第11話 #会場で


「ここ302で合ってる?」


形よく整った太めの眉、すっと爽やかに通った鼻や目元。さらりと肩辺りまで垂れる長髪は黒髪で白磁の肌に透き通った印象を与える。花恩にとって今まで周りにいたことのない種類の女の子だ。どこか現実感がない花恩は単純にスクリーン越しに映画のワンシーンを見ているかのような気分だった。少なくとも花恩にはそう思える一瞬だった。


「はわー…。」


スクリーン越しにいるのが普通。目の前に自分と同じ候補者として入ってきた、どこか素人感もある浮世離れした美少女はそんな存在感をも既に持ち合わせる。その美少女が困った顔をして花恩と同じ目線になるように少し屈む。


その瞬間、花恩には爽やかな春風が感じられる。揺れた髪から感じる、その爽やかな風は水から連想される透明感や清涼感、清々しさ、そしてその中に紛れた柑橘系の瑞々しさを思わせた。


「えっ…んー……私は園忍です。19歳です。よろしくね。」


花恩は思わず、ジロジロと目の前にある違う世界に生きているとしか思えない顔を隅々まで見てしまう。園は思う。これって、どうすればいいんだよ、と。ジロジロと見ていることから、無視しているわけでも興味がないわけでもなさそうだ。


今の園は芽李子によって人間関係に関する勇気ゲージが溜まっている。だから、いつもならやれないし、出来ない事をする勇気がある。それは相手の手をとるという事である。花恩の胸の前で組み合わせたままの両手に両手を重ねる。


その手に反応して、ビクッと花恩の身体は驚く。花恩はそこで現実に引き戻された。


相手の自己紹介に対して自分の自己紹介をしていない。失礼だとハッと気づいた花恩は自己紹介を慌ててする。


「あ、…すいません。私の名前は山澄花恩です。13です。中一です。よろしくお願いします。」

「よかった…。無視されるのかと思ったよ。よろしくね、三日間。」


園が胸を撫で下ろすジェスチャーをすると、花恩はぶんぶんと顔を横に振って否定する。花恩の仕草一つ一つにプレーリードックやレッサーパンダの様な愛嬌がある。例え、無視されたままでも園は許してしまうかもしれない。少し不安げなのも可愛がってあげたくなる一要素だった。


ガチャガチャ。


先程の園と同様に開いているか確かめる音の後、ドアノックされる。園は化粧箱を机の上に置くと、はいはいはいと言いながら、ドアを開ける。


「どうぞー。」

「ありがとー。助かった、助かったー。」


スーツケースに肩からボストンバッグを提げた利発そうな雰囲気の女の子がよっこいせと呟きながらドアの奥から現れた。


「私、園忍。19歳です。よろしくね。」

「よろしくお願いします!16歳、高校1年生の阿能萌です。」


あの子は…?と萌が園の肩口から覗くようにして花恩のことを見る。


「あの子は、山澄花恩ちゃん。中学生なんだ。」


花恩はよろしくお願いします、とペコッと頭を下げる。


「ベッドって決まってますー?」

「決まってないよ。」


なら、私、奥の壁際のベッドにしますねと萌はそそくさとベッドの上にボストンバッグを置いてしまう。園も目の前の一番手前のベッドに座る。


「すぐなので準備しちゃいましょう!」


萌はそう言うと、ボストンバッグからレッスン着や運動靴を取り出し、着替え始めた。園と花恩もそれに急かされるように着替え始める。園はなんか申し訳ない気がして、花恩と萌がいる側ではないドアの方を向いて着替えるのだった。相手の同意もなく"自分"が見るというのは罪悪感があるのだった。



3人とも着替え終わったが、萌はまだ靴紐を結ぶ途中だ。


誰も話しかけない妙な緊張感が部屋を支配する。話しかけることが本来苦手な園は、先程人間関係に関する勇気ゲージを使い果たしたのか、ただ前の靴紐を結ぶ姿を注視するだけでこの時間から逃れようとする。


萌の紐をくくる音だけが室内に響く。


花恩は手持ち無沙汰だったがこの妙に張り詰めた空間が嫌でベッドのスプリングを利用して座ったまま跳ねてみる。


跳ねてみても、その空気が和らぐことはなく、萌が靴紐を結び終えるまで待たなくてはならなかった。


「すいません、待たせちゃって!行きましょう!」


靴紐を結ぶのに夢中でその空気を気付かなかった萌はパッと立ち上がるとそう言った。花恩と園はうんうんと頷くと萌に続いて出ていった。


「鍵って誰が持ってます?」

「私です。花恩が待ってます。鍵は。」


花恩はそう言うとカードキーを園と萌に見せた。


「一枚?」

「そうです、一枚しかなかったです。」


萌は花恩に、なら頼んだよ、というとエレベーターのボタンを押した。エレベーターが降りてくる。


チン。エレベーターが開く。中にはある程度人が入っていた。その人達は全員候補者だろう。花恩と萌に先を譲ると園はすいませんと一言断り中に入っていく。


園は階数の表示を見つめながら一階へ到着するまでじっと待つ。


1階だ。ドアが開く。


話すことはなかったが、3人はひと塊りと認識できる程度にはひと塊りになりながら集合場所へ向かう。


集合場所へ向かうと、人が集まっている場所があった。


「あれ、何ですかねー?」


園がふらふらと視線をさまよわせながら、芽李子を探していると、人が群がる先にあるものを見ようとしながら萌が言った。


「…ダンスレッスン受けるグループ分けみたいなヤツじゃない?」


園は一旦誰に話しかけているか確認してからそう答えた。


「なら、見に行かないとですよね。」

「そうだよね。」


園は、後ろからついてくるばかりの花恩を手招きする。萌は目を凝らし、なんとか見ようとするが見えないようだ。


「私、見てきますね!二人の名前って園忍さんと山澄花恩ちゃんであってます?」


園が頷くと、萌は人の塊の中へ埋もれていった。花恩は園の胸元にすっぽりと収まって萌を見送った。


園が無意識に花恩の頭を撫でつつ無言で待ってると、萌が人の塊の中ほどから姿を現し、こちらへ走ってくる。


「園さんはグループ9、花恩ちゃんはグループ3です。みんなバラバラですね。」

「そうなんだ…ありがとう、阿能さん。」


すっかり姉妹のような距離感になって待っていた園と花恩はそれぞれ見てきてくれた萌に礼を言う。


「皆さん!右からグループ1、グループ2という順で自分のグループに分かれてください!」


ざわざわとしていた会場が一旦静かになる。


「それじゃ、お互い頑張ろう。」


園は萌と花恩に言うと、花恩の頭を撫で、萌とはハイタッチをした。


パン。


「頑張りましょう!」


3人はそれぞれのグループに分かれていく。


園がグループ9の列ヘ行くと、一グループ20人ほどいた。この人数だと余程のアピール上手でないと埋没してしまうだろう。園にはダンス経験はない。インドのホームステイ先の家庭で子供達とテレビの音楽に合わせて1日2、3時間ほど踊ったぐらいである。


園にはダンス審査を通過できる自信はなかった。しかし、ダンス審査は下手でもどれだけ成長したかを見るという噂を聞いたことがある。その噂だけが園の中のダンス審査に対するポジティブな印象である。


園は並んだ列の真ん中で、5、6人の肩越しに、グループ9を担当する女性トレーナーを真っ直ぐに見つめる。


ダンス審査がいかに難関でも、園はやると決めたからにはやる、その覚悟を持って臨んでいる。進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。これは福沢諭吉の言葉だが、園忍の言葉でもあった。

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