第2話 血の決勝戦

「痩せたな、カルマ」


 空気の淀んだ地下迷宮。

 かがり火に照らされた魔術師の顔はすっかり肉が削げ、かつての少年の面影を窺い知ることは難しかった。


「肉体は命の器に過ぎない」


 リーベは王都で当のカルマからその台詞を聞いたことを思い出した。

 あれは、剣技会の決勝戦前日のことだった。


 ◇ ◇ ◇


「だから、肉体は命の器に過ぎないんだよ!」


 王都にあるカフェのテラス席。騎士学校の詰襟の制服をきっちりと着込んだリーベと、魔術学院のローブを身に纏ったカルマは、テーブルを挟んで座っていた。


「聞いてる? リーベ」


 熱弁を振るうカルマに、リーベは口の中をアップルパイでいっぱいにしたまま頷いた。

 本当のところカルマの語る魔術談義は難し過ぎて理解の範疇になかったが、絶品のアップルパイを奢られる身にあっては、相槌のひとつも打つのが礼儀というものだ。

 とりあえず頷いておいて、リンゴの甘味と酸味が二重奏を奏でるパイの味をゆっくりと堪能し、ごくんとハーブ茶で飲み下してから、ようやく「聞いてるよ」と付け加える。


「本当かなぁ?」

「ホント、ホント。えと『不思議の技法』だっけ? それが『命』の秘密の手がかりなんだろ?」

「『不死の秘法』だよ」


 聞き覚えのある単語を並べてみたが間違っていたらしい。カルマの疑りの眼差しが痛い。


「禁呪『不死の秘法』を使うと術者は不死になる。術を使うには『器』と呼ばれるアイテムが必要なんだけど、これにはいくつか条件があってさ。壺とか宝石とか人形とかの命無き物であることとか、術者と一緒に長く過ごしてきた物だとか」

「そんなスゴイ術なのに、なんで禁じられてるのさ」


 今度はいつでも返事が出来るよう、アップルパイをひと口大に崩してからひょいと口の中に放り込む。やはりこの店のアップルパイは王都一だ。


「そう、それだ。いい質問だよ、リーベ」


 どうやら、今度はカルマ先生に及第点を貰えたようだ。


「不死となった術者は、『命』を憎むようになるんだ」

「へえ」


 もぐもぐとアップルパイを味わいつつ相槌を打つ。


「『命』を憎み、生者を憎む。習い覚えた魔術でもって、死んだ方がましだってほどの惨たらしい仕打ちを繰り返す。命を弄ぶ所業は最早怪物だよ。人間じゃない」

「なるほど。それで禁呪になってるんだ」

「そう」


 カルマはひとつ頷いた。


「でも、最も『命』の秘密に近い高度な術なんだ。『不死の秘法』を研究して『命』の秘密がわかれば、誰も死なない世の中を創ることも可能なはずなんだよ!」


 誰も死なない世の中を創る。それは子どもの頃に聞いた、カルマの将来の夢だった。

 一方、リーベはその頃の夢を叶えつつあった。騎士学校で優秀な成績を収め、剣技会で勝ち進み、リーベは決勝戦へと駒を進めていた。明日勝てば優勝だ。きっと父も自分のことを認めてくれるに違いない。リーベはそう信じていた。

 今日はリーベのためにカルマが開いた、二人だけのささやかな激励会だった。カルマに好きな物をご馳走すると言われ、このカフェのアップルパイを選んだのは正解だった。王都で評判の味は絶品で、そして、あの日二人で食べたリンゴを想起させてくれた。

 どこか懐かしさを感じる味を堪能していると、ふとカルマの視線が険しくなった。


「リーベ、髪上げて、右の頬を見せて」

「え? あ、いや――」

「いいから、見せて!」


 仕方なく髪をかき上げて右の頬を露わにする。するとそこに剣技会の対戦で負った刀傷があった。


「こんなの大したことないよ。ツバつけときゃ治るって」


 その軽口はカルマに黙殺された。傷口に手をかざし、カルマが呪文を唱えた。そうやって暫くすると、リーベは傷を負った頬がほんのりと温かくなるのを感じた。


「これでよし。触ってみて」


 言われるままに触ってみる。頬に触れると、痛みも傷口特有のざらついた感じもすっかりなく、元の滑らかな肌の感触が指先に伝わった。


「『命』の欠片を集めて治しておいたから」


 こういう優しいところは、子どもの頃から少しも変わらない。


「ありがとう」


 微笑むカルマに、リーベは素直に礼を言った。


「魔術ってスゴイな。傷も治せるんだ」

「医師は医術を、魔術師は魔術を使って治す。それだけのことだよ」


 なんてことはない普通のことだとカルマが言った、そのときだった。


「決勝戦の前日に男と逢引きとは、余裕だねぇ」


 リーベと同じ騎士学校の制服を着た三人組のひとりが声を掛けてきた。ひと際体躯の大きな男だった。盛り上がった筋肉で制服がパンパンで窮屈そうだ。


「ユベル、貴様とは明日決着をつけてやる。あっちへ行ってろ!」

「おぉ、こわいこわい。だが、怒った顔がまたいいねぇ」


 その男こそ、明日の決勝戦の相手、ユベルだった。


「未来の女騎士様は、剣も速いが手も速いらしい。今夜は男と技の鍛錬だとさ」


 リーベが眉根を釣り上げても、なお、にやにやと下卑た笑いを浮かべユベルは続けた。


「俺にもベッドでご自慢の技を披露して貰いたいもんだ。なあ、リーベ」


 そう言ってユベルは、リーベの肩に手を回した。


「お前の家は跡取りの男子がいないんだろ? 俺が婿になってやろうか? そうすりゃ公爵様と縁続き、お前の家も名門の仲間入りだ。悪い話じゃないだろ?」


 ユベルは公爵家と遠縁の裕福な貴族の次男坊だった。それを鼻にかけ、取り巻き連中と悪さを繰り返していた。悪行を咎められないのは、名家の子弟だからだと噂されていた。


「だから、俺に、決勝戦を棄権しろと言うのか?」

「ああ、そうか! 婿を取るならお前が騎士になる必要もないもんな。こいつは気がつかなかった!」


 白々しく言ってから、ユベルは薄笑いを浮かべた顔をリーベに近づけて囁いた。


「リーベ。俺の女になれ。明日の決勝戦は棄権するんだ」


 ユベルの鼻息がリーベの頬にかかる。

 そのとき、


「汚い手を離せ」

「あーん?」

「その汚い手をリーベから離せと言ってるんだ」


 カルマが自分の倍はあろうかという巨漢のユベルを睨みつけた。


「青っちょろい魔術師見習いが、ほざいてやがるぜ」


 それを、取り巻き連中と一緒に、ユベルが鼻で笑った。


「離さなかったらどうするってんだ?」

「こうする」


 ユベルをキッと睨みつけたまま、カルマは十指で複雑な印を結び呪文を唱えた。すると、いつの間にかテーブルに描かれた幾何学模様が光り、そこから蛇が飛び出してユベルの鼻に噛みついた。

 突然、苦手な蛇が出現しリーベは悲鳴を上げそうになったが、ぐっとそれを飲み込んだ。騎士が人前で悲鳴を上げるなんて、そんなみっともないことなどするわけにはいかない。しかし、全身に鳥肌が立つのまでは抑えることが出来なかった。

 一方、


「うわぁ!」


 噛まれた本人は堪らない。鼻先に蛇をぶら下げて、ユベルは無様に悲鳴を上げた。


「早く治療しないと、毒が回って鼻が腐り落ちるよ」

「ひ、ひぃ!」


 もう一度悲鳴を上げると、捨て台詞も残さずユベルは仲間と逃げて行った。


「カルマ、今のも魔術?」

「うん。銀の粉で即席の魔法陣を描いたんだ。ミスリル真の銀の粉なら、もっとちゃんとした魔法陣が描けたんだけどね」

「へえ」


 感心しながらもリーベは後悔した。魔術の話を始めるとカルマは長いのだ。


「魔法陣ってそれ専用の材料が必要なんだ。砂鉄とか石灰とか金剛石を粉状にしたものとか。銀やミスリルはそれ自体魔力を含んでるから、粉にすると代用品として使えるんだ」

「なるほど」


 相槌を打ちながら、魔術談義を打ち切る機会を窺う。


「中でもミスリルは万能で、どの材料の代用品にも使えるんだけど高くてね。それで今回は銀の粉を使ったんだよ」

「だからってさ、蛇を出すことないだろ?」

「え? あー。う、うん……。いや、えと……ごめん。リーベが苦手なの忘れてた」


 どうやらうまく話の腰を折ったらしい。ここは攻め時だ。


「罰として、アップルパイもう一個追加な。あとハーブティーも」

「そ、それは、ちょっと。新しい魔導書を買うお金が足りなくなっちゃうから……」

「スミマセーン! アップルパイとハーブティー追加お願いしまーす!」


 カルマの困り顔が諦めの表情に変わるのを横目に、リーベは大声で追加を注文した。


 ◇ ◇ ◇


 翌日、決勝戦の日、王都の空は青く晴れ渡っていた。

 由緒ある剣技会の決勝戦は、王陛下の御前で行われる王都を挙げての一大イベントだった。会場は貴族のみならず、決勝戦をひと目見ようと集まった人たちで溢れかえっていた。その中に、魔術学院のローブを纏ったカルマの姿もあった。

 大観衆が集まった競技場で、戦闘用のチェーンメイルに身を包んだリーベはひとつ深呼吸をした。決勝戦を直前に控えても、思いのほか落ち着いているのが自分でもわかった。

 高らかにファンファーレが鳴り、王陛下並びに王妃陛下の入場を告げる。

 手を振って観衆に応える両陛下が貴賓席に着くのを待ってから、決勝戦は始まった。

 剣技会は、真剣での寸止めルールで行われる。多少の怪我は付き物だったが、相手に大怪我をさせたり殺してしまったりした者は反則負けとされた。騎士を目指す学生の大会らしく、長い歴史の中で今までに反則負けになった者は居なかった。

 勝敗は至極簡単で先に一本を取れば勝ち。それ故、一瞬で勝負が決まることもあった。その瞬間を見逃すまいと観衆が見守る中、先制攻撃を仕掛けたのはリーベだった。

 試合開始の合図と共に重厚なプレートメイルに身を固めたユベルに駆け寄ると、持前のスピードで鋭い突きを繰り出す。それをユベルは巨大な盾で受け止め、リーベの身長はあろうかという大剣を振り下ろした。

 必殺の一撃を横から盾を当てて軌道を逸らし、懐に潜り込もうとするリーベをユベルの巨大な盾が阻む。回り込んで一撃を与えるも浅く、一本には程遠い。悔しがる間もなく、ユベルの大剣が横に薙ぎ払われ、リーベは堪らずバックステップで距離をとった。


「今のうちに降参しろ、リーベ。俺の女になれ。そうすればお前も名家の一員だ」

「ごめんだね。血筋が良くても、素行が悪くて鼻の赤い男は願い下げだ」


 あれから医者に見せたのか、絆創膏が貼ってあるユベルの鼻は、赤く腫れあがっていた。


「力でねじ伏せて俺の女にしてやる! ベッドでひいひい言わせてやるから覚悟しろ!」


 いきり立って大剣を振り回すユベルだったが、流石に決勝戦まで勝ち上がってきただけあった。わずかな隙は見せるものの、そのどれもが致命的ではなかった。

 試合は決勝戦に相応しく、白熱した。

 剣技は同等、リーベはスピードに、ユベルは力に勝っていたが、両者とも自分の持ち味を生かし勝負は互角だった。だが、終盤に来て決定的な差が露呈した。

 練習嫌いでサボり癖のあったユベルに対し、地道な基礎練習を欠かさなかったリーベは、スタミナに勝っていた。試合が長引くにつれ動きが鈍るユベルに対し、リーベのスピードは全く落ちる気配がなかった。


「どうした、ユベル。俺を力でねじ伏せるんじゃなかったのか? 息が上がってるぞ」

「ぬかせッ!」


 疲れのため判断力が鈍ったのだろう。大技を繰り出そうと大上段に構えたユベルの鼻先に、リーベが長剣を突き付けピタリと止めた。誰が見ても見事な一本勝ちだった。

 勝った! これで父さまも認めてくれる! 夢を叶えリーベはすっかり油断していた。

 だから、


「うりゃあああぁぁぁ!」


 寸止めした長剣の切っ先を無視し、雄叫びとともに振り下ろされたユベルの一撃をリーベは避けることが出来なかった。

 大剣はチェーンメイルをやすやすと斬り裂くと、肩口から肉を斬り、骨を断ち、リーベの内臓をえぐった。夥しい量の血が噴き出し、決勝戦の会場を赤く染める。


「リィィィベェェェーーーッ!」


 薄れゆく意識の中、大観衆の悲鳴と怒号に混じって、カルマの叫び声が聞こえた。

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