第3話 命の本質

 肉体は命の器に過ぎない。

 あの日、熱く語った幼なじみは、本当に変わってしまったのだろうか。あの優しかったカルマは、生きとし生ける者全てを憎む怪物へと変貌してしまったのだろうか。

 地下迷宮の最下層でこうして直接対峙していてもそれが信じられず、リーベは最後にもう一度、もう一度だけ確かめたくて尋ねた。


「カルマ、なぜあんな惨いことをした」

「惨いこと?」

「とぼけるな! 騎士ユベルに君がした仕打ちだ!」

「ああ、そのことか」


 問い詰められようやく思い当たったらしい。不死の魔術師は口元だけでニヤリと笑った。


「傑作だったろ?」

「傑作なもんか!」


 その答えに、リーベは思わず叫んだ。

 剣技会の後、騎士学校を卒業するとリーベは近衛隊の騎士となり、前後してユベルも第三騎士団の一員として王宮へと仕えた。騎士ユベルが王に屍王討伐を申し出て、単身この地下迷宮へと乗り込んだのが丁度一年前のことだった。


「なぜあんな惨い仕打ちをした」

「惨いとはご挨拶だな。僕は殺しちゃいない」


 そしてまた、山羊の頭骨を模した兜の下で、屍王の痩せた口元が笑った。


「あれを造るのには苦労したんだ。死なないように移植するのに」


 言葉通り、騎士ユベルは死んではいなかった。死んではいなかったが、死んだ方がましだった。誇りを失いユベルは既に騎士ではなかった。いや、騎士の誇りどころか人間の尊厳さえも失っていた。


 ◆ ◆ ◆


 そこは『彷徨える魂の迷宮』に入って直ぐの、隔離された部屋だった。門番代わりの魔物を倒して中に入ると、獣の匂いがした。

 フゴフゴと聞こえる豚の鳴き声。

 地上から漏れ零れて来る薄明りに目を凝らすと、狭い部屋に十数頭の豚がひしめいて居るのが見えた。その中にユベルが居た。いや、正確にはユベルだった物が居た。

 人とも魔物とも判別のつかない屍肉を貪る豚。十数頭いる丸々と太った豚のうち、一頭のメス豚の額に人の顔があった。かつて、『騎士ユベル』と呼ばれた鼻の赤い男の顔が。

 それはただ形だけを写した物ではなかった。

 メスの豚が屍肉を貪ると、額にあるユベルの口ももぐもぐと動いた。虚ろな瞳は何を見ているのか。よだれを垂らし「うまうま」と呻き声を上げていた。

 額にユベルの顔を宿したメス豚が屍肉を貪り喰う間、数頭のオス豚がしきりにメス豚の尻の匂いを嗅いでいた。その中のひと際大きな一頭が、徐に後ろからのし掛かった。

 ブキーとメス豚が悲鳴にも似た鳴き声を上げ、それと同時にユベルも嬌声を上げた。

 快楽に歪んだ顔は、蛇に噛まれて以来赤くなった鼻だけでなく、全体が上気して真っ赤だった。後ろから性器をねじ込まれ、のしかかったオス豚が腰を振る度に、ユベルは口にするのも汚らわしい隠語を叫んだ。

 やがてオス豚が果てると、今度は別のオス豚がのしかかって腰を振った。どうやら、十数頭いる豚のうちメスは一頭だけらしい。一頭が果てるとまた一頭、また一頭と別のオス豚がのしかかり、その度にメス豚とユベルが悦びの声を上げた。

 よだれを垂らしてよがるその顔から、堪らず目を背ける。しかし、一度は背けたものの、このまま捨て置くわけにはいかない。思い直し、リーベは鞘から長剣を引き抜いて構えた。

 オス豚に突かれ、腰の動きに合わせてユベルが嬌声を上げる。

 次の瞬間。

 肉欲に溺れて獣と化したユベルを、リーベはメス豚の首ごと斬り落としていた。


 ◆ ◆ ◆


「死なないように移植しただけじゃない。メス豚の脳と繋いで感覚を共有出来るようにしたんだ。食べて、交わって、疲れたら寝る。しあわせそうだっただろ?」

「あれじゃ、殺すより惨い」

「へぇ」


 肉の削げた屍王の口がニヤリと笑った。


「殺したんだ」


 その口元に不快感を覚えながら、リーベは答えた。


「ああ、殺した。慈悲を以って殺した」

「慈悲だって? たったひとつしかない命を絶つことが慈悲だって?」

「黙れ」

「食べて、交わって、寝て、あいつは、ただ命を、生を謳歌していただけだ。皆がしているように! その命を絶つことが慈悲だって?」

「黙れッ!」


 怒りの余り叫ぶと、屍王と化した友は声を上げて愉快そうに笑った。


「なぜあんな男のために情けを掛ける」


 ひとしきり笑った後、屍王は聞いた。


「君を殺そうとした男だ」

「あれは――」


 剣技会の決勝戦でのことを言っているのだろう。屍王の問いかけに、リーベは答えた。


「あれは、試合中の事故だった」

「事故なものか」


 リーベの答えを、屍王は否定した。


「あの男は、試合に負けた腹いせに君のことを殺そうとしたんだ」

「誇り高い騎士学校の生徒が、そんなことをするはずない!」

「違う。あの男は誇り高くなんかない。虚栄心と嫉妬心に駆られた俗物だ」


 確かに、ユベルは名家の子弟でそれを鼻に掛けた男だった。

 しかし、


「百歩譲ってあれが事故じゃなかったとして、俺は死ななかった」

「死にかけたじゃないか」

「でも、こうして生きている。生きてぴんぴんしているんだから問題ないだろ」

「お人よしだな、君は」


 目深に被った兜の下で、幼なじみの魔術師がひとつ溜息を吐いたのが見えた。


「あの男は嫉妬心からわざと君を殺そうとした。あんなのは当然の報いだ」


 そこまで聞いて、一瞬にしてリーベの視線が険しくなる。


「じゃあ、君は俺のためにユベルにあんなことをしたっていうのか!」

「それも違う」


 かつての友は平然と言ってのけ、それから、


「確かめたのさ『命』ってヤツが尊いものなのか。君も尊いって思っているんだろ?」

「それは――」

「だから試したのさ。『命』が本当に尊いものなのか。その結果があれだ」

「いや、でも――」

「僕は遂に『命』の真理に辿り着いたんだ」


 屍王の痩せた口元が笑う。


「浅ましかっただろ? 卑しかっただろ?」


 可笑しくて堪らないといった風に、屍王が笑う。


「あれが、『命』だ。食べて、交わって、寝て。あの卑しい姿が『命』の本質だ!」

「カルマ……」


 変わり果て『命』を蔑む友の姿に、リーベは言葉を失った。

 そして、


「あんなもの尊いもんか! 誰も死なない世の中なんてあり得ない!」


 屍王が叫んだ。痩せた口を大きく開けて叫んだ。


「『命』なんて無くなればいいんだ! この世から全部無くなればいいんだ!」

「カルマあああぁぁぁッ!」


 怪物と化し、かつての夢さえ自ら否定する友に、リーベは剣を抜いて襲い掛かった。

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