ行っちゃいました」

「え? それで、ここに突っ立って待ってるの? あらやだ、そりゃ怒鳴ったりして悪かったわ!」


 黒いエコバッグを肘に提げたおばさんと。

 ファーストフードの人形の前で期せずして会うなり。


 大声で怒られて、すぐに謝られて、背中をバシバシ叩かれて。

 一躍、時の人なのです。


「みんな見てますから。勘弁してくださいよ」

「そもそも、こんな人形と並んで立ってるだけでも目立ってたから安心なさい」


 え? ほんとに?

 それは逆に安心できません。


 俺は人形を見上げながら、離れたものかどうしようか考えてみましたが。

 この目印から離れると、昨日不機嫌にさせてしまった穂咲に叱られそうな気がするので。

 仕方なくその場に立ったまま、おばさんと話を始めました。


「今年の誕生日プレゼント、ブローチにしようと思ったんですけど」

「あらありがと。でも、指輪の方がいいわね。プラチナの」

「俺のお小遣い三ヶ月分じゃ買えないですよ。それより、あいつブローチは嫌いだからとか言って、ぷりぷりしているのですけれど」

「別にそんなこと無いでしょ? ブローチなんて普通に……、いや、待てよ?」


 眉間に指を立てて何かを考え始めたおばさんが。

 ようやく何かに気付いたらしく、両手をポンと叩きます。


「なるほどね! ブローチ!」

「……その様子ですと、なにかありました?」

「嫌いじゃなくて、貰いたくないって言ってたでしょ?」

「え? ……よく覚えてませんけど、それの何が違うんです?」


 嫌いだから欲しくないのでしょうに。

 違うのでしょうか?


「道久君。……穂咲は、大人だと思う?」


 首を捻っていた俺に。

 おばさんは、さらになぞなぞを出してきますけど。

 何の話でしょうか。

 素直に答えてもいいのですか?


「…………がきんちょ一等賞だと思います」

「じゃああげちゃダメ」


 なにやら、おばさんは一人で納得なさっているようなのですが。

 ちゃんと理由を聞かないといけません。


「俺、何となく覚えてて。あいつ、ブローチが宝物だとか言ってた気がするのですけれど」

「そうね、言ってたかもね」

「やっぱり、そうですよね……」


 そのブローチが何だったのか。

 よく思い出せませんが。

 やはり記憶違いでは無かったのです。


「それがどうして嫌いになったのです?」

「さあ? 本人に聞けば?」


 そう言いながら、おばさんが見つめる先から大量の玉子パックを抱えて姿を現したのは。

 昨日からずっと怒った顔のままの藍川あいかわ穂咲ほさき


 ……それ、くたびれませんか?


 今日は軽い色に染めたゆるふわロング髪をぶわっと広がったソバージュにして。

 ちいさなピンクのダリアのような、ヒメツルソバの花を頭の上に一輪咲かせています。


 ソバだけに。

 などと言いたいところですが。

 下手な事を言うと、爆発しそうなので。

 こういう時は普段の軽口も封印です。


「ママなの。どうしたの?」

「買い物に来たら偶然道久君見かけてね」

「そうなのです」

「ふーん。何のお話をしてたの?」

「ほっちゃんの誕生日に、プラチナリングを買ってくれるって話」

「してませんから! ブローチの話でしょうに! …………あ」


 しまった。

 休火山に爆弾を投げ入れてしまったのです。


「またその話なの! ブローチはいらないの!」


 昨日に引き続き、再び噴火してしまった穂咲さん。

 ファーストフードのお店の人形からメガネとステッキをむしり取って。

 俺に押し付けて、走って逃げて行きました。


 おばさんが後を追ったので、俺も行こうとしたのですが。

 店員さんに肩を叩かれて止められました。


 ……これはまさか、昨日と同じパターン。


 俺は仕方なくメガネをかけて杖を腕にかけながら客引きをはじめたのですが。

 どうやらそういう事ではないらしく。


 三十分後の事務所で。

 母ちゃん共々頭を下げることになりました。


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