キクのせい


 ママに叱られてフローリングにお尻をついて。

 びーびーと泣く女の子が、小さな紅葉をいっぱいに伸ばしながら。

 取り上げられてしまった、大好きな宝石箱をせがんでいます。


「これはあんたの遊び道具じゃないのよ! まったく、へたなとこに置いとけないわね……」


 ダイニングテーブルから再び女の子を叱りつけたママが。

 膝の上にのせた箱から、大切なブローチを取り出します。


 そして下から、斜めから、手の中でくるくると回しながらブローチを眺めると。

 中央の石に傷が入っていないことに安堵しつつ。

 でも、クジャクをかたどったフレームが。

 少し歪んでいたことにため息をつきました。


「クジャクの尾っぽ、ちょっと曲がった? 子供の力も侮れないわね……」


 両手でひん曲げれば元に戻るかしら。

 ママは慎重に力を入れて直してみました。

 なので、膝の上の宝石箱が作業の邪魔になって。

 足元に置いたその時です。


 今までお尻で座っていた女の子は。

 それを見るなり、必死の思いで箱に飛びかかり。

 おでこを床にごいんとぶつけながら。

 いつものように、お腹に抱きかかえたのでした。


「…………なんだ。あんた、箱が欲しかったの? 頭からすごい音してたけど、バカになっちゃうわよ?」


 ママが、まん丸になった女の子を足でゆすりながら。

 おろおろと見つめていたパパの方を向いて、視線で問いただします。


「ごめんね、箱の方に価値があるかどうかは知らないんだ。でも、穂咲が遊び道具にしていいものじゃない。うちの家紋が入ってるし」

「そう。じゃああんたには別のをあげるわよ。高級品だけど、もう使わないし」


 やれやれと、ママがドレッサーの足元から引っ張り出してきた宝石箱は。

 まるでガラスのように光沢のある黒い肌に、金の縁取りがピカピカと輝いていました。


 これもなかなかのお値打ちもの。

 小さな女の子は、おなかの宝石箱から浮気して。


 ママが差し出してきた黒い宝石箱へふらふらと近寄って蓋を開くと。

 ベルベットの高級な小部屋が両手の指の数よりもっとたくさんお迎えしてくれたのですが。


 でも肝心なものがありません。

 どこにも、さくさくが無いのです。


 これは違うのと、ママへ押し返して。

 ピンクの宝石箱へ振り返ると。


 パパがおでこに汗をいっぱいかいて立っている横に。

 さっきまで置いてあった宝石箱がないのです。


 女の子は、再び大きな声で泣きだしたのでした。




 ~ 十月一日(月) 勉誕班計見単パ赤厳省 ~


   キクの花言葉 破れた恋



 金曜日の英語の授業。

 出席したのが俺一人でしたので。

 小テストは、本日行われ。

 そして、無事に終了しました。


 ……いえ。

 俺は今、一つウソをついています。


 『無事』という言葉は。

 この、ばってんだらけの答案を形容するのにふさわしくありません。


「小テストに出てきた問題、あたしが教えた通りなの。感謝するといいの」

「君が俺に教えてくれたのは図々しさだけです」


 先日、ノートに書き写した課題の英単語。

 君が肝心なページを破いて持って行ってしまったから。


 テスト当日の朝に返されたところで、二十問中五個しか答えることが出来なかったのです。


 そんな、図々しさが衣替え直後のパリッとした制服を着たような女の子。

 彼女の名前は藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は大人っぽくティアラ風の編み込みにしているので。

 ちょっぴり綺麗に見えます。


 耳の上に飾ったキクの大輪も。

 ぱっと見では、まるでよそ行きのおしゃれのようで。


 いつものように、バカっぽくは見えないのです。


 だからと言って、こいつが他の誰かとどうこうなるはずも無いのですが。

 念のために予約しておかないといけません。


「穂咲。修学旅行の班の事なのですが……」

「あ、それなの。ちょっと相談に乗って欲しいの」


 そう言いながら。

 穂咲はクラス全員の名前が書かれたノートを俺に見せてきました。


 なんでしょう、誰と組んだらいいのか、という相談でしょうか。

 でも、現在は授業中ですし。

 堂々とさぼるわけにはいかないので。


 ちょっと、悪知恵を働かせてみました。


「こほん。では穂咲、重要なところを、蛍光ペンで塗ってみなさい」


 背中越しに感じる視線。

 いつものセリフを口にする準備が整ったオーラ。

 でも、それがすうっと消えていきます。


 上手くいきました。


 さて、後は穂咲が絞り込んだメンバーから、俺がお話しやすい人を選ぶだけ。

 そう思ってノートに視線を落としてみれば。


「…………全部ピンクでどうします」

「だって、みんな仲良しなの。みんなと同じ班がいいの」


 まったく。

 こいつはどうしたものでしょう。

 しかも、俺の名前だけ線が引かれていないことが実に腹立たしいのですけど。


「はあ。もう、後にしなさいな」

「でも……」

「ほら、先生が試験に出る重要な所を説明し始めますから。そのペンで教科書に線を引きなさい」


 ギリギリのタイミングでしたが。

 重要なことを聞き逃さずに済みました。


 それにしても、先生のヒントが難しい。

 該当する場所をチェックしていたら、教科書が半分以上線で埋まってしまったのですが。

 これでは何の役にも立ちません。


「……ふう、できたの!」


 そして、穂咲も線引きが完了したようで。

 何となく教科書を覗いてみれば。


「全部ピンク!」

「…………やかましいぞ、秋山。立っとれ」


 まったく。

 どうして君はそうなのでしょう。


 俺が痛む頭を抱えながら席を立つと。


「そしてこっちも完了なの!」


 穂咲は、先ほどの班決め表を高々と掲げましたが。

 そこには、五人のメンバーが鉛筆で丸を付けられていたのです。


「…………いけね、一人忘れてたの」

「そうですね。俺が入っていません」

「道久君なの? …………別にいいけど」


 何やら偉そうなことをつぶやきながら。

 穂咲が俺の名前を丸で囲むと。

 その紙を先生に提出します。


「……こら、藍川。授業中に何を書いとるか」

「班決め、これで一班できたの。じゃあ次は、自分の班を決めるの」


 ……自分の班?

 じゃあ、こっちの紙は?


 俺は、教卓に置かれた紙を眺めて。

 思わず叫びました。


「穂咲が入ってねえ!」

「うるさいぞ貴様は。……まあ、期限より随分早く班決めが済んだことは褒めてやる。だから席に戻っても……、おい秋山、どこへ行く気だ?」

「……自分の迂闊さを反省してきます」


 俺は、ざわつくクラスを後にして。

 静かな屋上で、一人反省会を開くのでした。


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