海にいこうよ

 

「海に行こうよ」


 唐突にその言葉が漏れたのは、木枯らしが吹いて枯れ葉が道路に舞い散る曇天の朝だった。

 ぼくはマグカップにインスタントコーヒーを淹れて安っぽい香りを楽しんでいた時で、唐突に言われたものだから全く言葉に反応できなかった。


「え、なに?」

「だから、海にいこうよ」

「今から?」

「朝ごはん食べたら」

「冬なのに?」

「冬だから」


 日本海側の海のように、吹雪吹き荒れて波が大暴れする海じゃないけども、皮膚を突き刺すような寒い日にわざわざ外出しようだなんて何を考えているのだろう。

 今日みたいな日はこたつに肩まで浸かってみかんでもつまんでいるのが一番だというのに。

 でも君は有無を言わさずに、トーストにバターを塗って口に押し込むと、入れたカフェオレでぐっと胃の中に流し込んでしまった。

 僕に対しても目でさっさと食えと促している。

 しぶしぶ、僕も君にならってトーストを口に押し込んでコーヒーで流し込もうと思ったら、沸かしたばかりのお湯で入れたのを忘れていたものだから口の中を盛大に火傷してしまった。

 おかげで口がひりひりしている。


 軽自動車の広いとは言えない車内に二人が乗り込み、ガソリンを満タンにしてから海への道を目指す。

 休日とはいえ、道路を行き交う車の数はそれほど多くない。

 田舎だもの、当たり前だよ。

 そして冬はオフシーズンだから海にわざわざ行こうとする人々も少ない。

 ただ僕の家から海へ行くには大分道のりがある。

 山を越えないといけないので、山道をしばらくぐねぐね上り下りしていかなきゃいけない。

 行くのに一時間半、あるいは二時間くらいは覚悟しないといけない。

 まあ、ゆるっとドライブするのもたまには悪くないだろう。

 道中やすみやすみ行けばいい。

 エンジンをかけ、少し車内を温めるべく暖機運転する。

 カーナビに行き先をセットする。

 

「目標地点は海、と」


 十分に暖まった所で、僕たちはシートベルトを締めて出発した。


 

 

「ねえ、なんで海に行こうと思ったの」

「べつに、特に何もないよ。ただ行きたいと思っただけ」


 行く先は港町で、それほど大きい訳でもなく名物もあるわけでもない。

 漁港だから新鮮な魚くらいは楽しめるだろうけど、特段なにかがピックアップされるようなわけでもない、地味な町だ。

 

 山は既に木の葉を散らしてしまっている。

 寂しい頭を晒してしまっている山の間を縫うように道路を走り、途中のコンビニでトイレに行ったり飲み物を買ったり、ラジオを聞き流しながら向かっていく。

 

「ただ行きたいで、わざわざ冬の海なんて行こうと思わないよ」


 僕が言っても、隣では鼻歌を歌いながら流れる景色を見ているだけ。

 毎年毎年、あくる冬の日になると海に行きたいとダダをこねる君がいる。

 その度に送る羽目になる僕の事も少しは考えてほしいな、なんて思った事はあるけど口には出さない。喉までにとどめておく。

 

 やがて海に着くと、彼女はそこらへんのコンクリートのでっぱった部分とかに座り込んで、買った缶コーヒーを片手に海を眺めている。

 ぼくもそれにならって、立って海を見る。

 

 海に着いた頃合いになると、日が昇って雲もいくらか晴れたおかげで気温がじわっと上がって来た。

 でも海風が吹くと肌寒さを感じてしまう。

 ダウンジャケットやニット帽を着込んでもこれだもんな。

 君は鼻の頭を赤くして、時折コーヒーを飲んで風に体を震わせていた。


 ずっと立ち尽くしている。


 過去、君になにがあったのかは僕にはわからない。

 海にまつわる何かがあったのか。

 それとも海で大事な人をなくしてしまったのか。

 どちらでもあるのだろうか。

 遠い目をして、水平線のその先を眺めている。


 ひとしきり海を眺めたあと、彼女は立ち上がってはにかんで笑った。


「帰ろっか」

「うん」


 僕は再び車のエンジンを掛けた。

 

 帰ろう、僕らの家に。

 

 

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